株式会社小学館集英社プロダクション(以下、ShoPro)の専務取締役・中島一弘は、大学卒業後に新卒入社した生え抜き社員。教材の企画、英語教室の先生、採用担当などさまざまな現場を経験した、長い会社でのキャリアを振り返り評したのは、「いつもおもしろかった」という驚きのひとこと。中島とShoProという会社の“素顔”に迫ります。
志をもってアメリカへ留学。しかし「なんとなく」ShoProに入社
中島は、(意外にも)真面目な大学生だったと言います。早くから広告代理店への就職を希望し、そのためのマーケティングの勉強を志すものの、大学で教えられたのは、マルクス経済学。自分のやりたい勉強とのずれを感じた中島は、アメリカの大学に留学することを決意します。
中島 「大学 3年までに卒業に必要な単位をすべて取得しました。その後は留学資金を稼ぐためのアルバイトをしながら、留学先を調べるところから、渡米先での生活の手配までのすべてを自分でやり、留学を決行しました」
それから3年間、ワシントン大学で実践的なマーケティングを専攻。そのままマスターへ進み勉強を続けるつもりでいたところに、日本から一本の電話が入ります。
中島 「『大変だ!就職先がないぞ!日本に戻ってこい!!』と親からの電話で日本に呼び戻されたのです。日本に戻ってみると、たしかに新卒採用を取りやめる企業が続出。時代は就職氷河期に突入していました」
希望していた広告代理店への就職でも、新卒採用を続けていた大手広告代理店の最終面接まで残るも、結局全滅。
中島 「そこからはけっこういい加減でした(笑)。眺めていた新聞の求人広告で『小学館プロダクション(当時)』を見つけ、プロダクションなら間違いないだろうという名前のイメージだけで採用試験を受け、なんとなく入社を決めてしまいました」
ShoProでの初仕事は、中学生向けのクロスワードパズルの作成でした。
中島 「 『これが本当に仕事か?』『こんなに楽しい仕事でいいのか !?』と思ったのを覚えています。会社の雰囲気も良くて、みんながおもしろいものをつくろうとくだらないことを真剣に議論していました。 『子どもにウケるダジャレはなんだ!? 』とかね(笑)」
教材の商品企画の仕事をしながら、実際に教材が使われる現場を知るために、週に4日は小学館の英語教室で子どもたちに英語を教えるという、会社員と先生の両方をこなす新入社員時代を過ごしました。なんとなく入社したShoProでしたが、そこでの仕事は『楽しくて、意外と自分に合っていた』と話します。
新しいことに次々と挑戦。「やりたいことが溢れていた」
30代に入った頃中島はShoPro初の海外赴任を命じられます。場所はハワイ。駐在員や現地の子どもたち向けに教育サービスを提供する子会社の設立を一手に任されたのです。
中島 「場所がハワイだったので、みんなには『本当に仕事か!?』と言われていましたが(笑)、事業計画・予算立案から現地の就業規則の作成・採用面接など、会社立ち上げのすべてをイチから担当しました」
バブル崩壊により現地の日本人駐在員の多くが引き揚げたため子会社も撤退することとなりましたが、頼る人がいない海外の地で、ひとりで会社を立ち上げた経験は中島にとって大きな財産となりました。
入社当時から、新しい教材の開発やシステムの導入、研修メニューの考案など、新規プロジェクトを任されてきた中島。
中島 「新入社員研修のメニュー開発を任された時には、研修メニューなどまったくわからなかったので、他社の新入社員研修に潜入したこともありました。僕が考案した研修を受けて、僕より先に偉くなっちゃったやつもいたりして。研修メニューが良かったからでしょうね(笑)」
中島 「 ShoProは、経験の有無に関わらず若手にどんどん新しいプロジェクトを任せて、自由にやらせてくれる風土があります。それにより多くを学ぶことができました。自由に勝手にやりすぎて失敗し始末書を 5回ぐらい書きましたが、辞めさせられたり降格させられたりすることはなかったです(笑)。失敗に寛容な会社ですね」
新しいことへの挑戦に果敢なのは、ShoProの風土もさることながら、中島本人の資質によるところも大きいと言えるでしょう。
中島 「とにかくやりたいことが多すぎて。たとえば会議に出ると、『あれはこうしたほうがいいな』『こういう商品が必要じゃないか』など、引っかかったことをメモしておくのです。メモはどんどん貯まっていって、やりたいことがあふれていました。そういう引っかかりを持つこと、つまり “気づく力 ”はすごく大切だと思いますね」
そんな中島だからこそ、ShoPro人生を振り返り、こう言い切ります。
中島 「いつも何か新しいことにハマっていたので、仕事は常におもしろかった。辞めたいと思ったことは一度もないです」
子どものためになぜそれが必要かの大義を貫く。震災では教育事業の力を実感
自由な社風の中、何事も楽しむ才能を武器に、順風満帆に進んできたように見える中島ですが、もちろん仕事の難しさ・厳しさを感じるできごとを多々経験してきたと語ります。
中島 「保育園や教室を数多く展開している中で、新しいシステムや制度を導入する時などは、時間がかかります。先生たちは専門性が高く、自分たちなりの教育に対する理想を持ち合わせるなど、意識も高い。保護者の方はもちろん、教育はお子さまの将来に関わることですから、何事に対しても非常に厳しい目を持っていらっしゃいます。
ですから単に『新しいから導入しましょう』では納得していただけません。子どものためになぜそれが必要かという大義を、納得いただけるまで説明し続けることが求められます」
実際、そうした地道な説得で導入まで数年かかったプロジェクトもあったそう。教育という分野で人を動かす難しさを感じながらも、同時に人が果たす役割の大きさを感じたと当時を振り返ります。
中島 「いったん信頼関係を築くことができれば、『中島さんが言うことなら信じられる』と言ってとことん応援してくれる。ずっと長くおつき合いしていただけるんです。やはり人としっかりと向き合い、飾らない考えをぶつけ合うことが大切だという、人対人の原点を現場から学びました」
人の力とともに、教育事業の力を感じるできごともありました。それは阪神淡路大震災、東日本大震災の時のこと。ShoProが展開する英語教室に通う多くの会員が被災しました。
中島 「先生と手分けをして、被災した会員さんをすべて訪問したのです。すると家が被災してしまったのに “また教室に行きたい ”と言ってくれるお子さん、焼けてしまった教材の代わりに新しい教材を渡すとすごく喜んでくれるお子さんがたくさんいました。たかだか週一回通うだけの教室の存在が、子どもたちが前に進む力になっているということが、すごく嬉しかったですね。教育事業には、僕らの仕事には、そういう力があるのだと確信することができました」
クリエイティブな人材の育成に貢献。“人づくり”のShoProを目指す
新卒でShoProに入社してから役員になるまで、30年間現場をけん引してきた中島は、2014年に専務取締役に就任します。専務になった心境について次のように話します。
中島 「寂しいです!あぁ、また現場から遠くなるなぁと思って。やはり現場に育ててもらいましたし、あらゆる発想は現場から生まれてきますから。まだ現場でいろいろとやりたいことがたくさんあったのに!(笑)」
現場とは少し距離を置いているからこそ見える視点から、各部・各社員が目指すゴールに向かえるような環境をつくるため、黒子に徹する決意をした中島。
専務となった中島は、「ShoProを、人づくりがうまい会社にしたい」という新たな目標を据えました。
中島 「 ShoProが手掛けるメディア事業や教育事業は、それぞれビジネスの性質や事業内容は違えど、共通しているのはすべて “人 ”でやる仕事だということ。だからこそ、人の力を強くしていかなければならない。人を大事に育て、活かしていくことに投資をしていきたいと考えています。そして人の力で、ShoProの未来を切り拓いていかなければなりません。
ShoProの経営理念である、学びに楽しさをプラスする、あるいは楽しさの中に学びを内包する『エデュテインメント』を創造するには、不真面目なことを真面目にできる人がいいと思うのですね。ちょっとした遊び心が大切だと思うのです。そういう感覚をもったクリエイティブな人材をつくっていきたいですね」
ShoProが展開する教育事業においても、自分で遊びを見つけ、さまざまなことを経験することから学びを得ることを目指しています。それはまさに遊び心を持ったクリエイティブな人材の育成に貢献する事業でもあります。
中島 「ですから、たとえば 『実はわたし、小学館アカデミー保育園に通っていました』という人が、ShoProに入社してきてくれたらそ!それはもう、最高の喜びかもしれないですね」
社員の人づくり、そして社員を通じた「エデュテインメント」により社会における人づくりを目指し、中島はこれからも挑戦を続けていきます。
Text by talentbook