初めまして!初投稿ということで張り切っていきたいと思います!!
記念すべき第一回の投稿は弊社ECシステムサービスを創業前から支えてくれている佐々木さんにお話を伺い、今まで経験してきたことから、今後の目標まで幅広い質問に答えてもらいました!
是非ご覧ください!
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佐々木 鎮也
PRECS、リピストチーム
プロジェクトマネージャー
教える側から作る側へ。
エンジニア人生のスタート地点は高校時代にゲームプログラマーになりたくて購入した1台のパソコンでした。当時はMS-DOS全盛期。インターネットが普及していない時代でしたので、マイコンBASICマガジン、C Magazine、The BASICなどのプログラミング雑誌や本を買って勉強するのが当たり前の時代でしたね。BASIC、C、アセンブラ(MASM)を独学しました。
高校卒業から紆余曲折し、パソコンスクールのインストラクターとして働き始めました。
プログラミングを教えるだけではなく、Word、Excelといったパソコンの使い方から、Photoshop、Illustratorなど、PC操作に関わる面を汎用的に教える仕事をしていたんです。
結構アグレッシブ?(笑)なパソコンスクールで、OracleやFreeBSDなど誰も教える人がいないようなことまでパンフレットに載せちゃっていて、時々そういったものを習いたいというお客さんがやってくるんです。追い返すわけにもいかないので、本を買って1〜2週間で必死になって覚えて、教えていました。
FreeBSD/LinuxなどUnix系OSを使い始めたのはこの頃です。
又、スクール内のネットワーク構築や、当時流行っていた自宅サーバー構築等も趣味で行なっていました。
マニュアルを書いたり、人に教えたりする原点はこの頃にできたと思います。いろんなことにトライできたので良い経験になりました。
パソコンスクールで3年間勤めた後、開発の仕事がしたくて、神戸にあったグラフィックカードやビデオ編集システム、映像配信システムなどを開発しているメーカーに転職しました。
入社テストで満点だったと言われたことを覚えています(笑)。入社からしばらくはネットワーク管理者としての業務を行いながら、開発も行うというフレキシブルな動き方をしていました。
MPEG2映像をネットワーク上にマルチキャストやユニキャストで配信する映像配信システムの開発に関わることもできました。言語としてはVisual C/C++、VBScript、JScriptなど、技術的にはWin32 API、WinSock、DirectShow、マルチスレッド、DCOMなどを身につけることができました。
3年目の時に、当時製品で販売していた映像配信システムより高解像度となるXGAサイズの画面をネットワークに配信する案件が入ってきたんです。3週間ぐらいでデモプログラムを作ったら一式7000万円ぐらいの入札案件に通ってしまったということがあって、そこから開発者3人で2ヶ月ぐらいかけてプログラムを完成させて納品したことがありました。その時は臨時賞与が出たことを覚えています。
5年の歳月が過ぎた頃、会社の業績が下がり赤字となった時がありました。その頃、営業拠点は東京なのに開発者は神戸で開発をしていることが問題であると気づき、営業担当に同行し製品知識を伝えることができれば売り上げも上げやすくなり営業の指揮もあがるであろうと考え、自分から手を挙げ2年間東京でセールスエンジニアとして働くことにしました。
結果業績は回復し、『やる気になれば何でもできるじゃないか!』と自信をつけることができました。
0→1の楽しさを経験する2度目の転職
前職では合計7年間在籍していました。創業者がエンジニアだったこともあり、広いブースなどエンジニアに適した働く環境が整っている環境だったので不満は一切ありませんでした。
しかし、転職を決めた誘いがありました。
友人から『新しい事業を立ち上げるにあたって役員として誘われている会社があるのだが、そこで一緒に働かないか?』と声をかけられました。
当時、自分で起業する道も頭の片隅にはありました。しかしまだ自信を持てなかった私は新規事業という言葉に魅力を感じ、転職を決意しました。そうして入社した会社がPRECSの前身となります。
初めはSNSを主軸とした事業展開をしようとしていましたが、ほぼ同時にEC事業にも参入することになり自社開発したシステムでネットショップがオープンしました。オープン後4ヶ月で月商1000万円、その後も成長し月商4000万円まで成長しました。
その時の自社ECのノウハウを元にシステムを開発しASP化したものが"PRECS”です。
2010年にはグルーポン・ジャパンの立ち上げにも携わりました。その頃、グループ会社の中では私の管轄部署だけがエンジニアのいる部署だったので、当時のメンバー数名で開発を行いました。サービス開発は信川(現Clonaチームの責任者)ともう一名のエンジニアが担当し、ネットワークインフラ管理は私の部署で担当しました。当時、TVなどでも紹介されていたので、大量アクセスを捌くためにサーバーやネットワークを日々増強し対応していましたね。
この頃はグループ会社で新規事業を立ち上げる時に、関わることができたので面白い時期であったと思います。
順風だった事業展開で初めてぶつかった壁
グループ会社内で3つぐらい新規事業を同時に立ち上げることがありました。
そのうち1つ事業については社内の開発リソースだけでは開発できない規模のもので、合わせてベトナムでのオフショア開発立上げの話も出ていたので、この機会に組織自体を作ってしまおうという話になったんです。
しかし、ベトナムと日本双方の組織作りを同時に行うことは容易な事ではなく、一気に集中して業務を詰め込みすぎたことからサービス品質などに問題が出てしまうなどのトラブルが発生しました。。。人間のキャパを感じた瞬間でもありましたね。
ここで一旦立ち止まり、1つのサービスを飛躍させることに集中しようとベクトルを変えることを決意しました。
方向転換をした私がベトナムから帰ってきて着手したのが、現在弊社が開発している”リピスト”です。
事業に失敗した際に仲間が離れていってしまう悲しさを2度と経験したくないと心から想い、1度壁にぶつかったからこそこのサービスにかける気持ちはとても強かったです。
特にこの3,4年は『成功するためにはどうすればいいのか』それしか考えていませんでした。具体的には組織を俯瞰して見た上で不足している個所を補いつつ、成功への道筋を探っていたらいつの間にか月日が過ぎていたという感じです。
それだけ『もう絶対に失敗しない!』という想いが大きかったですね。
その結果現在に至るまで、順調に事業拡大に向かっております。もちろんその成長に合わせて競合他社も伸びてきているので、更なるスピードアップが必要ですが、今思い返せば当時経験した悔しさが事業成長の手助けとなっていると思います。
そして、現在は新たなサービス展開も考えております。
0→1だけがすべてではない。仲間と一緒にサービスを”育てる”楽しさ。
今までの経験から改めて認識できたのは、一緒に働く仲間の大切さです。私はマネージャーとしてメンバーには気持ちい環境で働いてもらいたいという想いがあり、それは会社の組織体制にも反映されています。
まず、ゆとりがなければいいものは生まれないので、勤務時間などはフレックスを使用して柔軟に働けるようにしています。
残業するより新しいスキルを身につけた方が成果がでるという考えが会社に浸透していますので、何もなければ皆残業せずに早く帰ります。又、社内でも月2回勉強会していますが、外部の勉強会の参加なども推奨しています。
PRECSはまだまだ道半ばのサービスだと私は認識しています。まず目指すべき目標は、世間的な目線で良質なサービスを提供している会社として認知されて、エンジニアの集まる組織にしていきたいです。
その先は、弊社代表から次々出てくる新規事業提案を実現していくための組織作りが目標です。そのための社員の増加はもちろん、新人社員の教育などを行っているうちに、また新たな新規事業提案が上がってくるはずです。その繰り返しをしていく中で新たなワクワクを経験することが出来ると考えています。1度失敗しているからこそ今度は成功させて見せる。そうでなければ成功したとは言えないと考えています。
もしこの仕事に一時的なゴールを設けるならこの成功だと思います。
現在弊社は第二成長期を迎えている段階。このフェーズに携われることはとても有意義な経験だと自負しています。技術力だけではない組織成長、新規事業開発、これらを若いうちに経験したい方は1度弊社まで連絡をください。
私が誠心誠意にあなたの成長を支援します。
一緒に成功体験を積みたい方、ご連絡お待ちしております。
株式会社リピストでは一緒に働く仲間を募集しています