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【代表取締役インタビュー part1】オートバイ×WEB領域で創業した経緯と今後の展開は?

皆さまこんにちわ!インタビュー第二弾!
今回は、普段は詳しく聞くことのできない代表信濃の創業のストーリーを伺いました。


-今までの経歴やバイク・ITに魅了されたきっかけを教えてください!

高校卒業後に筑波大学に進学しました。 学部には男性が多く、オートバイ・車好きな仲間がたくさんいて、私自身も次第に魅了されていきました。

大学の近くに筑波サーキットがあり、オートバイや車で遊ぶ環境がすごく整っていて、先輩から車をもらったり、オートバイを借りたりして当時は遊んでいました。 都会的な遊びもなく、仲間や環境の中で、私自身もオートバイに熱中していったのがきっかけです。

それと大学に入った同時期、ITの進化が目覚ましい時代にあり、インターネットというものが世間に普及し始めたときでした。 私は理系だったので研究室にインターネットが入り、UNIXのワークステーションを使って、研究や実験をしていました。

そんな中、ある日突然インターネットを使っていると、HPが見れるようになったんです。 文字だけだったインターネット上でホワイトハウスのHPが見れて。 いまアメリカとつながってるんだ!という事にものすごく衝撃を受けました。


-エンジニアのキャリアから創業までの経緯を教えてください!

ITの波が来ている中で、かなりのチャンスがあるのではと学生時代から起業を考えていました。 ただ、一度も就職せずスキルがないまま起業するのは難しいと思い、最初はエンジニアとしてキャリアを積むことにしました。

いつかは自分の会社を持ちたいという夢を持ちながら、エンジニアとして3年間色々勉強させてもらいました。エンジニア仲間・同期に相談して様々な企業のアイディアをもらいました。

ちょうどその98、99年くらいにITの波がきていたのですが、オートバイの部品に関する情報や購入場所がインターネット上にはなく不便に感じていました。 そこで起業しようということを考えた時に、オートバイの部品を提供したら、オートバイ好きの不便を解消できるのではないかと思ったんです!

ITの知見があり、且つオートバイ好きな人は少ないのではないかと。 でも私は両方の知見があり、ITとオートバイを組み合わせてたら絶対1 番になれるな!と思いました(笑)

同業他社がゼロではなかったのですが、そこに勤めるより自分で作った方がもっと良いものができると思ったんです。
欲しいものを自分で作ったら、それはオートバイ好きにとっても欲しいものだろう!と。

それで、2000 年に会社を辞め、大学時代にオートバイ活動を一緒にしていた後輩を仲間に引き込んで創業を決意しました。 2000年はITブームの真っ只中だったんです。その時私は28歳で、後輩は25歳くらい。若くて体力も あり、ITにもオートバイにも詳しい私たち。世間がちょうど E コマースの流れがきているというタイミングで起業したというのはものすごく大きかったですね。偶然と必然が積み重なったというのはあります。



-今後の事業展開について詳しくお伺いできますでしょうか?

我々が起業した2000年、オートバイの新車出荷台数は年間76万台だったのが、現在は38万台と半分くらいになって います。 1980年代オートバイの新車出荷台数ピーク時は360万台。 国内がシュリンクしていく中で、単にネット上で販売するだけでは難しくなると考え、2012 年から海外向けにも目を向け、グローバルなビジネスに変えていこうとグローバル化に舵を切って動かしていきました。

それが功を奏し、海外向けの販売も伸び現在は日本含め7か国で現地展開しています。 日本から世界中に出荷するという形で、世界中のお客様に直接販売をするようなビジネスになってきました。 それが実現できるのは、日本のオートバイ産業が世界一のだったからです。 Honda、YAMAHA、SUZUKI、KAWASAKI、これがやっぱり世界でもナンバーワンの大きさで、強いですね。 日本に世界一の産業は何かあるかというと、そんなに思い浮かびません。 ただ、オートバイ産業に関していうと、圧倒的に日本が世界ナンバーワンなのです!!

世界のオートバイの半分くらいが日本のメーカー、もしくは日系が作っています。 ただその売り上げは、日本では数パーセントしかありません。世界中の売り上げが莫大に多いので、 日本が主戦場ではなくなっています。 それを考えると、我々が海外に展開するのは極めて有利な立場にあって、日本の会社で日本のメーカーと関係が 強く、日本のオートバイの部品を売ることができる。世界中に日本のオートバイは走っているので、世界中にすでにユー ザーがいます。 2012年からは台湾・ベトナムを皮切りに、中国、香港、タイ、インドネシア、フィリピンと広げていて、ヨーロ ッパには物流拠点があります。 海外の貿易展示会的なところへ行き、取引先を開拓したり、輸入して販売したりしています。 なので、どこにいってもビジネスが成り立つという状況になっています。


-今後のグローバル展開を詳しく教えてください!

そうですね…ヨーロッパ向けの本格的な展開とマーケットの大きいアメリカですかね。 日本のマーケットサイズの3倍がアメリカ、EU全体でいうと日本の3倍。 それを考えるとアメリカ・ヨーロッパの進出を考えています。


-今後の国内の展開はいかがですか?

国内のビジネスにおいてもどんどん変化しており、最近はEコマース以外に色々なことに手を広げています。 オートバイのコミュニティを作ったり、一般的なオートバイユーザーだけではなく、バイク屋さん向けのビジネスも作っ ています。


-具体的にはどのような事をやっているのですか?

Webikeは国内のオートバイユーザーで100 万人近く登録ユーザーがいます。 その人たちとバイク屋さんを結びつけるという事が実現できるのです。 バイク屋さんが8000店加盟しています。 日本にある販売店が約8000店なので、ほぼですね(笑) Webike でもらったポイントをバイク屋さんで使えたり、クレジット決済をする端末などのインフラとなるビジネスを 展開しています。 バイク業界のインフラを作るビジネスと、バイク業界のプラットホームを作るビジネスを展開しているのが国内 事業の状況です。

これができる業者は日本には我々しかいないと思っています! というのも、この業界は特殊で、みんな好きだからやっているんです。 好きという情熱で成り立っている。そういう業界。 好きな人たちの情熱で成り立ち、ITを使ってちゃんとビジネスとしてもまわる仕組みを作り、業界全体を盛り上 げていくということを我々はしているわけです。

オートバイを愛している人じゃないと、やらないし、やれない。我々しか結局やれないし、出来ない。 そういったポジションなんです。国内でこれだけの事をやると、海外でも同じようなことができるようになるので、そうなるとビジネスとしては非常に大きくなると考えています。 先程のプラットホーム系のビジネスは、現在香港・ベトナムでも展開していて、そこ以外にも展開していこうと開発を進めています。 我々はそういう意味でテック企業でもあり、開発をすごくやっています。


-ずばり!強みはどこですか?

我々がなんでTOPになれたかというと、オートバイの知見があり、ITのことがわかるからです。 こういう会社は他になく、システム開発、テクノロジーが必要な部分は全部自社で開発しているからです。

東京の本社は基本的に開発拠点、自社開発です。中央林間の物流センターは自分たちで運営しています。 開発と物流の両方、自分たちで苦労しながら、外注せずに全部作ってきたので 『バイクとITが両方好きだ』『システム開発も物流も両方自分たちで全部やっている』という点が大きな強みで すね。

システム開発をするためにベトナムに作った会社は、いまエンジニアが80人くらいいます。 本当に開発というのを大きく重要視しています。こういう部分がエンジニアにとって良いですね!笑

物流は自分たちで物流オペレーション(商品の管理や倉庫内でのピッキング作業)や様々なことを自社のシステムで組んでいて、毎日100 人以上の人が動いています。 ものすごく大変ですが、これを自分たちでやってきたので、宅配クライシス問題も乗り切れたと思っています。


Part2に続く・・・

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