宇宙航空研究開発機構JAXA / 「こうのとり」(HTV)フライトディレクター
宇宙飛行士になるより難しい?フライトディレクタの役割とは | 三菱電機 DSPACE【インタビュー】
宇宙船「こうのとり」と、宇宙ミッションを地上から指揮する「フライトディレクタ」について、大学の同級生であり宇宙飛行士選抜試験でもライバル同士となった大西卓哉宇宙飛行士と語った対談インタビュー
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個人活動 / 宇宙飛行士挑戦エバンジェリスト
1975年新潟県生まれ、埼玉県育ち。JAXAで新型宇宙船を開発しつつ、宇宙飛行士挑戦エバンジェリストとしても活動中。興味のあることを見つけたら、まずはとにかく首をつっこむ。首をつっこんだからには、それができるように努力をする負けず嫌い。一歩踏み出して、そこが道になっていくということを繰り返して、新しい道を作っていきたいと考えている。
(宇宙飛行士)挑戦の素晴らしさを広く伝道する。宇宙飛行士を志す人を応援する。
地球低軌道から月周回軌道へ挑戦する。有人飛行も見据え、2代目「こうのとり」を作る。
現号機の「こうのとり」(HTV)を運用、グレードアップさせて、2代目「こうのとり」(HTV-X)を開発中。宇宙ステーションへの物資輸送のみならず、様々な先進的技術実証ミッションを行い、月周回ステーションへも物資輸送できるような宇宙船を作りたい。もっと遠くに、ゆくゆくは人を乗せて……という夢を描いている。
チームで「こうのとり」(HTV)のミッションを確実に成功させる。
日本で初めて、無人宇宙船を有人宇宙基地にランデブさせる任務を、オールジャパンチームでやり遂げる。
未熟なチームながら、シミュレーターのなかで実際に「こうのとり」(HTV)のドッキングなどのミッションを行う訓練を実施。通常よりも不具合やトラブルが多く仕掛けられた訓練で、自分たちの宇宙船が安全であることをうまく伝えきれず、NASAに怒られてしまった。JAXAの上司からは「それがわかっていてアサインした」と言われ、実力をつけていかないとと改めて気を引き締めた。
「こうのとり」(HTV)初号機の打ち上げ前で完全に油断していたところ、10年ぶりに宇宙飛行士の募集がスタート。10ヶ月に及ぶ試験に挑み、ファイナリストに選ばれるも落選。ショックだったが目の前にやるべき仕事があったことが救いになった。
とにかく有人宇宙開発に身を置きたい。
入社と同時に希望していた「HOPE」プロジェクトが凍結し、宇宙に物資を輸送する「こうのとり」(HTV)の開発に携わる。社会人になり日本人も宇宙飛行士になれるということを知るも、それまで定期的に行われていた宇宙飛行士選抜試験がしばらくなくなってしまったので、本来やりたいと思っていた宇宙開発の仕事に打ち込む。CADや設計図の作成、バネの選定まで、修行だと思いながら業務に向き合っていた。
「こうのとり」(HTV)の開発事業のため、IHIに籍を置きながらJAXAに出向。「こうのとり」(HTV)の開発をほぼ完了。一度IHIに戻ったが、2008年にJAXAの中途採用試験を受けることに。
宇宙開発の仕事をしたいと思いながらも、その延長として、何年か働いたら宇宙飛行士の選抜試験を受けたいと密かに考えていた。
「大人になる頃には誰もが宇宙に行く世界になる」という思いから、その先にある宇宙飛行士を見据え、宇宙エンジニアになろうと航空宇宙工学を学んだ。
進振でなんとしてでも航空宇宙工学科へ進みたかったため、社交性と容量の良さを駆使して単位をかき集める。
10歳の時に見たスペースシャトル・チャレンジャー号爆発事故に衝撃を受けたと同時に、スペースシャトルという宇宙船が実際に宇宙に行く時代になっていた事実を初めて知り、宇宙開発に携わりたいという思いが芽生える。
内山 崇さん
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宇宙航空研究開発機構JAXA / 「こうのとり」(HTV)フライトディレクター
宇宙船「こうのとり」と、宇宙ミッションを地上から指揮する「フライトディレクタ」について、大学の同級生であり宇宙飛行士選抜試験でもライバル同士となった大西卓哉宇宙飛行士と語った対談インタビュー