新卒で入社した会社で「死ぬほど不器用」だと揶揄され挫折したのに、15年後クリエイティブ部でアートディレクションしている話。
はじめまして、ユニバースジャパン株式会社でクリエイティブ局のマネージャーをしている田嶋です。
経歴をお話すると、
美大を卒業し、デザイナーとして制作会社に就職しました。
22歳の新卒で滋賀の辺鄙な土地から東京に上京しました。
地方出身者にありがちな
「東京に夢を抱く」という行為をやってのけたのです。
夢を抱くことは悪いわけではありません。
抱くだけだったのです。実現させていくフローがその時の自分には一切作り出せずにいました。
案の定、当時の自分は井の中の蛙で、全てのやることなすこと失敗続き。成功したことがないほどの失敗の連続です。
当時の会社では
「四大の美大に行っといて、なんにも出来ないんだね」
と先輩に揶揄される毎日。
当たり前のことも一切出来なかった日々を繰り返していました。
一年でその会社を退職しました。
結局自分には「デザイナー」という夢をもって上京し、社会の荒波に勝てずに結果目の前の夢から猛ダッシュで逃げました。
辞めた際の会社の社長・先輩達の顔は「やっと、辞めてくれた。」というようなホッとした安心の顔でした。
新卒でデザイナーを一年で辞めた後に待っていたのは、無職の貧乏暮らしでもなく、就職難でもありませんでした。
デザインには一切関わらない別会社に就職をして15年間クリエイティブ関係には一切携わらないでいました。、
あれだけ夢を抱いて上京したのに、一年で挫折をしてデザインの「デ」も見向きをしなかったのです。
こんなにも自分が求めていたものを簡単に捨てるのか?と思うほどです。
例えて言うなら、飲み終えた缶コーヒーを空き缶入れに捨てるほど簡単に捨てられたのです。
15年間自分がデザインを噛じっていたような話はせずに過ごしていました。
月日が経ち、ユニバースジャパン株式会社に入社して4年半くらい経過した頃。
デザインとは関係のない部署で仕事をしていたある日、代表と上司の麻生に呼び出されました。
「君、クリエイティブのチーフね。」
と会議室で言われました。
「はい?なんで?」
という思いが先行しましたが…。
制作物に対する拘りがデザイナーをやめても、異常にあったという事が周りにバレていた模様でした。
22歳で就職して1年で辞めた自分は、やっぱりデザインの仕事がしたいという気持ちが譲れませんでした。
今ユニバースジャパンで運営しているすべてのデザインに関わっています。
結局挫折した仕事を15年を経て、その仕事をするという結果です。
現在アートディレクターとして、見る人の立場に立って感じるデザインを日々研究しています。
ユーザーニーズに併せるために、長時間のクリエイティブ・ディレクターである代表からの決裁をもらうためにデザイナーと試行錯誤の日々です。
あの新卒1年で辞めた制作会社の先輩たちが、今の田嶋を見たら驚くだろうとは思います。
大切なことは、無意識に自分のやりたいことをやり続けていることでした。
今挫折しても、いつか花が咲くだろうと思います。
Relation Marketing Group
Creative Unit Manager
田嶋陽平