【起業をしようと思ったのはいつですか?】
最初に将来起業しようと考えたのは小学生の時です。
元々小さい頃からモノ作りが好きだったということもありますし、家が商売家系だったので経営する事に抵抗がありませんでした。
<モノ作りが好き>
祖父が大工だったということもあり、モノ作りを身近に感じ、好きになったことの影響は大きいと思います。
例えば実家で使っていたテーブルやまな板は祖父の手作りだったんですよ。また保育園に通っていた小さい頃から、祖父と一緒に工作をしたり、障子の張り替えを手伝うという事もありましたので、自分で作ったモノを誰かに使ってもらう事への喜びを、まだ小さい子供なりに強く感じていましたね。
飾って楽しむモノを作るというのも良いと思いますが、私としては実用的なモノ、使ってもらうことで喜んでもらえるモノ作りがより好きです。
祖父とのモノ作りの楽しさ、そして使ってもらう人の喜び、こういった人の温かさ、優しさというものが、自分のモノ作りの考え方にとても関係していたと思います。
<ITの可能性>
両親が共働きで鍵っ子だった事から、祖父母がよく面倒を見てくれていたので、おじいちゃんおばあちゃん子でした。
そんな大好きな祖母が認知症になり、私との思い出・記憶をどんどん忘れてしまう事が、とても歯がゆく大きな悲しみを感じました。また、施設をたらい回しにされていた事に、憤りを感じるも自分が力になれない歯痒さもありました。
そんな時に、叔父からPCをプレゼントしてもらい、PCを使ってネットの世界に触れることになります。ネットを使って色々調べてみると、ITの世界というのは、さまざまな事を板一枚(PCやスマホ)で解決できる世界であるという事を知りました。
だから、インターネットに広がっている世界を、自分が目指すモノ作りにうまく活かしたら、色んな人が笑顔になれるんじゃないか!そう思ったんです。
そのように考え始めたのが中学生の頃で、未来を作り上げていく大きな要素の1つがITだと確信しましたね。
<大好きな読書>
母親の教育方針だと思うのですが、子供の頃、周りのみんなが手にするゲーム機は買ってくれませんでした。でも本だけはいくらでも買ってくれていました。
そうして本を手に取ることが多くなり読書が好きになったので、小さい時からよく本を読んでいました。本は私にとって無くてはならないモノですね。
小中学生の頃、『自分は何のために生まれたのか?』といった考えが頭の中でよくでてくるようになり、ある意味自分自身を見失ってしまった時期がありました。そんな時も縋るように本を読んでいました。本が身近な学びの材料でしたし、何か答えがあるんじゃないか?と思って読んでいました。
おかげで、自分なりの答えを見つけられたこともあり、本にはたくさん助けられました。
そういったこともあり、学校へ行かずに図書館で本を読んでいた事もありましたよ(笑)
【その時読んでいた本はどんな内容ですか?】
決まって志の本を読んでいました。
中でも座右の書となっているのが、竜馬がゆく、中国古典、言志四録です。
<Instagramで本を紹介>
本好きが高じて事業化出来た例もあります。
社会人になって1・2年がたったころ、本好きが高じて、読んでインプットした本をアウトプットしたいと思うようになりました。
その当時SNSを利用する人が伸びており、元々SNSマーケティングを学んでいた事もあったので、読了した本をInstagram上で紹介してみる事にしました。
するとフォロワーが着々と増えていき、1万人以上のフォロワーが付きました。インフルエンサーとして活動し、本系で1位を獲得する事もできました。
それが、今のSNS事業部を立ち上げるきっかけになっていて、Instagramコンサルティングサービスをリリースし、試験的に営業を開始した結果、さまざまな業態のお客様に導入して頂く事ができました!
自分の好きなモノを多くの人に届けられる、そしてそれを元に事業化して役立ててもらえたのはとても嬉しかったです。
<起業すると決めた>
社会人になってから、“世界を再構築する”そんな大きな事を自分の手でやり遂げたい!そしてこれに共感してくれる仲間と共に未来を変えたいと思うようになりました。仕事をしていてワクワクする環境を作り、そう思える人を増やしたいという想いを抱くようになりました。
<一緒に起業しよう!>
会社の立ち上げは、今のCOOである進士と共に立ち上げました。
小学校からの同級生ですが、まさか一緒に仕事をするとは当時は思わなかったです(笑)
ずっと仲がよかったのもあり、“友達と起業して上手くいった”という事例を耳にした事もありませんでしたので、起業するという夢は小さいころから抱いていたものの、仲の良い進士を誘って起業するという考えはなく、私も進士もそれぞれ別の道を歩んでいくと思っていました。
転機は、お互いに大好きな祖父を亡くしたタイミングで、深くお互いの事を語り合った事がきっかけになりました。
“残された側が、残した側に対して何を見せられるのだろうか”“いったい何をしたら喜んでくれるのだろうか”といった、亡くなった方が残された人に果たす意味、自分たちが生きる意味ということを沢山話しました。
そしてお互いに出てきた言葉と言うのが、
「たくさんの愛を受けたから色んな人に愛を届けたい」「チャレンジしたい」「失敗しても立ち上がりたい」
という言葉でした。
そういった思いで生きていくなら、きっとおじいちゃんは安心してくれるだろう。そんな話をしましたね。その言葉に対してお互いに共感をして、またその言葉で涙を流している進士の姿を見て私の気持ちは固まりました。コイツとだったら一緒に出来る!と。
また普段の彼の性格は、私が追い込まれて心に余裕がない時でも、常に冷静でいてくれるんですよね。そういった性格もあったので『コイツとだったら一緒に出来る!』と覚悟を決めました。
<リプカの社名・ロゴに込められた思い>
ripucaとはスワヒリ語で「燃え上がる」という意味です。
創業時に誓った想いを受けて、「“松明を受けついでいく”ように、愛ある炎・温かさを灯していない人達に、それを届ける」という意味を込めています。
ripucaのロゴは、r以外繋がっているのですが、ripucaのrは”我々”、i以降は”次に受け継がれる人”を意味します。「繋がりによって幸せが運ばれる」をテーマにしています。
これからも、人と人をつないで困っている人の助けになりたいですね。
(後編のインタビューでは、今後のリプカのビジョンをお届けします!)