2020年、東京オリンピックが行われるはずだったその年。
インバウンド向けにご当地商品を販売していた当社はコロナショックに見舞われ、売上が昨年対比単月で97%減という壊滅的な状況に陥りました。
そして2年半経った2022年8月度、インバウンド観光客が戻らない中、会社全体でコロナ前を上回る過去最高の営業利益を達成する事ができました。
ここに至るまで、当時の状況やストーリーを赤裸々にご紹介しますので、最後まで読んでいただけると嬉しいです!
コロナショック
徐々に、じわじわと「サイン」はありながらも、「ショック」は突然来たような、気がします。
2019年の12月頃から「中国の武漢で新型肺炎が・・・」というようなニュースをしていたように記憶していますが、ほとんど気に留めないぐらい、中国の一部だけの、まさに対岸の火事でした。
それが年明け2020年に入り1月、徐々に広がっているというニュース。中国人の団体客ツアーが2月に禁止になりました。それでも、個人客ツアーは来ることができていたので当時はまさかインバウンドがゼロになるとは想像はつきませんでした。
2月16日に開催された「京都マラソン2020」では、オフィシャルグッズの企画・販売を当社でしていました。「武漢加油!(がんばれ)」という看板も掲げて、マスクこそしている人が多かったものの会場も大盛況でごった返していました。
その後、どんどん風向きが悪くなっていき、3月1日に開催された「東京マラソン」では一般ランナーの参加が中止に。大規模なイベントがウイルスの蔓延によって中止になったという、象徴的な、節目になったと思います。
中国に続き他国も次々と入国禁止になり、インバウンド観光客はあっという間にゼロに。
2020年の2月度は昨年対比を上回る実績を出していたものの、3月度、つるべ落としのように売上は昨年対比95%減という危機的な状況になりました。
そして4月7日に緊急事態宣言が発出。当社も時差出勤やテレワーク等を取り入れた勤務形態に切り替えました。
売上を何とかして回復させていこうと考えましたが、メインの顧客であるインバウンド観光客はすぐに戻ってきそうにありません。何かないか探し回っていたところ、取引先のメーカーさんが衛生関連の商品を扱っているとの事。インバウンド時にパイプのある大手量販店さんやドラッグストアさんに必死に営業活動を展開し、4月度・5月度と売上はV字回復を果たす事ができました。
しかしながら6月になると衛生商品が一気に飽和。価格の下落、供給過多で売れなくなり、再び、昨年対比で売上が97%減という壊滅的な状況に陥りました。
ちょうど当時の奮闘する様子は日経ビジネスにも掲載を頂きました。
【休業寸前のスタートアップを救った「平時の振る舞い」(日経ビジネス)】
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00101/060300012/
売上が激減する中で、池田泉州銀行さんが即決で1億円の融資を決めてくれ、当面の資金繰りができる目処がつきました。
ドラマ等では「銀行は晴れの時に傘を貸し、雨が降ったら傘を取り上げる」(経営状況が良くていらない時にお金を貸してくれるが、悪くなると貸しはがす)と金融機関の非情さを言ったりしますが、私は決してそうではないと思います。
突然のゲリラ豪雨で大きな傘と長靴を貸してくれました。日頃からの信頼関係の積み重ねの有り難さを強く実感した、会社経営をしていて嬉しい瞬間でもありました。
コロナ禍
資金繰りに目処がついたものの、危機が去った訳でもなく、インバウンドの回復は一向に見えない中、一時的にV字回復をさせてくれた衛生商品も全く売れなくなっていました。
その時、当時はウイルスは夏場には収束するといった楽観論もあった中、転機になったのは「この危機は長引くかもしれない、もしかすると1年、2年と続く可能性もある。そんな状況でも、存続し、存続するだけでなく成長していける会社にしよう」という決意をした瞬間という事でした。
自社の強みをあらためて見た時に、全国150社以上、数千アイテムに及ぶご当地商品ラインナップがありました。「海外からお客さんが来てくれないのであれば、直接海外へ、売りに行こう!」という決意を持って、海外の小売店や商社、EC事業者等に売り込みをかけていきました。幸い、もともとインバウンドで外国人に売れていた商品ばかりなので外国人のニーズがあり、海外輸出はコロナ禍でも止まっていなかったので、そこにチャンスを見出しました。とはいえ分からないことだらけで、調べたり色んな方にアドバイスいただきながら、メーカーさんにも協力いただき悪戦苦闘しながらの日々でした。
主に輸出を伸ばしていくことで売上は回復し、コロナショックからちょうど1年の2021年2月には黒字化を実現。
奈良のご当地メーカーさんの商品が、台湾で単月で1,000万円以上売り上げる等の実績を出すこともでき、米国、台湾、タイ、香港、中国への販路を獲得して行きました。
ピンチをチャンスに変える
「ピンチはチャンス」という言葉がありますが、「ピンチはピンチ」だと私は思います。
ピンチはシンプルにピンチです。それもかなり厳しいし辛い。でも、そのピンチをチャンスに変えられた人や企業だけが生き残り、成功する事ができるのだと思います。
当社にとってコロナ禍はとんでもないピンチではありましたが、同時に、新たなことにチャレンジしたり、会社や事業の構造を根本から変えていけるチャンスでもありました。
2021年1月には、越境ECを通して日本の良いものを世界へ届ける子会社・アメネスク株式会社を立ち上げました。私にとっては2社目の起業、生まれ育った奈良からグローバルに活躍する企業を創りたいという思いで、奈良を本社にして設立しました。
面白いことに、国内では需要がないような工芸品でも海外では高い送料を払ってでも欲しいという方がいて、現在20カ国以上の方に越境ECで販売をしています。
さらに工芸品だけではなく、骨董品や美術品等も出張買取で取り扱い国内外のマーケットに販売する事業を立ち上げ。2022年5月からは東証プライム上場企業様とも提携がスタートし、不要なもの・捨てられるもの・価値がないと思われるようなものにしっかりと価値をつけて、モノを繋いでいく事業を展開しています。
事業にタラレバはありませんが、コロナ禍がなければ、このような事は挑戦していなかったと思います。その意味では、今はコロナ禍にも感謝をしています。
今後のビジョン
長く続いたコロナ禍でしたが、ようやく10月11日から水際対策が大幅に緩和されてインバウンド観光客が戻ってきました。
まだ中国はゼロコロナ政策を行なっていて当面は来られそうにないため本格的なインバウンド市場の回復は来年の春以降になると思いますが、いずれにせよ、パンデミックはいつかは落ち着き、食や歴史や様々な観光資源に魅力いっぱいの日本に、外国人観光客は必ず戻ってきますし、2025年の大阪万博に向けて、年間4,000万人以上の方が訪れるようになっていくはずです。
コロナ禍で売上が97%減という壊滅的な状況になった当社も、生き残り、成長するというミッションを乗り越えることができました。
今後は、このコロナ禍で培った、輸出や越境EC等のアウトバウンドと合わせて、回復するインバウンド向けにも思い出になるような商品を提供し、インバウンドとアウトバウンドの両輪でジャパンブランドを海外の方にたくさん買って頂く。
事業を通して、日本を元気にしていきたいと考えています!