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【オマツリジャパン創業ストーリー】‟祭で日本を盛り上げたい!”というビジョンが生まれた舞台裏をご紹介。経営陣3名の運命的な出会いとは?

お祭りを「面白くする」仕事

「祭りで日本を盛り上げる!」をミッションに掲げるオマツリジャパン。代表の加藤がお祭りの魅力に気づいたのは、大学3年のとき、2011年8月の青森ねぶた祭りだった。

「震災後の自粛ムードもあり、寂しいものになると思っていたら、観光客がいようがいまいが関係なく、地元の人は盛り上がっていた。なんだこの元気は、久しぶりに元気な人を見たと、お祭りに興味が出てきました」

青森ねぶた祭りの経済効果は、200億円を超えるという試算もあるなど、地域において、重要な位置を占める「お祭り」。しかし、今、多くのお祭りが、人手不足、アイデア不足に悩む。こうした現状を変えるべく、加藤は立ち上がった。

加藤は東京に戻った後、地域のお祭りを手伝うようになった。就職後もその活動を続けていたが、手伝っているうちに、お祭りの多くが高齢化による担い手不足、マンネリ化による集客不足に悩んでいることが見えてきた。

「困りごとがあるなら、それを解決できればビジネスになる」

加藤は、武蔵野美術大学油絵科出身。芸術家を目指していたというが、在学中に「昔からあるものをアートの力でリデザインする」ということに興味を持ち始める。

おぼろげながらにそう考えた当時大学3年生だった加藤は、お祭りに興味を持ち、Facebookページを立ち上げて、お祭りに行き、写真とレポートを投稿するといった、ごく個人的なものだった。

加藤は、大学卒業後に漬物メーカーに就職。商品の企画開発やパッケージデザインなどを担当していた。それと並行して、土日にはお祭りに通い、その様子をFacebookで公開。

「奇祭好きなんですよ(笑)。それで日本全国の祭をデータベース化して検索できるものをつくろうと思ったんです。そこでいろいろな人に相談した結果、まずはFacebookから始めるようにしました」(加藤)

加藤と山本の出会いは偶然の田植えイベント

当初加藤さんは、趣味としてお祭り巡りを行っていた。偶然参加した栃木県の田植えイベントで、山本と出会う。山本は、NTT東日本で経営企画と国際分野での新規事業立ち上げの仕事をしており、バックパッカーで世界約80ヵ国のお祭りを巡っていた。

お祭り好きが偶然にも田植えイベントで出会うことで、徐々にコミュニティが大きくなった。

「気づいたらサポーターが200人くらいになっていました。参加しているのは我々と同じ20代から30代がメイン。社会人が集まってみんなでお祭りに行ったりしていました」(山本)

二人が出会ったのは2012年のこと。しばらくは、お祭り好きの社会人によるサークルとして祭りのサポートをする活動が続いた。

お祭りビジネスでビジコンを総なめ

「最初は仕事という感じではなく、チラシをつくったり装飾を手伝ったりしていました。そのうち、会議でアイデアを出してほしいと呼ばれたりしているうちにだんだん仕事っぽくなっていきました」(加藤)

商店街としては活性化のために定期的にお祭りをやりたい。しかし、人手も足りない上にアイデアも枯渇している。そこでお祭り好きの加藤さんに白羽の矢が立ったというわけだ。

そして2014年7月に加藤が会社を辞め、 山本とともに任意団体「オマツリジャパン」を本格化させる。

さらに、二人でビジネスプランコンテンスト(ビジコン)にも参加するようになる。お祭りを軸としたビジネスプランで、キリンの主催する「キリンアクセラレーター」や第一勧業信用組合の「東京アクセラレーター」、そのほか三鷹や中野、吉祥寺、品川など参加する7つのビジネスコンテストを総なめにしていく。

そうこうしているうちに、いろいろなところから声がかかるようになり、お祭りの企画などを行うようになる。この時お祭りの潜在的なビジネスチャンスと社会的な意義が徐々に分かるようになってきた。

オマツリジャパン法人化、そして二人が正式にジョイン

ビジコンで掲げていたビジネスプランは、

1.お祭りのプロデュース・コンサル・プロモーション
祭主催者のサポートをし、ともにお祭りをつくり上げたり、お祭りを活用した商品のプロモーション

2.ツアー企画
外国人観光客や日本の若年層向けに地域で開催されるお祭りの体験型ツアー企画

3.情報発信
日本初のお祭りの総合プラットフォームの運用

当時は専任は加藤一人。そのほか山本が仕事終わりにフォローし、そして約200人のサポーターたちの協力により、運営していた。

そして2015年の秋、法人化する。法人化はもともと考えていたことだという。

「もともと、『みんなで頑張ろうぜ』ということで始まっているお祭りでも、最近ではやらされている感が強くなってしまっているところも多いんです。そこで、私たちが自立したお祭りのために運営者をサポートする株式会社を始めました」(加藤さん)

当初、加藤一人で全てをこなしていたため、かなり慌しかった。

「僕は、仕事にケリをつけて、ずっとジョインするタイミングを見計らっていて。結果的にタイミング的に2月になりました」(山本)

山本と同時に入社した橋本は、もともとCATV会社のJ:COMに勤務。八王子を中心に地元の人と接する機会が多い仕事をしていたという。オマツリジャパンには2015年頃からサポーターとして参加。当時から転職を考えており、ビジネス的にも将来的なビジョンが見えてきたので、転職したとのこと。

「中学、高校くらいから、いわゆるサラリーマンには向いてないなと思っていたんです。趣味が多いので、自分で自ら何かをやるのがいいと思っていたのですが、なかなか難しい……。そこで、ちょうどオマツリジャパンが面白いと思い、サポーターになって手伝っていたところ、軌道に乗り始めていたので、思い切ってジョインすることにしました」(橋本)

当初は3人とも『お祭り』をビジネスにするということに少し不安を感じていた面はあるという。しかし、加藤によると

「お祭りって、もともと持ち出しがあまりないので、最初に大きなマイナスを抱え込むことがないんですよ。もしダメになったとしても、大きな借金が残ることもないので」(加藤)

とのこと。そのため、加藤は他の二人に比べればそれほど不安はなかったようだ。また、3人ともまだ20代、30代前半で若かったことも、不安を打ち消す大きな要因になった。

目標は「お祭りのインフラになること」

ビジネスコンテストをきっかけに、キリンホールディングスなど5社からのエンジェル投資を得て、現在は3名の役員、業務委託2名、アルバイト数名で活動している。事業概要はよりプロモーションとWEBプラットフォームやアプリよりになってきている。年明けには、更なる増資の予定だ。

日本で唯一のお祭りの専門会社ということで、各地で講演したり、テレビやラジオ、新聞での取材も毎週のように舞い込み、徐々にオマツリジャパンの認知度がアップし、それがきっかけで各地から仕事の依頼が後を立たない。

オマツリジャパンには明確なビジョンがある。それは、「日本のお祭りのインフラになること」だ。

「お祭りを調べるのも、つくるのも、探すのもオマツリジャパンが提供する。お祭りの中心地になることで、日本の祭りを盛り上げて、お祭りそのものの価値をもっと高めたいと思っています。休日に、映画に行くか水族館に行くか、お祭りに行くか。そのくらいお祭りを一般の人にとって身近なものにしたいと思っています」(加藤)

お祭りは、東京都内でも365日どこかしらで行われている。ただ、その情報をみんなが知らないだけであるため、ちゃんと情報提供できるようになりたい。それがオマツリジャパンの使命の一つなのだ。

そして、これからやっていきたいことの一つに『自分たちでお祭りをつくること』があるという。

「お祭りがどんどんなくなっているんです。だから新しいお祭りを生み出して、その土地に根付かせていくという活動をしたいなと思っています。植樹みたいな(笑)」(加藤)

オマツリジャパンは、まだまだ歩き始めたお祭りベンチャーでまだまだ自分たちの目指すビジョンに向けて超えるべき山がとてつもなくあるが、やるべきことはシンプル。「祭りで日本を盛り上げる」ことを実践するために一人でも多くの想いを持ったメンバーを待っている。

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