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コンサル、海外、M&A、CFOを経た起業家が、10年越しでプロダクトをリリースした理由~CEOインタビュー①~

こんにちは!プロフィナンスの採用担当です。

プロフィナンス初の記事では、創業者であり代表取締役CEOである木村が「プロフィナンスを起業した理由」について2回にわたってお届けします。

代表 木村義弘(きむらよしひろ)について

1980 年生。2004 年大阪府立大学工学部卒業、2006 年東京大学大学院工学系研究科修了。
⼤学院修了後、投資・コンサルティング会社にて、複数のスタートアップの支援、特に事業計画策定に従事。その後、スタートアップの海外法人立ち上げの経験を経て、BIG4 系コンサルティングファームのミャンマー事務所立ち上げを担う。事業会社で国内外のM&A に携わり、国内外の買収先 CFO として経営にも携わった。2018 年、株式会社プロフィナンス創業。グロービスにてファイナンスの講師としても活動。

木村は国内外で数々の事業の立ち上げを行ってきた華々しい経歴をもって今に至りますが、その道はプロフィールからは分からないほど険しく、また現在もコンサルティング業と自社プロダクトの開発を平行しながら日々命を激しく燃やしながら過ごしています。(スタートアップ社長あるあるですね)

先日(2019年12月18日)リリースした「ProfinanSS」は事業計画作成支援ツールである自社プロダクトです。ちなみに、リリースはしたものの木村曰く「まだやりたいことの10分の1程度。これからもっともっと進化・深化させていきたい」とのことです。

このプロダクトが現在の形になるまで、様々なチャレンジをし続けてきた木村の生の声をお届けします。

■自分の未熟さと覚悟のなさを思い知った1度目の起業

実は僕、2010年、30歳のときに一度起業しようとしていたんです。

その時も今のプロダクトである「ProfinanSS」を世に出そうとしていました。でも、一度諦めたんですよね。

2009年12月にprofinanss.comというドメインを取って、それを現在も利用しているのが証拠です。もう10年も前なんですよね。

もちろんその時考えていたプロダクトも、今回リリースした「ProfinanSS」も原型は同じです。新卒で入ったベンチャーキャピタル(以下VC)で、投資先の事業計画を作る時にExcelと格闘して苦労したことが原体験になってプロダクトを作っているので、そこは今も変わらないです。

ただ、それ以外にも周りから、「やっぱり木村さんは起業向いてるよ!自分で会社やった方がいいよ!」という後押しを受けて勘違いしてた部分もあります。VCでの投資先支援や、2社目でベンチャーの海外子会社立ち上げを経験していたこともあって、調子に乗ってたんでしょうね(笑)

能力的にもまだまだという段階にも関わらず、こういう感じで始めちゃいました(笑)

ですが能力不足以上に、何より「覚悟がなかった」というのが最大の原因だったと思っています。

■ソフトウェアエンジニア?インフラエンジニア?

このプロダクトで世の中をよくしよう、と友人のエンジニアに手伝ってもらえるようお願いしました。ただ、個人としてまだまだ稼ぐ力もなかった。コンサルタントとして仕事しても、ざっと今の10分の1以下の報酬でした。そんな状況だから、手伝ってくれるという友人も正式に雇用できない、給料を払えない。だから、週末に集まってもらって一緒につくろうと試みましたが、そんなの進むわけないですよね。

またソフトウェアエンジニアってどんな人たちなのかも当時は全く分かっていなかったので、すごく優秀な友人だったけど、振り返ればハード・インフラに強いメンバーで自身のプロダクト(Webアプリケーション)にフィットしているという感じではなかった。もちろん、彼らをきちんと雇用して迎え入れていれば、キャッチアップしてくれたんでしょうが、そんなおカネも稼ぎもない。

せっかく手伝ってもらっていたのに、本当に申し訳なかったと思います。だから最後、「ごめんなさい!」と言って解散しました。あくまで彼らの責任じゃない。覚悟が足りなかった僕が悪かったんだ、と。

そして自分の未熟さをもう一度受け入れて、戦略系のコンサルティング会社に再び社員としてジョインしました。



■10年越しの起業「おれ、今度こそやりきるわ」

そんなわけで2018年に再び、「ProfinanSS」の開発に着手しました。
今回は会社という「ハコ」も作って、「今度は絶対に逃げない、最後までやりきる」と覚悟を決めて再スタートしたんです。10年前手伝ってもらった友人には「今度こそやりきるわ」と連絡しました。

最初の起業を諦めてからコンサルティング会社に入った後も、ずっと「ProfinanSS」のことは頭の中にありました。東南アジアでコンサルティング会社の新しい事務所の立ち上げをしていた時も、その後事業会社で海外子会社のCFOをしていたときも、1冊のノートに「ProfinanSS」で実現したい機能・やりたいことを書き溜めていました。

■何がやりたかったんだっけ?と自分に問いかけた。

シンガポールにいたとき、実は、初めて人のクビを切る(解雇する)という仕事をしました。やっぱりしんどかった。

何やってんだろう俺、と思ったんです。そこで、改めて自分のこの先のキャリアを考えたんです。そこで、いよいよもう一回独立するか、と。VC時代に事業計画の策定も含め、投資先に伴走して、一緒に汗を流して新しい事業を興すことが楽しかったこともあって、VCを立ち上げようと最初思いました。海外の財閥から出資頂けそうなお声も実はあったんです。けど、ちょっと待てよ、VCをやるからには改めて事業できちんとやりとげた、という経験が必要じゃないか。

そういえば、自分は何がやりたかったんだろう。あ、そうだ、「ProfinanSS」やりたかったじゃん、と。またちょうど自分がM&Aを推進する中で、買収時の事業計画を精査したり、買収後CFOとして経営したりする中で、「あれ、ProfinanSSで思い描いていたことができるプロダクト、まだ世の中にないな」とも思っていました。

また、CFOとしての経営経験も大きかったです。VCにいた頃は、計画を作成することはサポートしますが、いくらハンズオンといっても最後は投資先の経営者が責任を負うわけです。

CFOとなり、自分で立てた計画を実際に回す当事者になる。そこで、CFOが抱える課題も実体験として持てた。

今までの点と点が全て繋がった気がしました。

やっぱりやりたいことは、「ProfinanSS」だったんですね。

10年近くたってもまだやりたいと思える、なら今度こそ最後までやり遂げよう。絶対に形にしよう。でないと死ぬまで後悔する。ていうかここまで考え続けたことを形にできない自分なんて無価値だ

■自分でコーディングをしてみた。

今回は「やり切る」と決心して、2018年2月、創業しました。最初は、自分でコーディングを勉強して、ゼロから作り始めました。

フロントエンドができたくらいで、「サーバーサイドも頑張れるかも…」と思ったらそこで挫折しました(笑)

どうしよう、前に進まない。「自分で開発すること」に拘ってはダメだ、形にすることが目的なんだから、と外部への委託を考え始めたときに、クライアント先のシステムを開発していた海外の開発会社と出会い、意気投合。構想内容を伝えたら、コンセプト分かってくれて。すぐにプロトタイプ開発を発注しました。

ここまでは、10年前に起業しようとしてから今日に至るまでの経緯を木村に話してもらいました。

木村は経歴も見た目もちょっと近づきづらいように思われがちですが、話してみるととても気さくで、関西出身ということもあり10秒に1回はボケかツッコミをしているような面白いキャラクターの持ち主です。

また、ファイナンスに一環して関わってきたのですが、2回目の起業では自分でPythonを一から学習してプロダクトづくりにチャレンジしたくらい、おごらない・勉強家であるという一面もあります。

木村曰く、「エンジニアに対してリスペクトの気持ちを持ちたいと思った」から、プロトタイプは壊す前提であることを分かりながらもソースコードと格闘していたそうです。いつかはエンジニアに依頼をすることを視野に入れていたので、プロダクトを作る上でエンジニアが何を言っているかをちゃんと知りたかった。そして、実際に自分でやってみたことでエンジニアすげえな。と思えるようになったとのこと。

次回は「ProfinanSS」発案の原体験をメインにお届けします!

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