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脱構築建築主義からオーガニックへ

エンジニアとして、起業家として、帰国子女として、約40年かかった引き出しいっぱいのタンス。SuperOrganicFoods創業までのストーリー仕立てで紹介します。*一部、MYLOHASさんのインタビュー記事を抜粋しています。

"子育てしながら続けられる働き方を探してたどり着いた自分らしい生き方。"

  ー女性が活躍するには海外へー

私の父は、40年前に女性は日本では将来は結婚や一般職ぐらいしか選択肢がないから、海外へ出て好きなことを学び活躍できる人になってほしいという考えがありました。父は、敗戦時に7歳でとても苦労して育ったので、娘達にはできる限り好きな事ができる機会を、また広い世界に羽ばたける精神性も持たせたいと考えていたようです。

日本の小学校と中学校に通いましたが、自然と海外へ意識は向いていたと思います。父も経営者であり、両親ともに献身的なクリスチャンということもあり、ちいさいころからたくさんのお客さまの話を食卓で聞きながら育ちました。多様な宗教や文化の違い、多くの種族や国が存在することは幼心には魅力的でした。その頃に垣根を越えた人との接し方を自然と身につけたのがのちに役に立っていきます。

  ー人生の節目での出会いが導いてくれたー

海外へ行くというオープンな家庭のようですが、基本的にとても厳しかったので、中学のころは反抗期でした。普段の授業はさぼったり、頭を染めてみたりもしましたが、作文コンクールで入賞するなど、英語、算数、美術、作文はずば抜けていい点でした。

当時の担任の先生が私の可能性を見てくれて、高校で留学するときに推薦状を書いてくれました。今から思うと、人生の節目で私の個性を見てくれる人に出会えたことが、今の自分らしさに自信が持てるキッカケになってい ます。私も子ども達やそういう人になりたいと思っています。

  ーコンテンポラリー建築とオーガニックフードの関係ー

私が学生だった時代は、脱構築建築主義の真っ只中で、今は亡きザハ・ハディッド氏に教わったり、パリまでいってバーナード・チュミ氏から講義を受けたり、世界で一番変わった建物を作ってやろうと思っていました。23歳で会社を作り、父の会社で経営を学びながら、ロゴデザインや展示会にちいさなブースデザインから狭小住宅、大きなプロジェクトのプロジェクトマネージャーまで、奇抜な建築デザインに関わってきました。その後、数学解析と構造建築の専門に興味を持ち、柔軟で自由な構造設計が与える革新的な建築デザインの可能性にのめり込みました。建築は通常100年単位で考えるものなので、長く残す、保存するという意味では、持続可能な地球に優しいオーガニックとすこし共通点があるかもしれません。

子どもができたことが大きな人生のターニングポイントになり、体やホルモンバランスが変わったこともあると思いますが、長男を出産して4カ月経ったとき、仕事と赤ちゃんを育てることの両立が私にはできないと、壁にぶつかったのです。まるで、右脳と左脳が入れ替わったように。デザインもですが、社長として指示も出さなければいけないのに管理・統括もままならなくなり、随分悩んだ末に、仕事の最前線から一旦降りることにしたんです。


続編は次回に。

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