始まりは資本金1円からの起業
Q.まず初めに、望月さんの経歴からお聞かせください。
大学三回の夏:アパートの一室で創業
慶應大学3年生時、資本金1円でアパートの1室からスタートしました。
初めに選んだ事業はインターネット回線の訪問販売事業。
毎日アパートやマンションの扉を叩いて回り営業しました。
当初は1日約300件の扉を叩いて1件でも受注が取れれば良いほうでしたが、
徐々にインターン生を雇用するなど拡大し、
その後半年で約600万円の事業資金をためました。
独自事業に挑戦~倒産の危機
ネット回線の販売で得た資金をもとにその後、独自事業を開始しました。
営業経験のある学生と企業を結ぶ「営業甲子園」や、
広告を貼り付けた傘「アドブレラ」、
ヘルスケア業界向けのクーポンサイト「リラフリ」などです。
はじめての独自事業立ち上げに失敗が続き、
当時20名近くいた社員は3人に。
リーマンショックに端を発した世界不況の影響もあり、
会社は一時倒産の危機まで追い込まれました。
Q.その危機をどう乗り越えたのですか。
顧客の声をもとに事業を転換
当時苦戦していたヘルスケア業界向けのクーポンサイトを、
同業界向けの求人サイトへと方向転換しました。
「クーポン(集客)は間に合っているけど、スタッフの求人なら・・・」
という店舗様の声がきっかけでした。
当時アロマセラピーやタイ古式などが流行し
街中にリラクゼーション関連の看板が目立ち始めたことも、
同業界に特化する決め手となりました。
”リジョブ”の誕生、そして成功へ
当時私には特別な知識や経験もなく、必要なことはすべて独学で学びました。
まずはデザインやHTMLを勉強しウェブサイトを作成。
続いて求人情報を集めるため街中のリラクゼーション施設へ電話&訪問営業。
その後ウェブサイトにユーザーを集めるため、
SEO(Google等での上位表示対策)や広告の勉強。
当時は法務や経理に至るまですべて自分で行っていました。
のちに求人サイトは「リジョブ」へと改名、市場の成長と、
独自のビジネスモデルが受け入れられたこともあり、
その後5年でグループ売上10億円、利益4億円、従業員200名を超えるまでに成長しました。
Q.急激な成長を経てその後はどうしたのですか?
会社を日本に残し、シリコンバレーへ
日本の事業を仲間に任せ、新たな事業チャンスを目指して単身、
米国シリコンバレーへと移りました。
当時からミッションとしていた「世界を抜本的に変革する」ためです。
GoogleやFacebookのように世界全体に大きなインパクトを与える事業を
模索していた自分にとって、必要不可欠なステップでした。2012年、サンフランシスコにて新法人XVOLVEを設立、
シリコンバレーの波にもまれながら、いくつの事業に挑戦をはじめました。
グローバルな人材と世界最先端の情報が集まる中での事業立ち上げは
非常にエキサイティングで多くの学びがありました。
しかし1年半も経つ頃、日本の会社の業績が悪化し帰国を余儀なくされました。
倒産寸前の会社を改革
帰国してみると、ずさんなコスト管理や地方支店の業績悪化により
月間で2000万に迫る赤字が発生していることが分かりました。
「このままでは数か月で倒産するかもしれない」という状況下、
抜本的なビジネスモデル改革や地方支店の統廃合を行い、
その後半年で、月間3000万の黒字ベースへと転換に成功しました。
世界で勝負するため、事業を19.8億円で売却
Q.会社の立て直しを成功した後は?
19.8億円で会社を売却
実はアメリカから帰国する際に、
会社の将来に対しあらかじめ3つの選択肢をもっていました。
1.会社を上場させる。
2.後継者を探す。
3.会社を売却する。 の3つです。
業績を立てなおした後、すべての選択肢を同時並行で検討しましたが、
最終的に「会社を売却する」という選択に決めました。
理由は原点に立ち返り、目標に対し100%集中することこそが
最速の道のりだと考えたからです。
世界市場に向けた事業をゼロから立ち上げる、
それに全ての時間とエネルギーを注ぐことを決意しました。
Q.社員の人たちの反応はどうだったのでしょうか?
社員を集めての売却発表
売却契約を締結した当日に、社員を集め告知をしました。
やはり皆まず頭によぎるのは「この先自分はどうなるんだ」という思いだったため、
その点は心配いらないという説明をしました。
その上で「次の挑戦に共に取り組むか、会社に残るかは皆の自由だ」
という旨を、中心メンバーに伝えました。
次にやる事業も、活動の拠点さえ未確定な状況で、
多くは会社に残るという選択を取りましたが、
数名のメンバーが自分と共に挑戦するという選択肢を取ってくれました。
数名の同志とともに退社、次の挑戦へ
実は売却の候補先は他にもあり、
提示された買収金額が5億以上高かった企業もあるのですが、
この「志を共にするメンバーを連れていける」という条件が肝になり、
今回の売却先に決定しました。
苦楽を共にし、金銭のみでなく志やビジョンで繋がった仲間というのは、
自分が最も大切にするものの一つなので、
数名のメンバーがついてきてくれた事はとても嬉しかったです。