400万人が利用する会社訪問アプリ
株式会社ディー・エヌ・エー / デザイン本部サービスデザイン部第一グループ:グループリーダー
DeNA ソリューション本部 デザイン統括部 プロダクトデザイン部第一グループリーダー デザインマネージャー・アートディレクター・UI / UX デザイナー 「ポムパチェ」というネットネームでも活動しています。
人々の記憶に残るサービスを作る。 10年後20年後、その人の記憶に残るサービスやクリエイティブに携わっていたい。
メンバー各々が担当領域のアウトプットに全責任を持ち、Voice Pocochaの熱量を創出させるための強固なチームを形成する。
リードデザイナーとして、すべてのクリエイティブに責任を持つ。 サービスを成長させるために、チームを成長させることやデザイナーが働きやすい環境を作ること。
クリエイティブでクライアントとユーザーをつなぐ。 一方的な広告ではなく、相互関係をつくる。
当時、社内にアプリやウェブのUIデザインをメインで担当するデザイナーがいないなか、偶然担当したUIデザインの仕事が比較的うまくいったことから、UIデザインの仕事が増えていきました。「感覚的なデザイン」というより「論理的・数値的なデザイン」が多いUIデザインは苦手とするデザイナーも多くいるなか、自分には向いていることにも気づき、案件を振ってもらう機会も多くなっていきました。
ステップアップの道の一つとして、ソーシャルゲームの広告・イベントの企画プラナーに挑戦。案件を動かす中で企画を実現させることがうまくいかず、だんだんとプラナーに興味がなくなり、プラナーの道は諦めました。
「Honda Motor Sports」Webサイトのメインデザイナーを担当。 モータースポーツは週末に世界各国でレースが⾏われるため、レースに合わせて週末に業務が発⽣することも多く、変則的な働き方をしていました。
本の装丁やDTPデザインに興味があり出版社に⼊社しましたが、Web部⾨への配属になりました。ほぼ初⼼者ななか、Webデザインやコーディングを担当。 Webデザイン(Photoshopの使い⽅すら)の知識やコーディングは、仕事しながら独学で学んでいきました。
デザインをするうえで今でも生きている「言葉とカラーの相関」は、大学時代の色彩学ゼミで学びました。 デザインをロジカルに考えられるようになったきっかけの一つです。
就職したらアイドルヲタク活動ガッツリやりたいと思っていたので、東京の会社への就職を考えました。 ⾦髪から黒髪にするのが嫌すぎて、就職活動やサマーインターンシップを真⾯⽬にやらなかったため、⼤学4年の12⽉まで就職先が決まりませんでした。なんとかギリギリ内定&ギリギリ卒業しました。
幼稚園・小学生のころに絵が得意だったことから、小学4年生のときに、将来の夢をデザイナーに決めました。そのまま、デザイン科のある高校に進学。3DCGアニメーションを専攻しました。「侵略」をテーマにしたアクリル画作品で、宮崎県美術展で準特選を受賞し、初めて自分のデザインでお金を獲得しました。
進学は国公⽴の美術系⼤学を⽬指し、静岡⽂化芸術⼤学に⼊学しました。 大学時代は、映像作品を作ったり、陶芸をしたり、CADやったり、情報デザイン・⾊彩学のゼミで、⼥性ファッション雑誌の⾊彩分析からのカラースタイル⽣成などを学びました。 1年生のときに同期全員で映像作品を制作した際、応募したNHKの番組内でティム・バートン監督に講評してもらったことがあります。同期に優秀な人が多く、いまではさまざまなジャンルで活躍するクリエイターが多くいました。