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【エンジニア】起業失敗。「人生は意味がない」と思っていた僕が、今トークノートでチームリーダーを務める理由

こんにちは。2014年4月にトークノートに入社し、機能開発・改善をしているRAチームリーダー村上 豪です。僕がトークノートに入社する前と、入社してからの4年間をご紹介します。

「人生は暇つぶし」だと思っていた学生時代

学生時代の僕は、「人生は暇つぶし」が口癖なくらい特に何かにワクワクしたりすることのない人間でした。唯一、部活のバレーボールは、大会で優勝するくらい結構本気でやっていたんですけど、それも高校でメンバー変わって面白くなくなって、途中で辞めました。

受験も必死に勉強する意味がわからなかったので、全然本気で取り組みませんでした。やりたいこともないのに、何に向かって頑張るんだろう?とずっと思ってました。おまけに、長期的に積み上げて勉強して行くのが苦手で。とりあえず、センター試験で合格した大分の大学に進学しました。

福岡の実家を出て、大分で一人暮らしがスタートしました。マンション内は学生寮みたいな感じだったので、共有スペースにみんなで集まって自炊したり、遊びに行ったり、毎日楽しかったです。ただ授業はほぼ興味ないし、社会学の授業だけは面白かったんですけど、だからといって、その道に進む?と言われれば、そこまで興味はなくて、本当に何もないまま時間だけが過ぎて行きました。周りが就活をはじめても自分は特に何もしたいことはなく、やはり時間が過ぎていくばかりでした。

学生人気No.1有給インターンとの出会い

そんなある日、友達に「有給インターンに参加しないか?」と誘われました。当時、親から厳しくバイトを禁止されていたので、お金貰えるなら行ってみるかーと割と軽い気持ちで参加しました。それが学生人気No.1と言われている、ワークスアプリケーションズのインターンシッププログラムでした。

期間は1ヶ月。プログラミングでのシステム作成が課題で、その品質と速さを問われるものでした。当時は全くの未経験だったので、マニュアルを見ながらトライアル&エラーを繰り返し、とりあえずやってみました。長期的に積み上げることは苦手でしたが、短期で成果を出すことは結構好きだったので、久しぶりに何かに必死になれた気がしました。そして1ヶ月後、作成した不動産のシステムが評価され、その後内定をいただきました。

ワークスは「まじできつい」とか「不安ならやめた方がいい」と包み隠さず伝えてくれる人が多く、そのストレートさが逆に安心できました。嘘がない会社なんだろうなと思ったんですよね。綺麗事ばかり言われると入ってからギャップに困るのは自分なので(笑)辛そうだけどみんなやりたいことしてるということが伝わってきて、面白そうだなと感じました。インターン終了後、他企業3〜4社面接を受けましたが、相変わらず面白さも感じないし、一緒に働きたいとも思う会社もなく、そのままワークスに入社することになりました。

ワークスアプリケーションズでの3年間

ワークスには基本的に部署で質問せず、自分で問題を解決するという文化がありました。入社してからも篩にかけられているので、いつでも気は抜けません。とにかく自分の力で這い上がり、それで生き残れなかったら自分が悪いという考えが根付いていました。冷たいなって思うかもしれませんが、それってある意味でみんな平等な世界だったんですよね。

誰かに質問するということはその人の時間を奪うことになる。できることは自分で考え、本当に困った時だけ質問する。物事を論理的に考える力と情報をキャッチアップする力がついたのは、この経験のおかげかなと思っています。

ただ、やっぱり個人よりチームとして成果を出したときは嬉しかったですね。メンバーで焼肉を食べに行ったときのことは忘れられないです。みんなで壁を乗り越えたから、食べれたご飯。一人では食べられないご飯。そう思いました。

2年目の1月に大阪転勤が決まりました。大阪は少数精鋭チームで中堅社員以上しかいない環境だったんですけど、とにかく終わりが見えない長期案件をずっとやっているような状況でした。正直、あんまり楽しそうに働いていた人はいませんでしたね。個々の能力が求められ、チームで成果を出すという雰囲気ではなかったです。僕としては、チーム一丸となって何かを達成したいという想いがあったのと、新人も全然入ってこないため僕がずっと下っ端で、人を育てるということもなく、とにかく日々の業務をこなしていきました。

この会社の、自立しよう!という風土は凄く良かったんですけど、自立した者同士で協力関係を築くことまではありませんでした。そんなとき、同じ気持ちを抱いていた同期に「俺起業しようと思っているんだけど、一緒にやらないか」と言われました。そして、約3年務めたワークスアプリケーションズを退職し、同期と一緒に起業しました。

この頃に、妻と結婚しました。彼女はワークスの同期で、起業すると打ち明けたときも応援してくれました。貯金も全て起業のための費用に消えてしまったんですけど、それでもずっと見守ってくれて本当に感謝しています。

起業失敗、オフィスに行ったら荷物がなくなっていた

そして、26歳で起業。同期とふたりで、ポイントカードをまとめるシステムをつくりました。新しいことにチャレンジするのは、やっぱり楽しかったですね。しばらくして、システムを売りに、ふたりで飛び込み営業もしました。ただ、僕は全然できなかったんです。次第に手や身体が動かなくなって、実行することすらできない状態になっていきました。売りに行かなきゃいけないとわかっていても、どうしてもできなくて。次第に同期と関係が崩れていきました。

なんでできないのか、同期も考えてくれたんですけど、足引っ張ってるって感じがして、溝は深まるばかりでした。同期にとっては自分しかいないんだと心では分かっているけど、身体が動かない。次第に相手はオフィスに来なくなり、僕もオフィスに行けなくなりました。布団から起き上がれず、一週間が過ぎた頃、久しぶりにオフィスに行ったら同期に「もう無理じゃない?」と言われました。そして、次にオフィスに行ったときには、荷物が全部なくなっていて、「鍵返しといて」とのメッセージだけが置いてありました。

僕がトークノートで働く理由

何がダメだったかひたすらに考えました。僕の技術力がもっと高ければ貢献できたんじゃないか?と考えました。そして1ヶ月後、技術を磨くため転職活動をはじめました。

従業員数40名くらいで、技術力の高いエンジニアばかりが揃った技術系の会社を探しました。でも結局、技術面で落とされるんですよね。それなりの会社に内定をもらうことはありましたが、面白みを感じられる会社はありませんでした。

そんな中、エージェントからトークノートの紹介が届きました。当時、従業員は10名。取り扱うのは社内SNSで、求めていた会社ではなかったんですけど、コミュニケーション・チーム・組織というキーワードに惹かれました。超ベンチャーで給料も高くない。でも面白そうだなって思えました。妻も給料よりも、楽しめる環境がいいんじゃない?と背中を押してくれたので、トークノートに応募することにしました。

開発責任者2人との面接では、今ままで会ったエンジニアの人たちに比べて、あたたかいと感じたことが印象的でした。人の内面や考え方をちゃんと見てくれて、しかも自分の考えをちゃんと持っている人ばかりでした。面接と試験を受け、技術試験はギリギリ合格でした(笑)

試験結果に関してもフィードバックしてくれて、経験のある人から教えてもらえることが本当に嬉しかったです。前職ではありえないことだったので、成長したいならいい環境だなと思いました。

社長は、最初は「チャラそうだな」と思いました(笑)でも実際に話すと熱い想いを持ったあたたかい人で、組織で一度失敗している話から今後はよくしていきたいという気持ちが伝わってきて、その場で入社の約束をし、2014年4月1日にトークノートに入社しました。

エンジニアが10名辞めたトークノート暗黒期

正直、入社後に理想と現実のギャップは感じました(笑)性能は火を吹いていて、日々戦い。日によっては空気がピリピリしているときもありました。人数が少なかったので、他部署の空気とかも伝わってきて、これがベンチャーだなって感じでした。良くも悪くも、会社全体が見えるので営業ってこうやって売るんだとか、他部署の動きがわかったので、個人的にはおもしろかったです。

主に機能開発・改善をおこなっていました。先輩エンジニアからフィードバックをしてもらいながら、早く一人前になりたいという気持ちが徐々に高まっていきましたね。自分の成長次第で大きく貢献できる環境で、自分がつくった機能が世の中のためになる。そう思うと、もっと技術力を伸ばそうと思えました。そして、入社一年で、エンジニアとしては自分に任せられる仕事を自分で管理して責任を持ってるくらいまでになりました。

その後、トークノート暗黒期と言われている離職期がきたんですよね。新しい組織制度を取り入れた結果うまくいかず、SES含めてエンジニアが10人辞めていきました。その当時の僕は、その制度はやってみないとわからないと思っていたので、とりあえず全力でやってみたんです。辞めるなら辞めればいいと思っていました。自分の人生だし、それが幸せならそれでいいと、あまり深く考えていなかったんです。ですが、辞めた後の状況は悲惨な焼け野原でした。今思えば、辞めないために何かすべきだったなと後悔しています。だから今は暗黒期だったなと思っています。技術力高い人も退職し、学べる人も少なくなって、困ったのは自分たちでした。

人が辞めた後は、考える暇もなく穴を埋めるため手を動かしてました。やるしかない状況でした。

チームリーダーとしての自分

あれから一年半経ち、開発メンバーも16人まで増えて、落ち着いて考えて行動することができるようになりました。RAチームに若手エンジニアも増えたので、今はチームメンバーひとりひとりがどこでどうすれば輝けるのかを日々考えています。RAチームリーダーとして、みんなが本当に活きる環境をつくっていきたいですね。そして、組織もサービスも問題を一つ一つを改善して、気づいたら最高な状態になっているのが僕の理想です。

つまずいたときは、どうしてこの会社に入ったの?なんのために今頑張っているの?と「なぜ?」の部分を尋ねて、初心を思い出してもらうようにしています。それぞれが自分の人生に常にワクワクを感じていて欲しいと思っているので、本人がつまづいている理由はなんなのか?を追求するようにしています。これは僕が起業した時に感じた無力感をみんなには感じて欲しくないからです。あとは、それがトークノートの理念である社員のLOVE&HAPPYに繋がることだと思っています。

昔の僕の口癖は「人生暇つぶし」でした。でも今は人生にワクワクを感じています。人生の価値は、自分でつくれると教えてもらったことがあります。自分の人生に価値をつけるのも意味をつけるのも自分。

楽しい人生か下向く人生か。今は、どうせ生きるなら楽しい方がいいなと思っています。


リーダー合宿の写真

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