なにをやっているのか
寺村は、2000年に株式会社野村総合研究所の戦略コンサルティング部門に入社、08年に中国法人に副総経理として出向になり、現地で事業展開する日系(独資、合弁)企業へのコンサルティングサービスを展開して参りました。しかし、結果として、「日本人がアジア現地に出向いて、会社を変える、もしくは人を変えること」の限界を感じ、むしろ、「現地の方に日本に来て頂いて、日本を経験して、自ら変わる人を創る」ことが重要であると強く思いました。日本人アウトバウンドから、現地人インバウンドへの発想の転換です。
レストラン・バルは、経営を学ぶことができる事業単位の最も小さいものです。また、メニューを企画し、食材やお酒を調達する中で、食をベースとして、日本の1次産業や流通を学ぶことができます。同時に、浅草で店舗を展開するため、毎月のようにあるお祭りとコラボレーションして地域活動との繋がりも積極的に作ることができます。更に、そこにお客様としていらっしゃる、アジア・世界に興味のあるビジネスパーソンとも繋がることができます。
この具体的な「場」を創造し、そこにアジアに興味のある情熱的な若者に参加して頂くことによって、「世界で戦える起業家」を創ることが私たちの想いです。将来、この「場」で育った方々がアジア・日本で独立する際には、この「場」が創り出す、ブランド、資金、スポンサー、人脈で全面的に支援をします。
寺村のパートナーである、取締役の畑谷は、凄腕のクリエイティブプランナーで、大学卒業後企業に属さず一貫して自身の会社を運営し続けると同時に、渋谷にてバルを3店舗経営しています。寺村は、戦略コンサルタントという世の中から見れば保証されたポジションを捨てて、38歳にしてベンチャーを興すに至りました。私たちは互いにタイプが異なりますが、熱い想いで自らリスクをとることを選んだ経営者です。一緒に仕事をすることで、皆さんにも参考になることが多いと信じています。
なぜやるのか
アジアの現地の方にインバウンドして頂いた後、日本を体験するポジティブなサイクルを回し、アウトバウンドすることが私たちのミッションです
日本は、島国であり、豊かなるも厳しい自然の中で、歴史上、他国や他民族の侵入をあまり受けることがありませんでした。結果、共同体が発達し、農業や手工業が発達し、現在の財の源を築きました。宗教観、文化、価値観、環境が激変することはなく、互いに共通のベースを持っているため、言葉などを発することもなく、互いの意思疎通を「汲む」ことができるようになりました。高い品質の財を、極めて小さいコミュニケーションコストの中で生み出し続けた結果、世界の中でも確固たる経済的地位を築いてきました。
ところが、環境は変わりました。人口は減少局面に入り、途上国の工業が急成長するに従って、そこそこの品質の財を、極めて低いコストで手に入れることができるようになりました。インターネットの発達により、世界の距離は縮まり、イノベーティブな一部の企業の設計を、もの凄いスピードで途上国において製品に落とし込むという一連の流れができました。一方で、人口減少局面にある日本での大きな成長も見込めなくなりました。そして、日本の企業は欧米に始まり、今ではアジア各国へ、当初は勤勉かつ安価な労働力を求め、今では成長する市場を求めて進出しなければならなくなりました。一方で、アジア各国は膨大な人口と、資源の豊富さで、世界の工場として成長して富を蓄え、今では世界の消費を引っ張っています。しかし、発展の歴史が浅いが故に、新しい技術やサービスが不足しています。
根っこの部分で、仏教由来の文化を共有し、かつ物理的に近い我々は、お互いに補完関係が成り立ちます。しかし、寺村は、2008年から2013年にかけて、戦略コンサルティングファームの現地法人経営者として、アジアで奮闘する日系企業、日本人経営者を数多く見てきた中で、ちょっとした「違い」の部分で、本来であれば出せるはずのポテンシャルを十分に発揮できていない企業は少なくないと感じました。大企業は資金力があり、優秀な人税を本社、もしくは現地法人でも獲得が可能で、自力で前に問題解決をすることができるでしょう。しかし、中堅、中小企業にとって、アジア各国で密度の濃いマネジメントを行うことは本当に難しく、アジア人、日本人を問わず、多くの経営者、中間管理職、現場のメンバーの方々が苦労しているのを見てきました。
日本人は、「日本的な同質性」をベースとして、他人とのコミュニケーションを図るため、相手のコンテキスト(アジア的な異質性)をあまり重視しない傾向があります。結果、ガムシャラであればあるほど、アジア人たちには伝わらないという悪循環に陥ることになります。「どうして、私がこんなに熱意を持って、丁寧に説明しているのに、分かってくれないんだ」という想いだけが蓄積されていきます。本来、補完関係をつくることができるはずの日本、アジアにとってあまり幸せなことではありません。
日本人がアジア各国で、日本人トップのがんばりだけで、現地で成果を出すということに限界があるのです。日本の素晴らしいモノ・コトを伝える現地のヒトが必要なのです。しかし、そのヒトをどう育てるのでしょうか。そこにコミュニケーションの本質があります。人間は自分を確認する手段としてコミュニケーションをします。他人から口で教えられたことを、相手にいくら伝えても、それが自分の体験から来るものでなければ迫力が出ません。結果として、相手からの反応も迫力がありません。現地のヒトは、日本のモノ・コトを体験していない以上、いくらその良さを口で教わっても、それを実質的に伝えることはできません。
非常に重要なポイントです。寺村は5年間続けた現地法人での経営に終止符を打ち、日本に帰ってきたのは、この原体験によるものです。「日本人が現地に出向いて、日本という同質性の背景で、現地のヒトに、モノ・コトを教えることには限界がある」ということです。「現地のヒトが日本に来て、日本のモノ・コトを体験し、それを現地に持って帰る」というサイクルを確立しなければならないと強く思いました。
私たちが提供する事業、これから創っていく事業は全て、この「日本のモノ・コトを伝える、アジアのヒトづくり」を支えるものです。教えるのではなく、体験の機会を提供することです。何かのかたちを作るのではなく、体験の場で皆で音楽を奏でることです。音楽は、文化、価値観レベルで人の心に届きます。私たちが音楽を奏でた時に、文化、価値観の深い部分はアジアの方々に共有され、そこで始めて日本のモノ・コトが現地で花開くのです。
壮大な計画です。事業としての効率も決して高くはありません。
しかし、ヒトを創ることが、日本、アジアそして世界の未来を明るいものに変えていきます。
そのために、皆さんのお力を貸して頂きたく思っています。
どうやっているのか
最初の「場」の事業として、浅草にて住居付きのレストランを展開します
やる気のあるみなさんを総合的に応援します
レストラン・バルは、経営を学ぶことができる事業単位の最も小さいものです。また、メニューを企画し、食材やお酒を調達する中で、食をベースとして、日本の1次産業や流通を学ぶことができます。同時に、浅草で店舗を展開するため、毎月のようにあるお祭りとコラボレーションして地域活動との繋がりも積極的に作ることができます。更に、そこにお客様としていらっしゃる、アジア・世界に興味のあるビジネスパーソンとも繋がることができます。
レストランの経営・運営全般です。単なるホールや調理補助というくくりではありません。経営、企画、調達、調理補助、ホール、地域活動の全てに参加をしていただきます。私たちは、経営数値を毎日開示します。その上で、ポジショニング、ターゲッティング、それを実現するためのアプローチを皆さんと一緒に日々修正していきます。メニュー開発では、留学生たちと一緒に、日本の良さを残しつつ、アジアの方々に受け入れられるメニューがどのようなものかを日々考えます。調達では、農家、漁港、造り酒屋などに赴いて五感で感じたものを調達します。地域活動では、浅草で毎月行われる祭り、イベントへ参加します。この連の活動を皆さんと行います。
この具体的な「場」を創造し、そこにアジアに興味のある情熱的な若者に参加して頂くことによって、「世界で戦える起業家」を創ることが私たちの想いです。将来、この「場」で育った方々がアジア・日本で独立する際には、この「場」が創り出す、ブランド、資金、スポンサー、人脈で全面的に支援をします。
寺村のパートナーである、取締役の畑谷は、凄腕のクリエイティブプランナーで、大学卒業後企業に属さず一貫して自身の会社を運営し続けると同時に、渋谷にてバルを3店舗経営しています。寺村は、戦略コンサルタントという世の中から見れば保証されたポジションを捨てて、38歳にしてベンチャーを興すに至りました。私たちは互いにタイプが異なりますが、熱い想いで自らリスクをとることを選んだ経営者です。一緒に仕事をすることで、皆さんにも参考になることが多いと信じています。