起業の原点は、小説を書くということ
僕は高校生の頃、作家になりたいと思っていました。 太宰治や三島由紀夫、村上龍のような偉大な作家の作品が何世代にも渡って読み継がれ、読者の心をかき乱すことを、見える風景を変えてしまうことを純粋にすごいと思いました。 グループ活動が嫌いだったので、普通の企業に勤めるのは難しいのではないかという予感もそれを後押ししました。 実際に原稿用紙200枚以上の作品をいくつも書き上げました。寝ても覚めても小説のことを考えていました。 これを世の中に発表することには大変なストレスが伴いました。ずっと考え続け、自らを切り刻んで書き上げた小説をインターネット上に投稿する。すると、初めのころはほとんど誰にも見られなかったり、痛烈な批判が寄せられたりする。ページを更新したとき、コメントがついていてもいなくても、みぞおちがずしんと重たくなる。 それでも僕は作品を書き続けて、発表し続けました。すべての尺度は主観的にならざるをえないけれど、着実に上達しているのが自分にも分かりました。 徐々に批判は意見に代わり、注目の作家としてサイト上に紹介されるようにもなりました。学校で書かされた作文コンテストでは、競う相手が高校生なのだから当然賞も取れるようになる。 ただしここまでくると、余計に満足できなくなります。自分が足元にも及ばないような作品を書く人間がアマチュアにもゴマンといることに、この頃ようやく気づけるようになります。 この原体験がとても大きい。
今の僕にとってサービスを生むということは、小説を書くということと本質的に変わりません。 自分のすべてを注ぎ込んで作り上げたサービスを世に問う。見向きもされなかったとき、痛烈な批判を浴びたとき、やはり大きく傷つきます。 でも、恥も外聞もなく問い続けなければ、自分がどれだけ足りないかも分かりません。 トライし続けることで成長を続ける。成長するともっと自己否定が上手になる。 これがどんなゲームよりもたまらなく楽しい。
熱狂するということ
高校生の頃は、小説を書くことに熱狂しました。 それからというもの、受験、バンド活動、舞台、デザイン、中小企業診断士資格の受験、情報誌の創刊、過酷なプロジェクトのマネジメントなど、さまざまなことに全力でぶつかってきました。 どれももう2度とやりたくないと思うくらい出しきった。 全力だから、結果が出せなかったときは苦しい。 でも全力を出さずにのらりくらりと生きていくのだけは避けたい。限りある人生を一日も無駄にはしたくない。 熱狂の連続を作り出して、その中に身を置く。そうして初めて心が休まるし、前に進めるような気がします。
取り組んでいること
今と言わず、長期的に取り組んでいることがあります。 それは学ぶということ。 経営、ファイナンス、経済学、生物学、デザイン、プレゼン、プロモーション、人事、マネジメント、情報設計、法務、組織、IT、英語、メディア、アート、オペレーション…。全部学ぶ。 一番人がバリューを出し続けられるのは、抽象思考だと思っています。理系も文系もアートも全部混ぜ込んで物事を考えるということをコンピュータができる日は、当面来ない。次元数が増えれば増えるほど極端に難しくなっていく。 あらゆる観点からチームやサービスをすり合わせられる起業家になりたいと思っています。 今集中しているのはエンジニアリング。さすがに深度があるので手こずっているものの、かなりものになってきた感覚があります。 全部学ぶには時間がかかるけれど、中には当然気の進まない分野もあるけれど、誰もやりたがらないようなことだからこそ良い。 デザイナーとかコンサルタントとかそういうラベル付けは、弱いAIが発展し続けるこれからの世の中、少しずつ剥ぎ取られていくような気がします。