なにをやっているのか
当社は安政元年(1854年)の創業以来、京都・宇治の地にて茶業ひとすじ160余年、
代々誠実を旨とし、真に味わい豊かなお茶の提供を本義として、切磋琢磨し続けて参りました。
現在では、茶葉の販売のみならず、お茶を使ったスウィーツの製造や、カフェの運営を行いながら、
国内外・遠近を問わず、日々多くのお客様にご来店頂いております。
なぜやるのか
私たちが属する茶業界では、もう何十年と「お茶は売れない」と言われ続けています。急須でお茶を飲む人や習慣が少なくなるにつれ、茶の生産家や、問屋さん、お茶屋さんも減りました。一体何が悪いのか、その原因と責任はどこにあるのか、侃々諤々と議論し続けられていますが、未だに答えは見つかりません。
しかし時間の経過が解決してくれる訳もなく、私たちは私たちの答えを、考えなくてはなりません。
その一つとして私たちは、「人がお茶から望んで離れたのでなく、私たち自身が、人からお茶を離してしまった」のではないかと考えています。お茶は嗜好品であり、無くても生活には何ら支障はありません。「好きだから」飲むものである以上、「飲みたくなるだけの理由」を私たちが創造しなければ、誰も欲しいとは感じません。それを怠り続けた結果が今日であり、人がお茶から離れた理由であると。
私たちの仕事は、お茶が持つ素晴らしい魅力を様々な形で創造し、提供することです。それを提供することで、人が和み、癒され、素敵な時間を過ごすことができたとき、お茶や私たちが存在する意味が生まれるのです。 現在提供している、スイーツやカフェはお茶の魅力を伝えるための形の一つです。単に急須で飲むお茶が売れなくなってきたから。ただそれだけの理由で始めたのではありません。
ですので、それぞれの商品は徹底的にお茶の魅力に溢れていなければ、出す意味がありません。カフェの雰囲気や接客、物販スペースのディスプレイは、お茶の魅力をきちんと感じるものでなくては、提供する必要がありません。全ての商品、言動になぜそうするのか、意味や理由が必要です。
提供する側である私たち自身が、心から美味しいと感じ、わくわくし、楽しいと思えるようなものづくりをしなければ、人に魅力を伝えることなど不可能です。ただし、これほど難しいこともありませんが。
どうやっているのか
今日まで永きに渡り続いてきたあらゆる伝統には、それぞれに残ってきた理由があります。全てに共通するのは、必要とされるように変わり続けて来た結果、今日に至ったことです。今まで何の疑いもなく当たり前に思っていたことに疑問を持つこと。新しい何かを求めること。そしてそれと同じくらい、絶対に守らなくてはならないことは何かを考え、人が必要とするよう変えてゆくことが、私たち現役世代に課された仕事です。