今回はアンソリュートの代表である仲田さんにインタビューをしました。
このストーリーでは、アンソリュートを立ち上げるまでに彼が歩んできた経歴についてご紹介します。
是非ご一読ください!
本日はよろしくお願いします!まずは、簡単に自己紹介からお願いします。
株式会社アンソリュートで代表を務めている仲田卓矢です。
代表といっても私自身、会社の中で優先される存在であってはならないと思っています。
あくまで会社の代表者・最終責任者として、経営理念を一番に体現し、先導していくべき立場の人間と考え日々活動しています。
ありがとうございます。
それではここから、仲田さんをさらに深堀りさせていただければと思います。まず、どのような学生時代を過ごされていましたか?
昔から数字が好きで算数が得意だったという理由から大学は理系に進学しました。
性格的に研究は不向きではありましたが、学生の立場を最大限活かし、経験と研鑽を積みたいと考え、大学院へ進学し修士課程まで進みました。研究・論文面ではかなり問題児でした。当時の教授には、かなりご迷惑をお掛けしましたが、修了まで手厚くサポートしていただき、非常に感謝しています。
学業以外の話だと、学部生時代はサークルやアルバイトなど、一般的な遊びや社会経験の日々を過ごしていました。
修士課程までのモラトリアム延長を決めた大学院進学後は、学生秘書やバックパッカーなど、より社会経験の幅を拡げました。
学生時代に様々なアルバイトがある中で、どのような理由から学生秘書を選ばれたのですか?
その秘書業務を募集されていた議員さんの人となりと、経歴に興味をもったことがきっかけです。
その議員さんは、出身校が奇跡的に同じ上智大学の理工学部出身ということと、社会人としてリクルートでの経験を積んでいたという部分に興味を惹かれました。
実際に学生秘書として、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?
都内選挙区の衆議院議員事務所で、営業とインターン運営、ボランティア組織の管理などを主な業務とし、ほぼフルタイムで勤務をしていました。
営業にもさまざまな手法がある中で、その事務所ではローラー営業を主体としていました。議員事務所でいうローラー営業とは、地図を持ち、決められたエリアにて新規の後援会への入会依頼やポスター掲示が出来る場を確保するというものでした。
飛び込み営業などはもちろんしたことがなく、人見知りということもあり、最初の1軒目は、インターホンを押すまで30分くらい掛かった記憶があります。
ただ、最初の一歩を踏み出して以降は場数とPDCAを重ねながら経験を積み、それが結果に繋がり、効率的な営業スタイルを採る裁量も得られました。それが更なる結果に繋がり、良いスパイラルを生み、当時の一日受注数で最高記録を持つまでの成果を上げることが出来ました。
政治家に対する印象がどのようなものかは皆さんそれぞれかと思いますが、当時従事していた議員の方が元リクルートということもあり、その精神が詰まった組織運営や営業体制に触れることができました。私にとって、この議員事務所の学生秘書という業務が、政治そのもの以上にビジネスを学ぶ非常に貴重な機会となりました。
アルバイトの段階から営業や組織管理を行い、社会経験を積まれていたのですね。学生時代の経験として、学生秘書と並んでバックパッカーのお話がありましたが、こちらについても詳しくお聞かせください。
大学院を休学して、約40カ国を15ヵ月程かけてバックパッカーとして巡り歩きました。
バックパッカーを始めた動機は、よくある自分探しといった考えではなく、
旅人特有の「滲み出るバイタリティ」が欲しくなり、人生に一度だけ、リアルな命懸けを経験してみようと思い決断しました。
(全て話すと長くなるので一部分をお話しすると)ニューヨークからテキサス州サンアントニオまでアメリカ縦断ヒッチハイク、アフリカのナミブ砂漠ドライブで二回転半して大破からの生還、イランで強盗と格闘、ナタvs素手で完敗して入院、といったところがハイライトです。
ハイライトに突っ込みどころが満載で全てお話をお伺いしたいのですが、詳しい内容について気になる方はアンソリュートに来ていただいて、仲田さんに直接お話を聞いてもらえれば、、という事にさせていただきます(笑)バックパッカーとしての旅を終えられてからは何をされていましたか?
26歳で晴れてモラトリアムを終えるのですが、綺麗に大卒で社会人になった同期より4年遅れて社会に出ることもあり、相当な覚悟を持って就職活動を行いました。
4年間のビハインドを長い目で後悔したくなかったので、差分をいかに縮めていくか、1日でも早く4年先輩の同級生たちを追い抜く、という意識が強くありました。
またその時点から、なんとなく将来的に起業するだろうという漠然としたイメージを持っていました。そのため就職する企業を決めるポイントとして「多くのビジネスモデルに触れることの出来る広告事業」と、「圧倒的な物量と裁量での業務が叶う環境」の二つを主軸に置いていました。
その軸に合致した企業が、前職の株式会社セプテーニであり、学生秘書時代に触れたリクルート出身者の創業という点とデジタル広告が事業ドメインという要素から就職することに決めました。
2つの軸をもとに決めた前職では、どのように過ごされていましたか?
新卒入社した当時から、チャンスは皆に平等に訪れるものではないと考えており、
基本的に最後の1人になるまで帰らず、周りの社員からみて教えたくなる人間、応援したくなる人間になることが出来るか、先輩方の背中をみて学びつつ、少しのチャンスも取りこぼさぬ姿勢で仕事に取り組んでいました。
そうしていく中で、最高の業務環境と風通しの良い社風、さらに先輩方の支援と機会創出のお陰もあり、仕事の物量に関しては当時数百人いた企業の中で自分が一番と言い切れるくらい突っ走ることができました。そして当時、最少年次での管理職に就き、課を持たせていただきました。
誰よりも早いスピード感の中で仕事に取り組まれていた中で、どのタイミングで独立を意識し始めたのでしょうか?
約三年半に渡って在籍し、ある程度後任育成の目途も立った頃に独立を考えるようになりました。
独立を考えた動機としては、大手ならではの最先端サービスをお客様に提供できる喜びの一方で、ある程度出来上がっている組織であるがゆえの業務領域の限界やサービスレベル担保の難しさに悩むことも増えたことが大きく起因しています。
結果、包括的な視点でマーケティング課題解決に取り組みたいという点や、真のクライアントファーストを提供し続けられるチームを作りたい、という思いで独立しました。
ここから、独立をしてアンソリュート設立に至るまでのお話に移りたいところですが、この続きのインタビューは次回の投稿でご紹介させていただきます!
『アンソリュートはどのように設立されたの?』
『アンソリュートの今後の展望について』
といったアンソリュートに興味を持っていただいている方にとっての”気になる”を解消する記事をアップします。続きが気になる方は、是非当社アカウントをフォローしていただき、次回の更新をお待ちいただけますと幸いです!