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脱「つまらない人間」

こんにちは!

SEKAISHAの笠巻です!

今回はインターン生の岡村知香さんに、「つまらなさ」について語っていただきました。

人生がつまらない、自分はつまらない人間だ。

思うことは簡単ですが、「つまらない」だけで思考停止していませんか?

今回は、そんな日常に「つまらなさ」を感じる人に読んでもらいたい記事です。


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こんにちは!インターンの岡村知香です!

ときどき、「自分はつまらない人間だ」と言う人がいます。

今回はそんな人に向けて、つまらなさに対する私の考え方を書きたいと思います。


「つまらない人間」って?

つい一週間ほど前、ある友人がこう言っていました。

「私って、取り柄のないつまらない人間だなあ…」

彼女は素直で、真面目で、自分には厳しいけれど、人にはとことん優しい人です。せっかく素敵なところがたくさんあるのに、自ら「つまらない人間」認定をするなんて。つまらない人間というよりむしろ、私には「もったいない人間」に見えます。

私は自分のことを、つまらない人間だと思ったことはありません。でもそれは、自信があるとか、面白い人間だと思っているとか、そういうことではありません。「自分はつまらない人間だ」と言った友人とは、つまらなさに対する考え方が違うのだと思います。

「つまらない」という言葉は、詰まる(=納得する)/詰まらない(=納得できない)という意味から、だんだん現在の使われ方に変化してきました。現在は、面白くないという意味で使われていますが、もともと単語が持っていた「納得できなさ」を内包しているように思えます。

「あの人はすごいなあ。それに比べて自分はなんて面白味のない人間なんだろう」

「自分には特別なところがないや…」

つまり、誰かと比べて、なにかと比べて、今の自分に納得できない(詰まらない)人間なのです。

そこから脱却するために、多くの人は無理をします。興味もないことを無理やり始めてみたり、自分の気持ちを無視して誰かのマネをしてみたり。けれどそれでは疲れるばかりで、その人が初めから持っていた面白さがどんどん消えていってしまうと思います。


判断基準を変えてみよう

そこで、私から提案です。思い切って、つまる・つまらないの判断基準を変えてみませんか。今までは「他人と比べて自分は面白い人間かどうか」だった基準を、「自分が詰まっている(納得している)かどうか」に変えるのです。今の自分に納得できるなら、それが周りと比べてどんなに地味で平坦に見えたとしても、そんなことは知ったこっちゃない。大事なのは、自分が自分なりの基準で面白いと感じる生活ができているかということであって、他人から面白い人だと評されるかどうかではない、と私は思います。

私が今まで自分をつまらない人間だと思ったことがないのは、ずっと面白い人間だったからではなくて、ずっと詰まってきたからです。配管にではありません。袋にでもありません。自分のしてきたこととその結果に、納得してきた、という意味です。


脱「つまらない人間」

自分はつまらない人間だ、そんなふうに思う人へ。

試しに今日一日、納得しながら、詰まりながら過ごしてみてください。そしてどうしても詰まらないことがあったら、一歩踏み出して、自分自身を納得させるための行動をとってみてください。納得するために必要なことは人それぞれで、それを知っているのは自分自身だけです。例えば、おいしいものを食べること、しっかり寝ること、本気で話し合うこと。ずっと諦めていたことを始めること、思い切って大胆にやめること、新しい環境に飛び込むこと。

今の自分に詰まることができれば、もともと「つまらない人間」なんかじゃなかったことに、きっと気付けるはずです。

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