the Right Designには社員、業務委託、インターンを含めると10名のメンバーが在籍している。それぞれの肩書は様々で、クリエイティブディレクター、UI/UXデザイナー、インテリアデザイナー、グラフィックデザイナー、コンテンツディレクター、ビジネスプロデューサーなど、多種多様である。年齢もバラバラで新卒から40代手前まで幅広い。表題にある「なぜ我々はブランディングから地方創生まで幅広くデザインを任せてもらえる会社なのか」の問いに対する回答は、このように幅の広い職能を持っているメンバーがいて、それぞれが自分たちの領域を少しずつストレッチしながら互いにコラボレーションし、柔軟にプロジェクトを進行できる土台があるからということになる。今はこれがすごく機能している。だからブランディングでも、地方創生でも、コーヒーチェーンの立ち上げでも、海外案件でも、デザインに限らずなんでも来いと自信を持って言える。しかしこれは比較的最近上手くいきだしたスキームで、これが回りだすまでにたくさんの失敗や試行錯誤があった。立ち上げ当初は、この幅の広さがかえって会社としてまとまりのなさも生んでいたし、仕事もメンバー間でうまく回せなかった。では、どのようにしてこれを機能させていったのか。
そもそもなぜ、このような多分野のメンバー編成になっているかというと、立ち上げ時の僕の無茶な仮説が関係している。
僕は「広い意味でのデザイン会社」を作りたかった。その気持ちは今でも変わらない。立ち上げた当初は「広い意味でのデザイン会社」には分野をまたがって多様なデザイナーがいるべきで、「デザイン」の頭の使い方ができるのであれば、今はつくる技術がなくても簡単に業界を越境していけるのではないかと考えていた。例えば、インテリアデザイナーがその業界で培ったインテリアデザイニングの頭の使い方をすれば、Webデザインもある程度できるのではないか。他分野からデザインディレクションの立場を取りつつ、専門のデザイナーとコラボレーションして、業界の慣例にないような視点を入れながら作り上げていくと、新しい試みのデザインができるのではないかと考えていた。バスケットボールのピボットみたいなイメージだ。軸足さえしっかりしてれば、もう片方の足で全方位どこにでもいけるのではないかと仮説を立てていた。
しかし、これはかなり甘い見積もりであった。2ヶ月くらいで無理だとわかった。今思えばそりゃそうだろうとも思う。単純に違う業界のデザインについての知見や事例、そもそも興味がない状態で専門家に口出ししながらでもデザインを作りあげていくというのはなかなか難しいことだった。広告業界にいた僕は、自分がこれまでにデザインしたことのない分野の専門家に対して意見を言ったり、指示を出すことを求められたりしていたので、そのようにしてコラボレーションしてモノを作り上げていくのは普通だと認識していた。しかし、すべてのデザイナーが浅く広くやっているわけではない。むしろ多くのデザイナーは個々の分野での専門性を磨いているのだ。僕はあまりに他の業界を知らなすぎた。実際、当時インテリアデザイナーにWebの仕事をしてほしいと依頼をしたが断られるという経験をした。
他分野への越境は困難であるとわかった以上、それぞれの専門分野を活かしていくしかない。しかし、インテリアやWeb、UI/UXの業界につてがあるわけでもなく、僕自身のキャリアとしてそういった仕事をやってきたわけではないので、僕にくるデザインの相談はやはりブランディングだったり、広告やプロモーションの類が多い。さて困った。
そんな時期に、現在も続いている「京丹波町」のタウンプロモーションの仕事が本格的に始まった。この仕事の依頼内容はざっくりと「町をどうにかしてくれ」というもので、明確に何か作ることや予算が決定していて、それを委任されたわけではない。自分たちで何を作るかから考えて決定し、実行していく必要がある仕事だ。
まず僕たちはリサーチからはじめ、数年かけて実行していくプランのアウトラインを作り、自治体へ提案した。そして採択を受けた後、計画の第一歩として、プロモーションを推進していく官民連携組織である「京丹波イノベーションラボ」を設立した。このあたりまでは僕がメインで担当した。ここまではおよそ僕の専門領域であるクリエイティブディレクションの仕事で、役場にもチームにも大きな方向性は示せたはずだ。そしてここから約半年後のクリスマスに開催を予定しているマーケット施策を含めた実行パートには、ふとした思いつきからインテリアデザイナーのメンバーにリーダーとして立ってもらった。これが会社全体に良い気付きを与える転機となった。
「他分野への越境は失敗する」という先の経験があったため、最初はやや不安であった。ここまで積み上げてきたものが崩壊しないだろうか、マーケットは成功させられるのだろうかとずっと心配していた。しかし、彼は責任を持ってプロジェクトリーディングを引き受け、徐々に官民連携チームのみんなからも信頼を獲得し、何日も京丹波町に滞在して様々な業者や京丹波の町の人たちと密にコミュニケーションをとりながら、クリスマスマーケットを成功まで導いた。京丹波クリスマスマーケットではいわゆる統合的なデザインを行った。企画立案、グラフィック、空間設計、サイン、動画、SNS、人のアサインなどすべて引き受けて実行した。この話は長くなるため別の機会にまとめようと思う。
クリスマスマーケットのプロジェクトリーダーにインテリアデザイナーをアサインする。これは一見すると、“自分の専門分野ではない仕事領域への越境は失敗する”という負の再現性が存在したところだが、何の差分があって成功させることができたのだろうか。
インテリアデザインという仕事を振り返ってみる。僕も彼と一緒に仕事をして初めて知ったこともたくさんあるが、そもそもインテリアをデザインするというのはかなり几帳面なプロジェクト進行能力があって成り立っている。クライアントを始め、施工業者、素材業者、照明業者、家具業者など、多方面の業者と連携、コミュニケーションを取って、1円1mm1分単位でいろんな交渉を重ねていくことをしないと成立しない仕事だ。この几帳面なプロジェクトマネジメント能力の非インテリアデザイン分野への応用が、複雑で関係者も多いマーケットの施策を上手く運べた要因になっていた。
加えて彼の人間性である。これまで僕は、プロジェクトに人をアサインするときにあまりここを考慮していなかった。仕事を任せる立場として、能力だけでそのプロジェクトの向き不向きを判断するのではなく、個々のメンバーの性格や人間性を見極めて、アサインするプロジェクトの質が上手くマッチングさせないといけないことに気付かされた。京丹波町では彼の柔軟でユーモアのある人間性があったからこそ信頼を各所から獲得でき、ことを上手く進ませることができたのだ。
専門性の逸脱ではなく専門性の拡張。できないことをやるのではなく、今できることを応用すること。そしてそれに、複雑で予測不可能な物事に対応する柔軟性とコミュニケーション能力を掛け合わせることで、自分の専門分野で本来の能力を発揮しつつ、その能力を他でも応用させることができ、また信頼値がデザイナーに直接蓄積されることによって仕事の幅が雪だるま式に大きくなっていく。これによって、幅の広い仕事が発生し対応できるのだ。UI/UXデザイナーがアートディレクションを、グラフィックデザイナーがリサーチと戦略立案を、それぞれが今できることを少しずつストレッチする。そして、それぞれがクライアントや関係会社と連絡を取り、直接相談してもらえる関係を築き上げていく。京丹波の一件をきっかけに発見することができたこの考え方は、会社であらゆるプロジェクトを進行していくときに再現性を持ってプロジェクトチーム組成に活きている。
立ち上げから一年半を経て、このような僕らの会社の強みやプロジェクトの進行や拡げ方はようやく輪郭が見えてきてはいるが、同時に弱みもわかってきている。弱みは端的に言えばクラフト力だ。プロジェクトの数が大量で複雑、幅も広いために、それぞれのプロジェクトにかけられる時間的なリソースが限られているのは事実としてある。今後もっと会社として成長するためには一つ一つの仕事に対して、もっと丁寧にクラフトを上げていくことをしていきたい。なので現在僕たちは、デザインの専門分野は問わないが、どんな仕事が来ても対応する柔軟性がありつつ、クラフト力に強みを感じている人が採用したいと考えている。興味を持ってくれた人は是非一度連絡をしてほしい。