「社長に聞いてみた。」と題し、本日はWealthy Design 株式会社の代表である堀越さんにインタビューを行いました!
社風である「風通しの良さ」も感じられる、包み隠さずオープンにお話しいただいた内容をどうぞお楽しみください。
社長でありながら現役エンジニアでもある堀越さんですが、どうしてエンジニアになろうと思ったのかを聞かせてください。
エンジニアになる前は、外国語を使う仕事がしたくて沖縄の多言語コールセンターで働いてました。ポルトガル語・スペイン語対応のオペレータをする傍ら、ポルトガル語翻訳の仕事などもしていました。
だいたい2010年頃になりますが、当時はビッグデータという言葉が囁かれたりしていて、Google翻訳の精度もどんどん上がってきていました。翻訳業務でも確認のためGoogle翻訳を利用したりしていましたが、言葉の仕事がITにとって代わるなという印象を抱きながら働いてました。それがエンジニアになる後押しをしたと思っています。
先を見据えた選択だったということですね。そこから、どうやってコールセンターのオペレータからエンジニアになったんでしょうか?
一般的にコールセンターは大企業の仕事を請負う形なので、毎月状況を報告する必要がありました。集計業務はExcelで行うのですがすべて手作業で、多くの同僚が残業をして対応をしていました。その状況をなんとか改善したいと思い、集計作業をマクロ(VBA)で自動化したのが私のエンジニアとしてのはじまりです。
そのおかげで数10秒で集計作業が終わるようになったことが評価され、全ての部署でも自動化を行いました。さらにそこからシステム開発部に異動となり、エンジニアとしてのキャリアを歩き始めました。それ以外にも業務改善のために作ったアプリがホリコシステムと呼ばれるようになったこともあり(笑)。共通しているのは人に感謝される仕事だということ。それが天職なのだと思いました。
業務の自動化をしたとのことですが、もともとプログラミングは勉強していましたか?
高校生の時にYahoo!のジオシティというサービスで自分のホームページを作って、JavaScriptのソースコードを貼り付けて、簡単なプログラムを動かした程度でした。当時はソースコードの意味も全く理解していなかったです。
その程度しか知識がないながら当時は同僚の苦労を見るに耐えかね、一念発起してVBAの書籍を購入して独学し対応しました。
未経験から独学でここまできたと。プログラミングは難しくなかったですか?
最初は難しかったですが、読書や勉強が好きだったのもあるので繰り返せばなんとかると思っていました。私はポルトガル語を話すのですが、ポルトガル語と比べるとプログラミングの学習環境は非常に整っています。私が大学でポルトガル語を勉強する際には、書籍が少ない上書いてあることも間違っていたり、電子辞書が存在しなかったので、紙の辞書を引いて外国語を勉強しました。
その状況に比べると書籍もあるしインターネットを調べれば分かるしと、習得にそれほど労力が掛からないと思っていました。それに加え、ITの機能や用語は外国語の文法や単語と違い暗記する必要がないですしね。今はYouTubeなどの無料の動画コンテンツもあるので、努力さえすれば必ず習得できると思ってます。
システム開発部に異動した後は、どのようにプログラミングの勉強をしていったのでしょうか?
上司にPHPができるようになる事を条件に異動の許可をもらっていて、書籍はもちろんですがドットインストールという学習サイトが全て無料の時代だったので、それでPHPを勉強しました。その時に手を動かして学ぶことがいかに重要かを思い知りました。
それとSQLのSELECT文のみを覚えて、コールセンターのオペレータ用システムをリプレイスしました。なので、スタートはバックエンドエンジニアということになりますね。
今回は未経験から、独学でもエンジニアになれるという代表自らの実体験をお話いただきました。ありがとうございました!