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【社員紹介】人の役に立ちたい、という思い

思いどおりにいかなくても手を抜くことはできない


好きなことだけできるならそうしてみたい。でも、ちゃんと地に足を付けて進めるのか不安もあって、
自分の中でいつも二つの思いがせめぎあっています。

最初の勤め先は、太陽光発電の遠隔監視システムのソフトウェア開発をしている会社でした。
主にWebで完全スクラッチの自社開発です。
2012年4月の新卒入社当時、社員数は200名弱の中小企業でしたが、東日本大震災で起こった原子力発電所の事故の影響で、いわゆる太陽光バブルに後押しされ、すごい勢いで伸びていたベンチャー企業でした。
海外営業を志望して就職したのですが、営業職はかなり人気が高く、研修後に技術職を勧められてそのまま開発部署へ配属となりました。
特に営業職に憧れがあったわけではありません。本当は、文章を書いたり文字にしたりする仕事をしたかったんです。
就職活動時は、出版社や新聞社ばかりを第一志望として受けていました。しかし、リーマンショックから就職氷河期になり、応募した約80社はすべて落ちてしまいました。このままでは無職になると焦り、せっかく英語ができるのだからと海外営業職を募集しているところを受けるように切り替えました。
英語は、小学5年から中学1年までアメリカのデトロイトに住んでいたのと、帰国後もマンツーマンレッスンで教わったり、大学の英語部でもスピーチをするなどして続けていたので、忘れることなく身についていました。
せっかく自分のスキルを活かせると思って入社したのに、技術職へ回されたことにショックもありましたが、生活を考えると選択できる余地はなく、まあいいか、と開き直ることにしました。
そんな中で良かった点もありました。
一つは、本社がある京都に住めることです。
日本史の、特に幕末が好きということもありますが、大学の専攻で建築の都市計画を学んでいたのもここに由来します。京都の建築様式や神社仏閣自体が素晴らしい上に、その配置や街並みにも心惹かれます。趣味に読書があるのですが、個人経営の素敵な本屋さんなど趣きがあり、景観に溶け込んでいる小粒なお店たちのセンスも良くて、思わず京都・観光文化検定を取得したくらいです。私の人生に京都編があってもいいよな、と常々思っていたので魅力的でした。
もう一つは、研修後に各部署でOJTを受けた際、話をしてみて一番信頼できる先輩がいたのが技術部だったんです。他の部署では説明するときもなあなあにされたところがあり、どう納得したらいいのか困ってしまったのですが、技術部はちゃんと根拠をもって最後まで教えてくれて、この先輩たちなら安心だと感じ、進むことができました。
しかし、実際の業務は大変厳しいものでした。
ごりごりのスクラッチ開発なので、当たり前なのですがひとつひとつ作っていかなければならないし、ここでしか通用しないスキルばかりを身につけているようで、段々と息苦しく感じていくようになりました。軽微なことでも、なにもかも上に説明して納得させてからでないと動けない状態で、知識も経験もない若手の発言など無力だとわかっているものの、余計な感情抜きに話を聞いてくれてもいいじゃないかという苛立ちがありました。

人の役に立ちたい、という思い


学生の頃から、人の役に立ちたいという思いがありました。
拍車をかけたのは就職活動時です。ぜひ勤めたいと希望を胸に応募するのですが、不採用の連絡がどんどん積み重なって、自信があったことも否定され続けている気分になり、無力感にさいなまれました。
なので、自分は役に立ちたい、人のためになりたい、といっそう強く思いが募ったのかもしれません。
その欲求からも、今の仕事を続けていてもいいのだろうかと疑問が湧き、どうせやるならもっと汎用性の高い開発をしてみたいと考えたのと同時に、もういいかげん技術から離れたいという、相反する感情が出てきたため、転職先も二軸で探し始めました。
とはいえ、未経験の職種は現実的ではないと考え、今持っている自分の能力をベースに、近いジャンルへシフトチェンジしてみたらどうかと思い至り、Webデザインを覚えるために半年ほど学校へ通いました。
そこで学んだことを手にWebの制作会社と、ダメ元でずっと気になっていた大好きな出版社へ応募してみたんです。海外文学やSF文庫が有名な会社で、あわよくば翻訳や校正ができたら楽しいだろうな、と。
しかし、残念ながら最終面接で落ちてしまい、結局、制作会社の方に就職することになりました。
そこは社員が150名ほどいるクリエイティブの会社で、Webサイトの制作や広告の最適化、運用の提言などを行っていました。社長の口癖が「好きにやってみなはれ!」であるように、事業化できれば何をやっても良しとされ、オープンな雰囲気が魅力的でした。
実際に目から鱗の人材が多く、自分の得意分野や趣味を活かした企画で、しっかり利益を出している人たちがいて、人間楽しいことをしてもお金を稼いで生きていけるんだ!と実感しました。
そんな自由な社風の中で、私は一番堅い部署に就き、Web開発やサーバー回りを担当していました。
制作物(Webサイトやシステム)のバックエンドで携わらせて頂いたり、社内情シスなどもするIT周り全般を見るような位置です。
技術職ではありますが、前よりも応用が利きますし、オフィスの一階にあるコワーキングスペースで様々なイベントを催すことが多いため、一気に人脈が広がり、あらゆる刺激をもらえて、自分に自信が持てるようになりました。
また、IT担当が少なかったため重宝されましたね。時々、お客様に仕様説明をする場に連れ出されることがあったのですが、より説得力を上げるために細かい技術的な説明などを任されたりもしました。こんな若造でも頼ってもらえて、それに応えられていることが嬉しかったです。ようやく、人の役に立つということができてきたんじゃないかと思えました。
すべてが前社と真逆に感じました。会社全体が業務の円滑化に力を注いでいたのですが、上手なんですよね、コミュニケーションの取り方が。上下関係も分からなくなるくらい非常にフラットな社風で、裁量もかなり与えられていましたし、職場環境を整えることで社員からストレスを除く工夫をしているので、居心地がよかったのを覚えています。
ですが、約1年半が過ぎた頃、ずっと気にかかっていたソースコードを書く仕事への違和感が高まってしまったんです。
他人が書いたソースコードをメンテナンスをすることはよくありますが、いにしえの案件を引き継ぐと大抵は誰も情報を知らないんですよ。メンテナンスし続ければいいのですが、担当替えが起きると継続することが難しくなるので、時間の経過とともにいずれ陳腐化してしまうんだろうなという強い意識があって・・・無責任に、このあとどう扱われるか分からないコードを量産していくことに耐えられなくなりました。効率も考慮してものづくりを楽しんでいる同僚たちに囲まれていたせいか、より自分の業務に対するネガティブな感情が際立って見えてしまったんです。
転職エージェントに登録し、いろんな企業を紹介していただいて、最終的に面談を受けたのはUGともう一社でした。
以前、ITリテラシーが高くない社員に対して図で説明したり、相手の話にとことん付き合って解決を促した経験を思い出し、困っている人の手助けすることが得意だということに気付いたんです。今までのキャリアを活かしつつシフトするなら、情シスが向いているんじゃないかと考えて、この二社に絞りました。
UGではないもう一社の方は、よく知られているプロジェクト管理ツールのヘルプデスクだったので、もとより関心が高かったのと、従業員の3分の1が外国人のため英語が日常的にある環境で、しかも褒められる機会が多いと聞いて「それ超いいな!」と思ったんです(笑)
ただ、一旦就いた仕事から変わることがないらしく、キャリアパスが難しい印象を持ちました。
あと、結局ソースコードを書く業務があると知って辞退しました。それが決定打でしたね。
当時、まだ大阪に住んでいたので、UGとはWeb面談が最初でした。その後、対面で須田さん(社長)とお話しして、前職の社長と考え方が非常に近いと感じ、自分はUGとも親和性が高いんじゃないかと直感的に思いました。中小企業を助けるという企業理念も魅力があり、入社を決めました。
予想通り、すんなり馴染めたところはありますが、当然ながらやはり違いもありましたね。UGの方がよっぽど会社然としていて、かっちりしていると思いました。上場もしてすごいな、シンプルに締めるべきところは締めるんだな、と。

バランスを思い悩みながらも進んでいく


入社から現在まで、ステイオン(フルタイムで「常駐」するサービス)で1社担当しています。
稼働して1年ちょっと経ちますが、おかげで一般的な情シスとしての業務を学べたような気がします。
ただ、最近になって、稼働当初にあった業務のムラや違和感に対する「変えよう!」という非常に強いエネルギーが、1年間自分で策定した運用を実施していくうちに、前ほど明確な意志が持てなくなっていたことに気付きました。この慣れは良くないと、再エンジンをかけましたね。
あと、ずっと抱えている自分の課題として、引継ぎをいかに滞りなくできるかというものがあります。
一筋縄ではいかない問題ですが、もし、誰にでもできるような汎用性の高い仕事へ組み替えて繋いでいくことができれば、誰が休んでも代わりがいる、フォローしやすい体制が作れるのではないかと考えています。これを踏まえて、これまで経験したことがないルールがしっかりとした大きな組織体系の会社にも入ってみたいです。
でも、長期的な視点でいくと、まだちょっと迷子です。
池上彰さんの「なぜ僕らは働くのか」という中高生向けの本を買っちゃったくらい(笑)
これまではLinuxやMacが主だったので根本的にWindowsが不得意だったり、ネットワークもなんとなくでやってきてしまったので知識が乏しく、技術力不足を痛感しているのですが、仕事は「仕事」の時間でしか頑張れず、オフになると勉強する気になれなくて限界が見えてくるんです。
厳しい環境でお客様や同僚が頑張っていたりすると、そこまでのことができない自分が不誠実に思えてならないのに、休日は読書会に参加したり、レビューブログを書いたりして、趣味仲間のコミュニティを大事にしてしまうんです。
だからといって、本当に気の赴くままに興味があることだけを突き進めるとまったく畑違いの分野になってしまうし、30歳で大幅な軌道修正をするにも、生活資金を確保するのは段々難しくなってくるし、悶々としています。
私の中で、文字に携わることと人の役に立つこと、この二つがずっとせめぎあいになっているんですよね。きっと、これからも悩んでしまうと思います。
それでも、UGで仕事をすることで、少なくとも人のためになっているかな、と。なんだかんだ言って「仕事」になれば集中してしまうので、自分自身もどうしたものやらとあぐねています。
UGは、RPGでいう「酒場」に近いかもしれません。
モンスターを倒すなどの依頼が載った案件と料金が掲示板に書いてあって、その為の仲間を募り、情報交換する場所です。分からないことがあればとことん話し合って解決しようという風土があるので、ためらいがちな小さなことでも、議論の場に出していって良いんだと思うようになりました。

※本記事は2020年07月に執筆したものです。

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