Nihon University / 商学部商業学科
バックパッカーで海外をまわる
子どもの頃から旅行といえば海外だったので、海外への抵抗感はまったくありませんでした。 大学時代も少し時間ができれば、バックパックひとつ背負ってアジアやインドをまわっていました。今思えば当時の体験がアジアの勢いを感じる一つのきっかけになりました。
400万人が利用する会社訪問アプリ
AnyMind Group / CEO
1987年生まれ、香川県出身。AnyMind Group代表取締役CEO。インフルエンサーなどの個人、メディア・ブランド運営企業向けに、生産・EC構築・マーケティング・物流を一貫支援するビジネスを世界15カ国・地域22拠点で展開しています。祖父は父方も母方も起業家。高校までバスケをしていましたが、怪我をして引退し、ビジネスで生きていくことを決意しました。趣味は仕事とサウナ。常にあたらしい世界を見ることが好きです。
テクノロジーを活用した仕組みづくりを通して、誰もが簡単にビジネスを展開できる環境をつくっていきたい。 そんな理想に向けて、AnyMind Groupを僕が大好きなアジアから、世界をリードする会社に育てていきたい。
“Make every business borderless”のミッションのもと、誰もがボーダーや障壁がない状態でビジネスができる「次世代のビジネスインフラ」を創造する
"Empower Asia"をキーワードとして独立・起業。 「アジアのインターネット広告業界でNo.1を目指す」が当初の目標でした。
東南アジアでの事業責任者を務める
MicroAd タイ支社を設立し、広告プラットフォーム事業をタイ国内へ展開
MicroAd フィリピン支社を設立
シンガポールでMicroAdSEAを設立し、広告事業領域で戦える強い営業チームを作り、アジア全体を牽引する事業・会社へ
ベトナムの立ち上げ後は、シンガポールやタイなど6カ国でのオフィス立ち上げを経験。 W杯のアジア予選のように各国を競争させながら、ひとつひとつを強い組織にしていくことを意識していました(ただ競争させるだけじゃなくFtoFで懇親する機会も設けていたので、みんなめちゃくちゃ仲良いです)。 全拠点で黒字化達成できた時は嬉しさがありました。 この時から「果たして自分は雇われ社長のままでいいのか?」という思いが生まれはじめて、具体的な起業タイミングを意識し始めました。
MicroAd ベトナム支社を立ち上げ、ベトナムでインターネットの会社といえばマイクロアドと言われるような組織にすることを目標にアジア展開を強化
セールスとして大きな成果を買っていただき、海外での事業立ち上げを任せていただきました。その後、アジアでの事業展開の実績を評価いただき、取締役に就任しました。
僕はプレゼン能力やコミュ力が特別秀でていたわけではなく、がむしゃらな営業能力での勝負はしていませんでした。予算的な体力や将来性のある会社を見つけて、適切なタイミングで提案することを常に意識していました。 2010年当時は、外資系インターネットの会社の日本進出が頻出していた時期です。海外では有名だが、日本進出はこれからだというフェーズの企業を探し出し、タイミングに合わせて提案することで案件を獲得していました。 そして着実に実績を残すことができ、入社3ヶ月目には営業として全社MVPをいただきました。
将来経営者になる可能性も見据えて、コマース、マネジメント、会計も勉強できる商学部に
インターンシップの経験を経て、就職するのではなく、すぐに起業したほうがいいのではないかと悩み、マイクロアド入社式の2日前まで悩んでいました。 でも、仲の良い先輩とご飯を食べに行った時に「違うと思ったらやめればいい」と言ってもらえたことや、当時のアドテク業界の将来性や海外出向のチャンスも鑑みて、最終的には入社を決めました。
将来、起業する時のことを考えて、位置情報アプリを運営する「サンゼロミニッツ」というスタートアップでインターンしていました。 いろいろなことを学ぶためには、優秀な社長の下で働くのが手っ取り早いのではないかという思いと、当時はiPhoneが発売されたばかりだったので、インターネットやスマートフォンアプリ自体にも魅力を感じていました。 会社には、自分で調べて連絡をして「インターンとして雇ってほしい」と直談判。大学3年の末から卒業までお世話になりました。
子どもの頃から旅行といえば海外だったので、海外への抵抗感はまったくありませんでした。 大学時代も少し時間ができれば、バックパックひとつ背負ってアジアやインドをまわっていました。今思えば当時の体験がアジアの勢いを感じる一つのきっかけになりました。
Nihon University / 商学部商業学科
子どもの頃から旅行といえば海外だったので、海外への抵抗感はまったくありませんでした。 大学時代も少し時間ができれば、バックパックひとつ背負ってアジアやインドをまわっていました。今思えば当時の体験がアジアの勢いを感じる一つのきっかけになりました。