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宿命と運命に導かれて選んだ使命:嵯峨ガス5代目社長の半生に迫る【前編】

《これは、ある宿命と運命を背負った男が、自らの”使命”を見つける物語》

跡継ぎに「なる」か、ならずに「絶縁する」かの二択。

物心がついたばかりの子供に、絶縁する判断は出来ない。

結論は一択だった。

創業者の長男の長男として生まれた私。

生まれた時から

「お前は将来の跡継ぎだ」

と言われ育ってきた。

跡継ぎになるのが"宿命"ではあるが、

跡継ぎって何?社長って何?ガス屋って何?

ガス屋の跡継ぎという、何かよく分からないものになれと、決められていた。

私は素直に従えなかった。

小さなころにはよく出会う言葉「将来の夢」

この言葉に出会う度に、将来の夢を考える虚しさが生まれる。

”考えてもムダ、 だって跡継ぎが決まっているから。”

さらに大きなストレスになったのが父から言われた 「中学受験」

「受験するか、ホームレスの人生か、どちらかだ」

ホームレスはさすがにイヤだったので、中学受験をするのだが、心は反発している。

”小学生相手にめちゃくちゃ言うな”と。

表面上は従うけど、心は反発する。

塾に通う日々、友達と遊べないストレスが溜まる一方だった。

ストレスのせいで小学生の時は荒れていた。

思い出したくない、本当に一番の黒歴史だ。

受験には合格したものの、中学も高校もスポーツがへたくそだったから、部活ではレギュラーになれない。

いじめられてるわけではないが、クラスカーストは中の下。

性格はこじれている。

カッコ良くもない、背も高くない、好かれない、モテない。

ひがむ。

クラスの中心にいることはなかった。

気が付けば 「斜に構えた性格」になっていた。

でもその自覚は無かった。

大学生になり、就活をして、嵯峨ガスとは違う会社に就職した。

リフォーム屋さんで、 営業と施工管理をする仕事だった。

入社してすぐは先輩に同行させてもらっていたが、気が付けば事務所に独りぼっち。

ボッチ

先輩は他の同期を現場に連れ出す。

私は現場に連れ出してもらえない。

”あれ、俺って嫌われてる? ”

うすうす感じる4月中旬。

鈍感な自分でも、何となくわかった。

先輩と楽しそうに仕事している同期。

私は事務所でなぜかいつもカタログの整理ばかりしている。

今振り返ると、分かる。

”そら嫌われるよ”

斜に構えた性格をしている上にとにかく頑固。
やる気はあるけど、とにかく頑固。
新人のくせに、とにかく頑固。

新卒一期生で同志社卒、いずれ親の会社に戻ります宣言しながら就活し、採用してもらい、入社。

そりゃ新卒でいきなりボッチになるよね。

先輩たちも扱いずらかったと思う。

本当に嫌な人間だった。

あの時、もし自分が自分を教える担当だったとすれば、ブチ切れていただろう。

あまりにも事務所で腐っていたので、 上司が見かねて1カ月で異動させてくれた。

その後は支店の上司にみっちりとしごいてもらい、お客様や職人さんに叩き直してもらい、多少はマシになったはず。

それでも斜に構えた根本の性格は変わらなかった。

4~5年と経つ頃には数字も出していたし、店長という責任ある立場を任されていた。

そのまま戻らずに、サラリーマンとして上を目指すという選択肢もあったが、ここで跡継ぎという宿命に反して、実家と絶縁する覚悟もない。

しかも30歳で戻ると宣言していたので、31歳直前に予定通り円満退職。

2021年2月1日、父と叔父が経営してきた嵯峨ガスに入る。

入社して初めて分かった。

”嵯峨ガスは弱体化している”

自社分析と市場分析をすればするほど、ゾッとした。

あまりにも時間が無い。

跡継ぎとして色々と会社を良くしていかないと、と思っていたが

「入社してすぐのボンボン跡継ぎが焦って改革しようとするが、既存社員さんにそっぽ向かれるパターン」

なんてあるあるなので、出来るだけ大人しくしておこうと思っていた。

”ただ、時間が無い”

はやく簡単な所からやらないと。

でも、社長の叔父と合わない。

社長が定年してから代替わり、では時間がかかりすぎる。

やりたいことがやりたいように出来ない
動きにくい
これが跡継ぎの憂鬱か・・・と

そんな憂鬱を感じながら迎えたのが

2021年6月9日

夕方から始まった社内会議。

立ちながら喋っていた社長が、

「今年の夏は今年の夏は・・・」

と言いながら

”バタッ”

社員さん全員の目の前で倒れた。

>>続く


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