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『ロボットで世界を豊かに』ロボカル代表 芦川のインタビュー Part1

『ロボットで世界を豊かに』というミッションを実現すべく、ロボカルを立ち上げた創業メンバーたち。何を想い・何を目指すのか。今だからこそ伝えたいメッセージをシリーズでお届けします。

初回は、代表の芦川さんにインタビュー。慶應義塾大学在学中、ITベンチャーの(株)ミログの創業に参画。その後、(株)ハッピーズを創業し、現在、業界No.1となる自賠責患者と全国の整形外科・接骨院をマッチングするバーティカルメディアを運営。

彼がなぜロボカルの創業に至ったのか、その変遷について迫りたいと思います。

◆登場人物
株式会社ロボカル 代表取締役社長 芦川

1987年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。在学中にインターネット関連事業を手掛ける(株)ミログの創業に参画。2011年(株)ハッピーズ設立。自賠責患者と全国の整形外科・接骨院をマッチングするバーティカルメディアを運営。業界No.1のポジションを確立。2021年1月(株)ロボカルを設立。

人生で一番濃かった学生ベンチャーの3年間


ー生い立ちについて簡単に教えて下さい

1987年に東京で生まれ、中学受験で慶應義塾中等部に入りました。中学では日本や世界を代表する企業のご子息ご息女その親御さんが近くにいたことはかなり刺激を受けました。いつかこんな世界を代表する企業をつくってみたいと中学生の時から野望がありました。中学はバスケ部、高校は帰宅部、大学はゼミ・サークル・部活に入らず仕事に専念し5年かかりましたが無事卒業できました。

ー大学からお仕事をされていたんですか!

慶應義塾大学在学中に東京大学・東京工業大学の仲間たちとITベンチャーの(株)ミログの創業に参画しました。創業3ヶ月でVC大手ジャフコ社から1億円調達し、累計数億円調達、従業員50名まで拡大するが法人を清算するというジェットコースターなベンチャーをやっていましたね(笑)

ー(株)ミログではどんな事業をされていたんですか?

2008年当時mixi/DeNA/グリー等のインターネットサービスにはCGM(Consumer Generated Media)という掲示板クチコミサイトが流行っていましたが、各CGMサイトでは隠語を使った出会い、殺人予告、麻薬密売などの犯罪が起こりえる場所となっており投稿内容の監視にかかるコストが運営会社の悩みでした。

そこでミログ社では大学の研究室とコラボし、投稿文章から怒りや憎しみなどの感情を抽出する自然言語処理技術という機械学習を用いて投稿監視フィルターを開発提供をしておりました。その後もビッグデータを活用した情報処理技術などを展開。大学生ながら時代の最先端をいくIT企業と一緒に仕事できたことは素晴らしい経験と自信に繋がりました!

ーそもそも創業時から参画されたきっかけは何だったんですか?

中学から慶應ネットワークで生きてきたので大学からは今まで出会ったことのない人たちと交流していこうと積極的に動きました。頭がイイ仲間集めをしたかったので意図的に東大生と仲良くしました(笑)。とあるキッカケで鈴木寛氏(元・文部科学副大臣)が東京大学で開催していた「すずかんゼミ」に潜入することができました。

そしてその「すずかんゼミ」で出会った仲間らが立ち上げた(株)ミログに創業期から参画したという経緯になります。

ー大学では刺激的な仲間に囲まれていたんですね。

ここでは東大生の会話のレベルの高さに圧倒されたことが印象的でしたね。
本当に頭がイイ彼らはアホな慶應生にマウントを一切とることなく優しく接してくれて受け入れてくれました。

東大コネクションのお陰でハーバード・MIT・ブラウン・イェール・バブソンなどのアメリカエリート学生たちとも交流を持て、エネルギッシュな彼らと接せれたのも刺激になり目線が上がり続けました。

なんにもないところから事業・組織を作る楽しさを、優秀な仲間たちと共につくった3年間は本当に楽しかったです!

後に業界No.1となる事業の立ち上げと成功体験


ー気になるその後のキャリアについて教えて下さい

慶應義塾大学&ミログ社を卒業し(株)ハッピーズを創業しました。(事業内容決めずに創業した会社だったので今思うと恥ずかしい社名にしてしまいました笑)

ー就活とかではなく自分で会社を作ったんですね!

はい。2022年4月からは12期目を迎える会社です。

事業は紆余曲折を経て「インターネットメディア事業」をやっています。事業内容はニッチな事業ですが全国5,000院の整形外科&接骨院に自賠責患者(交通事故の被害者)の送客に特化したバーティカルメディア「交通事故病院」を運営してます。WEBで集客し自社のコールセンターでクロージングというのが基本的なビジネスモデルです。

ーインターネット上の交通事故病院て斬新ですね

交通事故は一生に一回あうかあわないかのイベントなので当事者は情報がない中で意思決定しないといけません。

結婚式選び・マイホーム購入の類は事前準備できる一方、交通事故は突発的事象なので情報弱者になりがちです。

そこで当社コールセンターが交通事故にあった当事者に丁寧に寄り添うことで信頼関係を築き治療先への送客へと繋げます。ユーザー自身が意思決定しにくい商材特性を活かしてあえてアナログのコールセンターでクロージングすることがポイントです。

整形外科・接骨院側の視点からすると当社はLTV(Life Time Value顧客生涯価値)が一番高い商材を完全成果報酬で集客してくれる都合のイイ媒体です。

特に”交通事故にあったら接骨院に行くことを知らない層”を集客代行をしてくれているので貴重な会社です。整形外科・接骨院各社様とはwin-winの良好なお付き合いをさせて頂いております!

ー現在はどうなっているのですか?

地道にやってきた成果として年間1.5万人の送客数・5,000院を超える提携院数・営業利益3億円を超えるビジネスとなり国内No.1プラットフォームになりました。

2021年にはマザーズ上場企業の(株)リグアと業務提携を結ぶことができ堅いビジネス基盤が構築できました。今も足元の数値は毎月過去最高記録を更新し続けているので社長を任せた仲間と以下メンバーの頑張りのお陰です。

ービジネスとして成功したと言えると思うのですが、成功要因はなんだったんですか?

ハッピーズを創業する際に以下3つのテーマを決めていたことが大きかったと思っています。

①リスクが低いビジネス
②人と違うビジネス
③小さな市場でもNo.1になれるビジネス(=ニッチトップ)

ーそれぞれについて教えて下さい!

①のリスクが低いビジネスとは一概にお伝えしにくいのですが、
ベンチャーである赤字を掘り続けてJカーブの成長曲線を描くビジネスはやめようと思っていました。

20代前半の知識経験不足の自分はそんな大成功しないと思い、まずはしっかり稼いで大きなビジネスをやる基盤を作ろうと。

20代は基礎訓練・30代でビジネス/仲間/軍資金集め、40代で人生をかける本当の勝負に挑戦する時間軸を昔から考えています。そんな中「WEBメディアを軸とした送客手数料モデルのビジネス」にいきつきました。7-8年前はWEBメディアビジネスの全盛期で類似上場企業のPERも異常に高かったです。バーンレートも低く広告費+人件費+サイト運営費ぐらい。一度回り出すとキャッシュをうみやすいモデルです。

ー時間軸で挑戦するレベルを決めていたんですね

そうですね。
そして、②の人と違うビジネスをやる観点ではかなり失敗しました。

キャッシュのない創業当時から人がやらないビジネスを中途半端にやってしまったため苦しい時期が続きました。(そこにニーズが無いから誰もやってなかっただけ・・・)

人と同じビジネスをしてある程度キャッシュを稼いでから人と違ったビジネスをやるべきだったと非常に反省しました。

③のニッチトップに関しても②と同じ理由で狙いすぎた感がありました。
しかし、交通事故ビジネスは市場規模も大きくスタート当時からかなりの競合がひしめき合っていましたが無謀にもチャレンジを続けきったのでNo.1のポジショニングになれたと思います。

自賠責保険支払い総件数をTAMとした場合102万件、接骨院への通院可能件数をSAMとした場合85万件、接骨院への自賠責保険支払い件数をSOMとした場合22万件とSMAにおける当社シェア率も1%台とまだまだ成長余地があるので非常に楽しみな領域です。

数年の休暇で気づいた、市場規模の重要性


ー話が現在に近づいてきましたね!続いていきなりロボカル立ち上げに至ったんですか?

実はこの2-3年間結構暇な時間が増えていました。 WEBメディアのビジネスは一度仕組み化して回るようになるとやることがなくなります。

というのは嘘で、(株)ハッピーズ社長の平直也(新卒から当社に入社している真面目な努力家)を筆頭にメンバー皆が頑張ってくれているお陰です!本当に感謝しています!

子供が生まれたタイミングも重なったので家族と沢山の時間を過ごすことができ、子供付き合いで、付き合う方々にも変化がうまれ家族ぐるみで素敵なお付き合いができるようになりました。なかでもオイシックス・ラ・大地(株)創業社長の高島宏平氏には大変可愛がって頂いております。自分にとって憧れのベンチャー社長だったので(少年がプロ野球選手に憧れる感じ)幸せな時間を過ごさせて頂いております!

ーなるほど、ライフステージと合わせて休暇をされていたんですね。

はい。
2021年はアメリカに2ヶ月間の長期滞在をしていました。今まで何度となくアメリカに渡っていましたが今回は「規模の違い」を痛感しました。ビジネスで成功されている方々は桁違いにスゴイ成功を収められている。(日本でチョット暇になっていた自分が恥ずかしくなりました。)

そんなのんびり過ごした数年を経て1つキーワードが見えてきました。それは「市場規模・マーケットサイズ」。今までは市場が小さくてもニッチ領域でトップになることを意識し続けていましたが、やはり大きな市場で圧倒的No.1になることの大切さに気付きました。

ーハッピーズを創業されたときとは違った考え方ですね。

そうなんです。
小さいビジネスで売上100億円の会社をつくり身の回りが幸せになるのではなく、取り組まなくてはいけない社会課題が大きいぶん難易度は上がりますが、数兆円規模のビジネスをつくりより多くの影響を与えられる会社でなくてはいけないと思いました。米国市場におけるベンチャー企業のバリュエーションも日本と桁違い。

とにかく大きなビジネスに挑戦してみたいと思えたアメリカ滞在でした。

ーなるほど!ロボカル創業の背景が少し見えた気がします。

それでは、ロボカルの創業エピソードはPart2に回したいと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。後半では芦川が"そもそもなぜロボット産業を選んだのか"というところから、創業背景に迫っていきます!

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