オーシャナイズでインターン中の神田 瞳です。
突然ですが、皆さん2月21日はなんの日か知っていますか?
日本では祝日でもなんでもないのであまりなじみのない日ですが、
この日は「国際母語デー」という、
ユネスコが言語と文化の多様性、多言語の使用、そしてあらゆる母語の尊重の推進
を目的として制定した日にあたります。
私はバングラデシュにきてこの日がカレンダーの赤にあたる祝日だったので、
初めてこの日の存在を知ったのですが、
もともとこの「国際母語デー」はバングラデシュの歴史が背景にありました。
それはなぜかというのを、簡単に歴史を説明すると…
国際母語デー誕生の背景
バングラデシュは独立前、隣国パキスタンの一部で、
国民は同じイスラム教を信仰していても、話す言語は異なっていました。
バングラデシュの人々の話す言葉は当時ベンガル語であり、
当時のパキスタン政府が国語として定めていたウルドゥとは異なっていましたが、
彼らが公職につくためにはウルドゥを学ぶ必要がありました。
これに対してバングラデシュの人々は反対し、ベンガル語を公用語として認めるようデモを起こし
、それに対して警察隊が発砲し、2月21日に4名の死者がでる悲惨な事態となりました。
その後、1971年バングラデシュはパキスタンから独立しました。
この日を「言語運動記念日」と制定し、
またダッカ大学にはこの亡くなった4名を追悼するための記念碑「ショヒド・ミナール」が建てられ、
毎年追悼式典が執り行われています。
その後、ユネスコが「国際母語デー」と制定したという流れにとてもざっくりですがなります。
自分たちの母語のために闘争し命を落としたという事例は世界でこのバングラデシュだけです。
同僚とこの話をしたとき、日本ではこの日を祝わないということに対して驚かれたのと、
日本でも祝うべきだと言われました。
また話は少し違いますが、
バングラデシュのお金持ちは自分の子どもを英語で授業が受けられる
「English medium school」に通わせる傾向があるため、
英語をネイティブ並みに話せても、
自分の母語であるバングラ語がまともに話せない子どもがいるという話を聞きました。
私たちは日本に生まれ、日本語が母語という環境に生まれたときからいるため、
あまり自分の言語について考える機会は少ないと思います。
こういった話を聞くと、グローバルに活躍するには日本語だけでは足りないけれども、
一層自分の母語を大切にしたいと思います。
さてさて、今回は2月の休日21日の2つの出来事について書こうかと思います〜!
山形とダッカ病院
バングラデシュ人の院長さんラーマン先生と日本人の小林れいこさんという看護師の方が協力して
オープンさせた、“山形ダッカ病院”という病院がダッカにあります。
その病院が、場所を変えてリニューアルするということで、
その移転オープンのお祝い会が2月21日にあり、私もその会に参加させていただきました。
個人的に驚いたのは、ラーマン先生が私と同じ山形大学で勉強されていたということ!
病院名の由来は詳しく聞きませんでしたが、おそらくそこにあると確信しています。
バングラデシュで“山形”という単語を聞くというだけでなく、
院長さんが同大学出身というのはかなりびっくりしたのと同時に、
何かつながりを感じ嬉しく感じました。
豪華なお昼ご飯をごちそうになり、
同じく招待されていた10名ぐらいの日本人と方々ともお話しさせていただきました。
日本人は10人ちょっとでしたが、ここに来てこんなに日本人の方に会ったのはこれが初めてでした。
バングラデシュ人の旦那さんと結婚し主婦をされている方、
JICAで勤務されている方、こっちで起業された方等様々で、
とても有意義な時間を過ごすことができました。
この写真の一番右に写っているのがラーマン先生で、左から2番目の女性が小林さんです。
私の上司はデングにかかった際に2、3件訪れた地元の病院ではデングと診断されず、
ここにきて初めてデングと診断されたそうです。
そして、それからはこの病院がかかりつけになったともいっていました。
もしダッカを訪れることがあり万が一体調不良になった際は、安心できるこの病院をお勧めします。
ちなみに、病院の外は立派でこんな感じでした。
しかし、さすがバングラデシュと思う点として、全フロアまだ完成していませんでした。
インド・ダージリンへの女2人旅
ダージリンと聞くと日本人には“お茶”というイメージが強いのかなーと思いますが、
2月の21日から25日までインドのダージリンへ、日本人の上司と2人で旅行に行ってきました~!
上に書いた山形ダッカ病院がお昼時だったので、その後急いで帰宅し荷物をつめ、夜出発しました!
同僚のバングラデシュ人が数か月前にダージリンにバスで行ったという話を聞き、
私たちもトレッキングがしたくなったかつ陸路で国境を越えてみたいとの思いからこの旅をすることに
しかし、交通に関しては全くと言っていいほど運がない旅でありました…
書くときりがないため一部だけお話しすると、
夜行バスのシートに座っててもだんだんとシートから体が落ちる、
インド国境までのバスで隣に座った人がこんな感じでギターを弾き始め、
周りも深夜まで大音量でそれに合わせて歌い出す。
合唱団か!とツッコミを入れたくなるぐらいでしたが、
この男の子と他の乗客が奏でるメロディーは大音量ながらも結構いい感じでした!
国境まで行ったのに陸路入国ができない(eビザで陸路入国できないだろうと出発直前に気づき国境で粘ったけどやっぱり無理でした…)
渋々陸路入国を諦め(帰りは陸路で帰りました)飛行機を予約したが
入国審査がゆっくりすぎてインド国内での乗り継ぎ便を逃す、
などなどです。
ちなみに、今回の記事のカバー写真がインドとの国境付近です。
今となってはもう笑い話ですが、
間違いなく絶対忘れることのない今後の教訓になった旅でした…
結局トラブルがあり当初3、4日の滞在予定が、約1日半しか滞在できなかったダージリン
そんな超短期間の滞在でしたが、ダージリンを少しは満喫できました
ダージリンは山岳地帯のエリアのため、標高が高く、天気がいい日の日の出は絶景らしいです
私たちが宿泊した期間は霧で遠くの山があまり見えませんでしたが、
それでも宿泊したホテルからこんな綺麗な景色が見えました!
写真なので少しわかりづらいかもしれませんが、
このホテルは標高が3000mのダージリンの中でも結構高いところに位置していたため、
本当に眺めは凄かったです!
標高が高いのでだいぶ寒いかと心配していましたが、
思ったよりも肌寒い程度の気温でパーカー1枚でなんとかやり過ごすことができました。
ダッカと違い空気も新鮮で、道路沿いのごみも少なかったのも快適なポイントでした。
泊まったホテルも山小屋みたいな、木の温もりが溢れている造りでとても素敵でした!
ちなみに、ここは1泊3000円ぐらいでした。
ローカル向けの値段ではなく外国人向けの値段ですが、
日本でこの値段でこんなところには泊まれないと思うので、かなりテンションが上がりました!
Wifiのつながりはよくなかったものの、
このホテルを経営しているチベット系インド人の家族の温かいおもてなしはパーフェクト◎
こんな感じでホテルの中にチベット仏教を感じる装飾があったのもおしゃれでした。
ダージリンはチベット系の日本人と同じような顔の人が多く住んでいるため、
インドといえども自分に近いものを感じ、それだけでも心がほっとしました。
ダージリンの町並みはこんな感じです。
山道なので道幅が結構狭く、車の中からの眺めはこんな感じでした
向こうでは周れたのは一日半だったのでほんと数か所でしたが、
ダッカと全然違う雰囲気の場所にいるというだけでかなり充実していました。
これは動物園です。
規模はまあまあ大きめだったので、周りにいたインド人はすごい楽しそうに見えたけど、
正直飼育されている動物の状態があまりよくなさそうだったのに心が少し痛みました。
これはかなり不気味だった動物間内の展示
そして、動物園の奥にひっそりとあったHimalayan Mountaineering Instituteという機関の展示場
ここではエヴェレスト関連の展示とエヴェレストに登頂した有名な登山家のお墓等もありました。
一緒に行った上司のテンションがあがっていたので、
間違いなく山好きにはたまらない場所だと思います!
動物園の中にひっそりとあったために、
ここがツアーの一部だったにも関わらず危うく見逃すところでした。
ここはティーガーデンです。
今の期間はシーズンでないため稼働していないそうですが、
茶摘みからお茶が作られるまで工場内部を見学しました。
説明や試飲など市、茶葉の摘み時期、
製造工程によってお茶の種類が全然変わるということを知り、興味深かったです。
チベット難民キャンプにも行きました。
テレビでよく見るような難民キャンプを想像していましたが、
私のイメージとは違っただいぶ小規模で、
着いたときはこれが難民キャンプ?という感じの場所でした。
その難民キャンプは山を少し登ったところにありました。
建物の中にはこの難民キャンプの歴史が展示されている部屋がありました。
だいぶこのキャンプは歴史があり、難民も現在は何世代目にもなっているみたいです。
また、ここに来た難民は赤十字等からのサポートを受け、
商品をつくりマーケットでそれを売り生活をたてているそう。
これはこの難民キャンプにあった小屋みたいなところで、
女性が商品として売るために裁縫やマットみたいなものを織っていました。
最後は大きさに一番びっくりしたジャパニーズテンプル。
ジャパニーズテンプルってなんだろ?と思って行ったら、
真っ白かつ結構な大きさの仏塔がどどーんと現れ、なかなかの見ものでした!
仏教というと金色のイメージがあるので、白というのは少し意外でした。
日本人のお坊さんがあの有名なガンディーと一緒に建てた、
平和の象徴のピース・パゴダという仏塔らしいです。
ダージリントリップはこんな感じでしたが、
ぜひまた機会があったら今度は長期かつトレッキングで訪れたいと強く思います。
今回はただの旅行内容紹介になってしまいすみませんでしたが、
この旅行はダッカという毎日色々と濃い環境にいる中、
数日でも全く違う環境に滞在できたことは私にとってかなりのリフレッシュになりました!
今の自分の環境から少し抜け出し気持ちをリラックスさせるのに旅行はいいと個人的には思います。
次回は最後のブログになるので、インターンでの私自身の振り返りを書きたいなーと思います。
それではあと1回よろしくお願いします〜!