こんにちは!さむらい行政書士法人の採用担当です!
今回は波乱万丈のキャリアを持つ弊社代表・小島にインタビューをしてみました!
50か国以上に訪問した経験もある代表がどういった経緯で行政書士法人の設立に至ったのか…
そこに至るまでの過程や想いをぶっちゃけていただきました!
ぜひご覧ください!
子供のころから外の世界に興味があった。純粋な想いが今を形づくる。
ーでは初めに、自己紹介とこれまでの経歴を簡単に教えてください!
初めまして!さむらい行政書士法人の代表・小島です。
1979年に福島県の会津地方に生まれました。今年で43歳になります。
私は海外に行くのが大好きで、世界50か国以上に訪問歴があります!
海外でもビジネスをしていた経験があります。
ー海外が好きなんですね!国際業務に特化しているのもうなづけます!
はい!海外はかなり好きですね。行政書士法人を設立してからもマレーシアに移住したりバンコクに移住したりと海外を転々としていました。
ここまで海外好きな行政書士法人の代表は珍しいと自分でも思っています(笑)
ーそもそもの質問になってしまうのですが…どういった経緯でさむらい行政書士法人を設立されたのでしょうか?
きっかけとなったのは上野のマッサージ屋での出来事です。そこで海外就労ビザの話を聞きました。
そういった仕事を行政書士の方に頼んでいるというお話しで、その時に「自分もそんな仕事をしてみたい!」と思ったことが始まりです。
学生の時から海外に行っていて、大学も英文科で、バックパッカーもやっていて、
昔から海外との接点は多かったことも関係しています。
ーなるほど!そこまで海外に熱意を傾けるようになったきっかけは何かあるのでしょうか?
根本は「ジャーニーが好き」ということが大きいですね。私は福島の会津地方の出身です。
福島の会津地方は盆地なので周りが山に囲まれているんですね。
見渡せば山ばかり、自然ばかりといった環境で、「あの山の向こうには何があるんだろう」と子供ながらにずっと考えていました。
そして「あの山の向こうが知りたい。山の向こうに行きたい」とも。
もともとそういった好奇心が強い人間なのかもしれません。
ー子供時代にはそんな疑問を抱えていたのですね!
そうですね。本当にずっと考えていました(笑)
そして18歳になった時ついに、山を越え東京に進出しました。山の向こうに何があるか知ることができたとき、今度は「あの東京湾の向こうには何があるんだろう」と思いました。
ー好奇心の塊ですね!そう思ったということはやはり?
はい、海外に行きました(笑)最初に行ったのは東京湾を超えた先、アメリカ・ロサンゼルスです。
そこで「世界はもっと広い」と強く感じて色々な国を周り始めました。
中国で見た24歳の起業家。「自分にも出来るはずだ」と強く想う。
ーロサンゼルスでの体験が海外への興味が深まったきっかけなんですね!その後はどこの国に行ったのですか?
本当に色々な国に行きましたね。その中でも比較的長く滞在をしたのは、中国です。
当時、まだ中国には行ったことが無かったのですが、旅行をすることも視察をすることもなく1年間滞在することを決めました!当時は24歳。中国では日本語の先生もやっていました。
ーすごい行動力ですね!日本語教師もしていたとのことですが、どんな生徒が多かったのでしょうか?
日本語学校の学生は18歳~25歳までが多く、日本語を学んで就職したいという方がほとんどです。
いわゆる専門学校のイメージだと思います。
実はその中で「一つの出会い」がありました。生徒の中で、24歳という私と同い年の青年が起業していたのです。彼はHP制作会社を起業していました。
ー24歳で起業!かなり早いですね。
そうですね。当時はまだまだ起業が一般的には浸透しきっていなかったので、とても驚きました。
私もその青年に触発されて、起業する道を選ぶことになります。自分でもきっと出来るはずだ、と強い想いを持っていましたね。そして2004年、日本に帰国し起業をしました。その後は個人事業主として活動を行い、起業して1年が経った2005年に有限会社化を行いました。
その会社は途中で畳むことになりましたが・・・
そんな紆余曲折を経て、2009年に個人で行政書士事務所を設立することになります。
その後、2010年に1人目の社員を採用、2012年に行政書士法人化を行いました。
創業期のハードシングスを超えて、急成長。
ー創業時の苦悩や今の規模に至るまでのいきさつについて知りたいです!
創業時は、まさに何もありませんでした。
田舎出身で上海から帰ってきたばかりだったので、東京に家がなかったのです。
もちろん資金ありませんでした。上海は月収7万円だったので…。
そのため当時は職無し、コネなし、カネなしといった状態でした。
日本を1年離れていましたし、東京は地元でもないので、繋がりがない。
スーツケース1個が私の持つ全てでした。
ーかなり過酷な環境ですね…そこからはどんな過程で現在に至るのでしょうか?
何もない状態だったので、まずはワンルームのマンションをオフィスにしました。
上野の15平米のワンルームで、家賃は8万円です。
その家は狭くてベッドを置くスペースも無かったのでマンションの床で、寝袋にくるまってキャンプをしていましたね(笑)事務所でそんなキャンプ生活を1年継続しました。
そして1年後に家を借りることが出来たので、本当の意味で事務所になりましたね。
そのまた1年後にメンバーを採用できるくらいまでは成長させることができました。
そこからは毎年社員を採用しているので事業も軌道に乗ってきた段階ですね!
ーそんなストーリーがあったのですね。そこまで成長できた要因は何だったのでしょうか?
やはり国際業務に専門特化したことが大きかったと思います。
競合もゼロではありませんが、ほぼいないに等しかったです。
それとWeb集客でお客様をかなり獲得することができたことも大きいです。
今ではWebマーケの支援を行っている会社も多いと思いますが、
当時は私がSEOや広告運用を自分で担当して成果を出していましたね。
ー凄い!何でもやっていたんですね!
ですがその中でも、事業が停滞した2つのエピソードがありまして…
それが、東日本大震災とコロナです。
東日本大震災とコロナの影響で日本から外国人がいなくなってしまったのです。
その影響で事業がかなり停滞してしまいました。ですが今思うとコロナの影響は悪いものだけでなく好転的な部分もありました。コロナの影響でインバウンドがかなりの盛り上がりを見せていたと思います。
そこのブームをうまくとらえることができました。ですがこういったブームは一時的なものではあるので、そこからインバウンドのブームは引いていきました。
その時に何をしたかというと「残骸の買い取り」です。Web集客がメインになっていた風潮を受けて、
参入を試みて投資をした法人もありました。
ですが上手くいかなくて、撤退しますというところを買い取っていったのです。
コロナの影響はまだまだ継続しているので、マーケット規模は縮小しています。
しかしさむらい行政書士法人では創業以来Webマーケティングで集客を続けてきました。
そのためマーケティングの力は同業他社よりもかなり強力です。
この力を活かしていけば今後も着実にシェアアップはしていけると思っています!
ーマーケット需要を的確に捉え、そこに活かせる強みにフォーカスされたんですね。素晴らしい経営手腕で、とても勉強になりました!
この続きは代表インタビューver2に続きますので、お楽しみに!