「惑流陸離」 / HUGO BOSS Harajuku Store "The Cube" 特別賞受賞
枯山水という「手法」を通して原宿を感じる。それが「惑流陸離」の概念である。 枯という「手法」 枯山水は、日本の『伝統』的な庭園様式だ。その特徴は、作庭において一切水が用いられないという点にある。 平安の代表的な様式である寝殿造りでは、遣水や池が配置され、それらが山水に見立てられている。人々は、実際に目の前を流れる水を眺めることで、大自然を心に浮かべた。 しかし、枯山水はそれとは全く異なった発想で作られた庭だ。なにしろ、そこには水がない。だからといって、乾いていることを表現しているのではない。水を感じ、水の音を聞くために、あえて水が抜きさられ、砂櫟に置換されている。この逆説こそが枯山水という「手法」なのだ。 洗練された混沌 原宿は非常に特異な魅力をもつ街であり、多くの人々を惹き付けている。この魅力の源泉はどこにあるのか? それは、趣向を異にした二本の通りが直交しているというところにある。表参道とキャットストリートだ。 世界中の洗練されたモノ、洗練された様式。表参道を象徴するこれらは、並木道を彩り、訪れる者に充足を与える。建築とけやき並木の奇跡的な調和は、太宰府以来の日本における計画都市の一つの到達点と言えよう。 一方、古くからの住宅地に出現したキャットストリートでは、時代の最先端を走る人々が自らの表現を追求している。八百屋の隣に世界中が注目する『未来』の流行が集積している。こんな光景をほかのどのような場所で見いだすことができるだろうか? この個性的な二本の「線」は、直交することで原宿という「面」に発展する。二本の「線」がそれぞれに持つ美しさや矛盾は、互いに刺激し合い、「洗練された『混沌』」を「面」にもたらす。原宿という街では、古典的決定論は成立し得ないのだ。 惑流陸離 原宿は時代の突端を進むがゆえに、日々その姿を変えていく。ひとやモノも同様にうつろっていく。この「ひとやモノのうつろい」はそのはかなさゆえに、人々の心をつかんで離さない。 そこで、我々はこの「ひとやモノのうつろい」を枯山水の「手法」に代入した。すなわち、「ひとやモノのうつろい」を抜きさり、光に置換することで原宿の「洗練された混沌」を"The Cube"の空間に凝縮させたのである。 平安期の造園書「作庭記」には次のような記述がある。 「池もなく遣水もなき所に、石を立つる事あり。これを枯山水と名づく」 これを借りるなら、我々の試みはこう表現できよう。 「ひともなくモノもなき所に、光を立つる事あり。これを惑流陸離と名づく」