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父親に引っ張られて入社した会社が1年で廃業。取り残された僕には起業しかなかった。

 世の中の起業家と言われるような人たちは、大抵「こんなことをやるために今までの大企業を飛び出した」などと用意周到に起業するものですが、29歳の僕には何の準備もなく起業するしかありませんでした。

 あれはバブルが弾けて数年のこと、弾けたとはいえまだまだその余韻が色濃く残り大手金融機関がバタバタと倒産していた2000年、その兆候は僕の会社にも静かに忍び寄っていました。その前年に役員を務める父親に説得され将来の経営者含みでスカウト、といえば格好いいですが実態は先が見えない会社をどうにか引き止めようと彼も必死だんたんでしょう、引っ張り出され、まだ酸いも甘いも嗅ぎ分けられない若かった僕はそこに飛び込んでいったのでした。入社したのが10月で会社が倒産したのも10月、入社した1年後に会社は倒産しました。他の古くからいる従業員は薄々気づいていたようですが、僕にとっては青天の霹靂、全くもって予想もしていませんでした。その日の夕方営業から戻るとこの後話があるからもう少し残ってくれとの連絡が。何のことやらと通常通り見積書の作成などをしていたところへ弁護士に付き添われた社長及び役員が登場、この会社は破産したと告げられたのでした。

 そこからは事業の後始末をする父親を助けながら右往左往する日々。会社に怒鳴り込んでくる下請け業者を相手したり、会社の文句ばかり言う先輩方の話を聞いたりと不毛な時間が過ぎていきました。

 人間窮地になると人間性が出てくると思い知らされました。ここぞとばかりに経営者・役員の文句を言う先輩、会社の備品を持っていこうとする者(犯罪です!)、受注している案件については完成させて納めなければいけませんが手のひらを返したように横柄になる業者・・・

 しかしここでそのような人たちを軽蔑するつもりはありません。やはり会社というのは「継続させてナンボ」という基本を骨の髄まで思い知らされました。と同時に今まで苦しい中でも給料を遅らせることもなく払い続けてくれていた会社に対してはなぜか感謝の気持ちが湧き上がっていました。なぜもう少し早くこの状況を教えてくれなかったのか、もっと違う方法があったのではないかと悔しい思いをしていました。

 倒産した会社はまだ後始末が残ってましたがそこは元役員である父親に任せ、僕は今後のことを考えました。今まで営業しかやってこなかった僕にはこれといったスキルがありませんが、この会社に来る前に一度起業していましたので、迷いはありませんでした。従業員にこのような思いをさせない、従業員のことを世界一考える会社を作ろうと心に決めました。どんなに見た目が派手で売り上げがバンバン上がっていても長続きしなかったり、従業員が疲労・疲弊してストレスまみれで働くようなことにない、純粋にお客さんのことを考えれらる会社を作ろうと決めました。会社を登記した翌日、僕は30歳になりました。

 しかし会社を作るのは簡単ですが、続けていくのは大変です。準備もお金もない状態で始めたので、今月の売り上げがありません。今思えばその時点でもっと落ち着いて入念なビジネスモデルを作ってから行動するべきでしたが、もう走り始めていましたのでとにかく売り上げを確保するために毎日走り回りました。時にはお客さんから受けたポスティングの仕事を自分で夜通しやったりもしてました。それでも1年(給料も最低限しかもらってない状況)で赤字が300万円を超え資本金が完全に底を尽きました。そんな状況にもかかわらずその年結婚、、、妻には本当に迷惑を掛けました。

 起業した当初「世界一従業員のことを考える会社にしよう」と思ったものの肝心の従業員がいない。そんな状況からひとつひとつ自社のストロングポイントを考え、信用と仕組みの構築を続けて来ました。従業員はまだ4人(僕含め)ですが、皆毎日イキイキと働いています。この度会社をもう一回り大きくしようと思い、いい人材に入ってもらってもっと活性化してどんどん会社を動かしていきたい。その一翼を担う若者を探してます。

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