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21卒入社ブログ|夢は野球選手だった自分が、社会起業家を目指す理由(池田 将太)

こんにちは!今年の4月から社会起業家になるべくボーダレス・ジャパンの門をたたいた、身長190センチ、右投げ/右打ちの池田将太です。

私は人口約10万人、太平洋に囲まれた607の島からなる小さな島国、ミクロネシア連邦ポンペイ島の「島で働きたいけど島内に働く場所がなく、仕事を求めて島を出ていってしまう若者の人口流出問題」を解決すべく、島の資源を活用した雇用創出型ビジネスの立ち上げ準備をしています。


今回は小学生から高校卒業までプロ野球選手を目指し、野球だけに打ち込む生活を送ってきた私が遠く離れた島国の問題解決のために、社会起業家になる決断をした理由をお話させていただきます!


【目次】
1.野球漬けの毎日から国際協力との出会い
2.ミクロネシア渡航で人生の価値観が180度変わり、青年海外協力隊を目指す
3.ボランティアの限界、起業するしかない
4.ボーダレスとの出会い
5.ミクロネシアの課題感の変化と自分がやらなきゃいけない理由
6.入社まで、とにかくもがき続けたい!!


1.野球漬けの毎日から国際協力との出会い

小学校3年生から野球を始めて高校を卒業するまでの間、とにかく野球にのめりこんでいました。寝ても覚めても野球のことだけを考えて、勉強もろくにせずひたすら白球を追いかける日々でした。「将来はプロ野球の選手になる」と心から信じていました。

しかし、高校3年生の時、自分は野球でご飯を食べていくことはできないのだと痛感しました。試合でも結果が出ない、プロから声がかかることもない。自分の技術的限界が見えてしまいました。

野球は高校までだと感じ、大学に進学する選択をしました。

野球を辞めて大学進学をした時、野球を辞めた自分には何もないということに初めて気づきました。人生で野球以外のことで頑張ってきたことが何一つなかったからです。

何となく大学の講義に出て、ただ時間だけが過ぎる大学生活にやるせなさを感じていた時、JICA出身の大学教授から「池田君は世界を見た方がいい。国際協力を頑張ってみてはどうか」と言われました。海外に行ったことのなかった自分は「よくわからないけど、時間はたっぷりあるし、とにかくやってみよう」とミクロネシア連邦で環境教育活動をしていた学生団体(通称:Japanesia)に入団しました。

環境問題の意識啓発を目的にミクロネシア連邦ポンペイ島に渡航した私でしたが、現地に降り立ってミクロネシア連邦はとんでもなく美しい海に囲まれ、自然も豊かで環境問題なんて本当にあるのか?というのが私の最初の印象でした。

しかし、町を歩いているといたるところにポイ捨てされたごみが落ちていて、リサイクルの仕組みがないことから島のダンプサイトは土に還らない非分解性のごみであふれかえっていました。その光景をみて「これは間違いなく社会問題だ」と思いました。そこから私は現地小学校の環境教育活動や山積する廃タイヤを活用したタイヤサンダルの開発を現地の学生と共に行いました。


2.ミクロネシア渡航で人生の価値観が180度変わり、青年海外協力隊を目指す

ミクロネシア連邦に渡航するまでの私は発展途上国に対して「貧しい」「問題だらけ」「可哀想」などとマイナスなイメージばかりを想像し、「助けてあげる」という想いが心のどこかにありました。

しかし、ミクロネシア連邦で現地の人達と接し、共に生活する中でその印象は180度変わりました。なぜならみんなとっても幸せそうで、自分のことをを家族の様に受け入れてくれたからです。お金を持っているとか持っていないとか、そんな物質的なこと以上に小さな幸せを大切にしている彼らがとっても輝いて見えました。そして彼らはとっても豊かな人たちだと心の底から思いました。ボランティアをする目的で現地に行った自分が逆に彼らからとっても大切なことを学ばせてもらいました。その渡航がきっかけで私はミクロネシア連邦が大好きになり、「この人達のために何かしたい」「自分を変えてくれたこの国に恩返しがしたい」と思うようになりました。

そこから私の大学生活は大きく変わり、前述した団体Japanesiaの代表に就任し、さらにもっと色んな世界が見たいと東南アジアをバックパックで1周したり、人材系ベンチャー企業でインターンシップを始め、通訳の仕事も経験しました。

そうして自分の可能性の扉が開き、将来も国際協力を仕事にしたいと青年海外協力隊を目指すようになりました。


3.ボランティアの限界、起業するしかない

翌年、大学3年生になり起業家を目指すことになる転機が訪れます。

ミクロネシア渡航をきっかけに国際協力の最前線である青年海外協力隊に入り、大学卒業後もボランティアを続けると意気込んでいた頃、大学から一通のメールが届きました。

それは「活動助成金制度廃止」の連絡でした。私が代表を務めるJapanesiaへ毎年与えられていた大学の助成金枠がなくなり、団体運営に必要な資金が得られなってしまいました。それにより、自己負担額が多すぎて「もう渡航にいけない」と仲間からの相談も受けました。とても大きなショックでした。「社会貢献がしたい」という強い想いを持った学生は、誰かの援助がないと活動を続けることすらできず、社会のために頑張ることを諦める選択をしてしまうことが悔しくてたまりませんでした。

そこから、「自分が支援を受けて、人を支援する」このボランティアの構造では持続可能な取り組みはできないと痛感しました。もっと自立した、援助に頼らない形で社会課問題解決に取り組まなければいけないと強く思いました。

それを期に私は、持続可能な自らお金を生み出すことができる社会問題へのアプローチをするべく社会起業家になることを決めました。


4.ボーダレスとの出会い

社会起業家になろうと決意し、すぐにでも動かなければとビジネスプランの書き方も知らないまま、自分が実現したい社会だけを資料にまとめて銀行やベンチャーキャピタル、企業の社長にプレゼンテーションに行きました。とにかく熱量だけで動き回り…>>「21卒入社ブログ|夢は野球選手だった自分が、社会起業家を目指す理由」の続きはこちら

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