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スリィ・ウェイブ設立までの経緯

私が社会人になってから設立するまでを書いてみました。 何処にでもいるサラリーマンでしたが、振り返ると人より少しだけタフだったのかな、と感じます。


■社会人の初期はダメエンジニア

私は元々システムエンジニアです。 大学を卒業しそのまま都内のソフトハウスに就職しました。 時代的にはWindows95の発売からインターネット時代の幕開けといったあたりで す。 当時は就職氷河期ではあったもののIT企業だけは積極採用しており、その流れか らの就職ということで、ITに特に興味があった訳ではありません。長く生きてい くにはエンジニアが良い、という誰かの入れ知恵にまんまとハマった訳です。 プログラマとして採用されたのにもかかわらず、コンピューターがいまいちわか らず、先輩に迷惑をかけながら後輩にプログラミングを教えてもらったりしてい ました。

当時を振り返ってみると、遊ぶ方が好きであまり仕事に対して前向きな感じでは ありませんでした。


■SEとして花開く

そんな状態で2~3年プログラミングを経験したのち、設計をするようになりまし た。設計は周囲の人と話をすることが多く、この時意外と力を発揮できてきた感じがしました。 プログラミングよりコミュニケーションが得意だと感じた瞬間です。


■開発マネージャーでタフになる

その後はお客様と話すことが多くなり、28歳くらいからは請負開発のマネージ ャーとして、お客様との打合せや要件定義、開発管理とマネージャー業務をひたすらこなす日々でした。

チームを作ることから始め、案件獲得に向けた活動から納品、売上・原価管理まで仕事の幅は多岐に及び、この仕事にはやりがいと楽しさを非常に感じていました。

しかし、当時の会社は仕事は全て受けろ、という方針。。。

自分の許容量を超えて仕事をしていた(させられていた)結果、納品物の品質は いつもボロボロ、自分の担当外からも噴火直前のキラーパスが飛んできたと思えばお客様に乗り込まれる始末。部下やパートナーさんにも負荷を強いる必要があり、そして自分は家にも帰れない。

夜中の2時過ぎにビールを飲みながら納品物のレビューしていた等、腐っていた時期もありました。

責任はやりがいにもつなりますが、精神的な負荷にもなります。この時の大きな負荷により私の精神は相当タフになりました。


■結果、仕事に対する自分の姿勢を見つけることが出来た

私が仕事をしていたお客様は皆様とても仕事が出来る良い人で、常に刺激をもらい ながら仕事をしていました。

しかし、度重なる納品物の不良からお客様にご迷惑をおかけしている、と肌で感 じており、それが嫌で嫌で仕方がありませんでした。(品質を高めようにもリ ソースがない)

そこで、自分のペースで品質の高い仕事をしたいし、仕事は本来楽しくあるべき、と強く思 い会社を立ち上げることを決意、当時の会社を退職しました。


■リーマンショックの翌月に会社を設立

そして、メンバー集めや事務所探しなどの設立準備期間のさなか奇しくもリーマ ンショックが発生したのですが、大きな不景気になるとは想像しないまま株式会 社スリィ・ウェイブを設立しました。

リーマンショックが発生した翌月の事です。


~~ 次号へ続く ~~

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