滝のような汗を噴出させた夏も、寒さにあかぎれの絶えない冬も、青春のほぼすべてをバスケットボールへと注いでいた。プレイヤーとしては退いたが、今でもドリブルの音や体育館のスキール音を聞くと胸が高鳴るほどにはバスケットボールが大好きだ。
ちょうど不朽の名作『SLAM DUNK』(集英社)が新装再編版として蘇った2018年、男子バスケットボール界ではNBAのメンフィス・グリズリーズと2way契約を交わした渡邊雄太選手や、アメリカの名門大学で活躍する八村塁選手の活躍が眩しい。日本を背負う若き2人のプレイも彼らが坊主頭だった高校時代から生で観てきた。
そんな風にバスケットボールや界隈のことを追っていたものだからか、最近、不思議な巡り合わせで同い年のスター選手と縁ができた。それから、いろいろな裏話を聞くなかで面白いエピソードが1つあったので今回はそのことについて紹介したい。
1ゴール差で明暗
福岡県のバスケットの名門中学で頭角を現した彼は、全国の高校から2桁に上るスカウトを受けたが、最終的に選んだ進学先は京都府の強豪校。3年生になると、彼はチームの中心選手となってコートに立っていた。
しかし、バスケ通の方であればわかるように、京都府には全国上位の常連校である洛南高校がある。その前年こそ振るわなかったものの、2年前まで全国大会を3連覇するほどの実力を持っていた。当然、選手たちは全国各地から集められたエリートだらけだ。
何より残酷なことに、京都府の全国大会の出場枠はたった1つ。つまり、洛南高校に勝たないことには全国で日の目を見ることはできない。
そんな圧倒的に不利な状況にありながら、その年、彼を中心にチームは洛南に迫った。夏のインターハイ出場をかけた府大会の決勝戦、大接戦を繰り広げた両チーム。しかし、最後にはわずか1ゴールの差で洛南に軍配が上がった。客席を含め、挑戦者の気迫は会場全体を味方につけたが、最後には一歩及ばなかったという。
7年経った今、負けた理由ははっきりわかっていると彼は語った。
「結果だけ見れば1ゴール差だったけど、それはスコア以上に大きくて明らかな敗戦だった」
彼らが3年間「打倒洛南」を掲げているなか、ライバルに据えていたはずの洛南は常に「全国制覇」のみを直視していた。この視座の違いがインターハイをかけたあの1試合に如実に現れたという。
「どこまで想像できるか」で勝敗は決まっている
想像し得る「目標」はできるだけ高く、遠い方がいい。これはバスケットボールやスポーツに限らず、さまざまな場面に言えることかと思う。より高いところを想像できた者が高みに達し、遠くまで行けることを知っている者だけがそこまで走っていける。そんな示唆を含んでいるような気はしないだろうか。
望むことが誰にでも許されているとすれば、イメージできる最高は青天井にしておきたい。
あなたはどこまで行くつもりですか?
余談だが、彼はその後京都府代表として国体メンバーに選出され、洛南の選手と共に全国の舞台で活躍し、チームは準優勝を飾った。本記事で紹介した話はこのときにライバルとの会話のなかで彼が気づいたことだ。