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私は日本での仕事経験は少なく、その点は弱点ではあるかと思います。しかしその分、日本の会社には全く染まっていない部分が特徴だと思っております。ラオスでの経験が長く、日本では普通のことが、なかなか進まない環境で、活動が上手くいかないことが多々あり、その中でいかに事業を前に進めるのか、常に考えて仕事をしてきました。また、怒ってはいけないラオスの仕事文化もあって、いかにして従業員に説明し、理解させ集中して
ラオスにはフランス統治時代の素敵な建築がたくさん残っているのですが、ラオス人は新しくすることを好んでおり、壊して新しく建設されていることが多くありました。貴重な観光資源にもなる建築をもっと有効活用してほしい。それは日本でも頻繁に思うことです。もちろん、耐震などの問題はあるとは思いますが、何かもっと違う形ができないのか。資源を残すことにも繋がるので、再開発ではなく、再利用できる建築士を志しています。
2018年4月〜2019年12月の期間は、ビエンチャンでJICAの中小企業案件を実施しました。大川地域の家具・木材関連会社6社と連携し、ラオスの工場3社に機械を導入し、技術指導や販売指導などのコンサル業務が仕事でした。 2020年からはプロジェクトが終了し、ビジネス関係を目指し、1つの工場に集
ラオスでのプロジェクトに従事するため、研修のために佐賀に住み込みで仕事をさせてもらいました。工場で働くことは初めてで、技術以外にも工場のシステムや、製作の流れ、販売方法なども幅広く経験させてもらいました。
ラオスの首都にて、新たな木工職業訓練校の開設を行う事業に従事しました。主な仕事は指導者の育成と、教材の作成でした。木工を学んだことのない、トレーナーに技術や知識だけでなく、指導方法も教えていました。3年間で無事に3人の木工トレーナーの育成と、カリキュラム・教科書を作り上げることができました。
家具製造の基礎から応用、手仕事に機械仕事。多くのことを凝縮して学びました。
カンボジアから帰国し、家具大工になることを夢見て、職業訓練校に通うまでの1年間、紹介でお仕事をさせて頂きました。主な仕事は賃貸の営業とリフォームの施工管理です。時には自分でクロスを貼ったり、クッションフロアを貼ったり、建築を志す基礎ができた1年でした。
シェムリアップから車で1時間半、小さな村に学校を建てました。そこの村には昔は学校があったのですが、内戦の影響で無くなってしまい、それからは村長の家の軒下で授業が行われていました。子ども達がより授業に集中できるように、カンボジアの大工さんと、旅行中の旅人に声をかけて参加してもらいながらの建設。
震災から約1ヶ月、姉が先に団体職員として、現地岩手県の大槌町に入っていたことから、ボランティアではなく、支援団体の職員として入りました。 現地の状況はまだ、ほとんどの瓦礫がそのままで、今でもその光景を覚えています。大槌町には泊まれる場所がなかったため、遠野市に下宿し、毎日片
フィリピンからタイに移り、カンボジア➡︎ベトナム➡︎ラオス➡︎タイ➡︎インドと周遊しました。当時はまだwifiやスマホも無く、頼るのはガイドブックと、現地の人達です。今は情報を手にしやすく、旅行もスムーズになりましたが、そう行った交流も減ってしまったように感じます。
大学4年時を休学し、英語力を少しでもつけるために、フィリピンはマニラにある語学学校に4ヶ月、学校内の寮に住みながら、英語漬けの日々を過ごしました。学校はマンツーマンが基本だったため、集中して英語の学習に励むことができ、ここで初めて英語で話すことの楽しさを覚えました。
認定NPO法人シャプラニールのスタディツアーに参加しました。バングラデシュはそれまで旅してきたタイやフィジーとは雰囲気の全く違う国でした。人口密度がとにかく高く、貧困を肌で感じます。ストリートチルドレンに会ったのもここが初めてでした。シャプラニールの活動の一つは、そういったストリートチルドレンや孤児に、生活する場所と学習の場所を見学させてもらいました。見学に行っては夜は参加者と、感じたことや何をするべきなのかを話し合う、刺激的な日々を過ごしました。
1ヶ月と少しでしたが、初めての海外長期滞在です。そして、緊張のホームステイ。凄く体の大きなフィジー人の家庭でした。フィジーはフィジー人だけでなく、インド人が半分いるため、2つの文化と宗教が、混在して成り立っている国です。どこに行っても対応できる今の自分ができたのは、ここでの生活が起源だと思います。