みなさんこんにちは!
日本駐車場開発株式会社の採用広報部です。
今回は、最年少で取締役まで昇進した横濱さんにインタビューをさせていただきました!学生時代を海外で過ごした彼が、なぜNPDを選んだのか。なぜ最年少で取締役になれたのか。その裏側を熱く語ってくれました。文章から伝わる彼の想いが届いたらいいなと思います!
ぜひ最後までご覧ください!
海外で過ごした学生時代
ーこの度は、インタビューにご協力いただきありがとうございます。ますは自己紹介をお願いします。
横濱と申します。よろしくお願いいたします。
私の話を少しさせていただきますと、出身は東京なのですが、小学生のころから高校卒業までほとんどをインドネシアで過ごしました。なので日本語は苦手です。(笑)
学生時代はゲームや漫画が大好きで、勉強は正直ほとんどしていませんでした。中学生ぐらいまでは中途半端に勉強が出来たので、勉強しなくてもある程度できるのが格好いいとか勘違いをしていました(笑)※中学だけは日本にいました。
高校に入ってみると勿論そんなものは通用せず。 まずそもそも英語が喋れない。面白い事に元々喋れた英語も中学3年間で全てを忘れ去りました。当時まだGoogle翻訳も役に立たず、祖父に貰った発声機能付きの電子辞書片手に常に校内を歩いてたので、 ちょっとした有名人でした。日本人が私と妹しかいなかったので、 日本人って変な奴だなと。(笑)頭がお花畑なので、そんなこと気にせず人に話しかけまくってたのは幸いでした。そんな英語もまともに喋れない中だったのもあり、高校1年生の時の学年模試では121人中120位。職員室では噂の大馬鹿でした。これまた楽観的な話ですが、そんな順位気にもせずふらふらとゲームをして遊んでいました。
家族は割と放任主義で、勉強しろという感じはあまりなかったです。危機感を抱いたのは高校2年の秋ごろでした。いわゆるおぼっちゃま、周りの友達は超金持ちばかり。「ご両親が社長です。継ぎます」みたいな友達ばかりで、ある日進路の話になってみると周りが全員「親父の仕事が〇〇だから私は〇〇を勉強しに〇〇大学に行く」みたいなことを当たり前に言い始めて・・。 一緒にゲームをしていた仲間たちに急に裏切られた気分でした。
ーインドネシアで学生時代の多くを過ごしていたんですね。将来を考え始めたと同時に焦りを感じたとのことですが、その後どんな学生生活を送っていたのですか?
うちは放任主義とはいえ、父が毎日必ず1つニュースをLINEで送り続けてくれていました。それを律義に毎日読んでいました。それで進路やばいなー。なんて思っていた時に、ちょうど送られたきたのがホリエモンさんがAIについて話している対談の記事でした。それを読んで面白そうだからAI勉強しよーなんて思って勉強を本気で始めたのが高校2年生の秋ごろでした。せっかくなら良い所目指そうと思ったのですが、アメリカの名だたる大学の受験はもう終わっていて。(笑)
残った選択肢の中で一番良かったのがトロント大学のComputer Science学部でした。とはいえ学部だけでみたら世界でもトップ10には入ると思いますが、そこへ入学が決まりました。我ながら当時は頑張ったと思います。自称びりぎゃるです。(笑)
長くなりましたが、どうぞよろしくお願いします!
ちなみに趣味は麻雀とゴルフです。 趣味というかもう空いている時間はこれしかしてません。周りにも「あいつは絶対結婚しない、できない」といわれるぐらい好きです。 多趣味なうえにはまるとドップリなので、これ以上僕に趣味は与えないで欲しいです(最近キャンプ道具買いました)
▲職場のメンバーでキャンプを楽しむ横濱さん🔥
猛烈なアプローチ!
ー入社までの経緯を教えてください。
騙されました!・・・嘘です(笑)
高校生の時にジャカルタで日本人の駐在員チームで 一人子供ながらバスケを大人に混ざってさせてもらっていました。その時の先輩がNPDインドネシアの社長の寺島さんという方でした。大学を家庭の事情でやめて日本に戻ってきて、遊びでバスケの大会に参加をしたのですが たまたまその大会に寺島さんも参加していて。お前なんで日本いるんや!? という所から背景を説明。その日はそれだけで終わったのですが、
後日寺島さんから「おいしいご飯食べたくない?」とlineが来ました。「食べたい!」とのこのことおいしい焼肉屋さんに呼び出され、 二人でカップルシートで夜景を見ながらご飯を食べていたら手渡されたのがNPDの会社説明資料でした。
その時は会社説明を受けるだけで終わりましたが 後日再度次回も美味しいご飯食べたくない?と声をかけられました。寺島さんとのデートだと期待をしていたら、今度はまさかの知らないお兄さんが一緒の席に座っていました。後に直属の上司になる堀さんという方だったんですが。そんな感じで何回もご飯に釣られて会社説明を受けているうちに、寺島さんの圧が強まっていきました。(笑)
ほかの会社もみようと思ってのらりくらりかわしていたのですが、「お前はうちに入るべきだ。絶対に合う!入るか入らないか今すぐ決めろ!決めるならこの場で社長に電話をする」と拳銃のように携帯つきつけられました。悩んでいたのですが、最後に「丸の内勤務はモテるぞ」と言われ、気付いたら入ると返事していました。(笑)
ー横濱さんは現在どんなことをされているんですか?
現在はNPDグループの1つである日本自動車サービス開発(NCS)という会社のダイレクトマーケティング本部で取締役をしています。
取締役といっても、基本的な動きは営業活動です。NCSでは「日本駐車場検索」というスーモの駐車場版のようなサイトを運営しており、年間約10万件程の駐車場探しの依頼を頂いています。
インサイドセールスという営業部隊がお客様のお話を聞き、最適な駐車場をご案内し、お客様やオーナー様から紹介手数料を成功報酬として頂戴しています。私も一営業として日々お客様の声を聞きながら、 デジタルを活用して駐車場業界の課題を解決するのが仕事です。
最速で結果を出したことで創られた”横濱マニュアル”
ー取締役になるまでのキャリアについて教えてください。
2019年の11月にエンジニアとしてNCSに入社しました。グループ1000人以上いる中で、初めてのエンジニア採用です。まずは社内の改善をしようと、いろいろな人の話を聞きいろんなシステムを作りまわっていました。
ある日入社の経緯が特殊だったからか、 巽さん(NPD社長)と渥美さん(NPD常務)の食事に私一人呼ばれる事になりました。珍しく緊張で頭が真っ白の状態の中、とにかく急いで食事に向かったのですが、 そのご飯の場で巽さんに私がどんな仕事をしているのか聞かれたので 「システムを作ってしている」と伝えたところ巽さんに「営業の現場を知らずに、何を改善するの?」と聞かれました。やけになって色々言ったかもしれませんが、やけになっている時点で自分の負けです。自分の仕事が全否定されたような気持でした。(笑)
ーそんな出来事があったんですね。。
そうなんです。悔しすぎたので、翌日から堀さんに無理を言ってすべてのエンジニア業務を捨て、営業を始めました。やるからには最短で結果を出そうと思い、当時1人前のベンチマークであった「単月の売上100万円」を「過去最短記録の3か月以内で作ろう」とかかげました。
結論3か月目で無事に110万円ほど売り上げられたのですが、「3か月で100万やる」と啖呵を切っていたので、売り上げがほぼ0円だった最初の2か月間は本当に生きた心地がしませんでした。(笑)
ー有言実行。すごいです!
これで胸を張ってエンジニアに戻れる・・と思った矢先、「どうやって100万円を最短で達成したのか?」を文書として纏めるというタスクがやってきました。
これを纏めて提出したところ、横濱マニュアルと命名され、別の営業の方にもマニュアル通りにやってもらおうという話になりました。1人ピックアップした方に横濱マニュアルを私が教え込み、2か月実践してもらいました。その方も2か月連続で100万円を達成。
振り返ればこれは私ではなく、その子が優秀なだけだったのですが、会社内で「あいつ実はマネージメントも出来るのでは」というとんでもない勘違いが起きてしまい、翌月からチームを1つ任せられる事になりました。チームを持ってからも山あり谷ありだったのですが、とにかく自身の営業成績を伸ばしまくり、まずは個人成績通期1位を獲得しました。
チームも伸ばさねば、という所でマネージメントも上司に壁打ちをしていただきながら学び、 チーム全員の100万円達成や前期末の最後3か月間で「チーム・個人で6冠とる」という目標を立て、結果は5冠にとどまり未達でしたが、順調に営業成績を伸ばしてきました。
営業成績、チームとしての成長、 あとはおそらくストレス耐性と根性が買われ、 入社してちょうど2年たった2021年の11月に取締役を任されました。
2度に渡って勃発した”横濱ショック”
ー今までで1番苦労した経験、それをどのようにして乗り越えましたか?
間違いなくチームマネージメントです。私は社内でも有名な横濱ショックという事件を2回起こしています(笑)
自分のメンバーの成果を伸ばさなきゃという気持ちが先行し、言い方やタイミングを沢山間違い、下の子達から「横濱嫌い」が爆発しました。
どう改善したらいいか、なぜ嫌われたのかすらわからなかったので、面と向かって私の嫌いな所を挙げて貰ったのですが、多分20個ぐらいあげられました。あの時はさすがに半泣きです(笑)
それから横濱嫌いが怖くなり横濱ショックの後はあんまり強く要求をする事が出来なくなりました。とはいえ要求をやめては良くなるものもよくならない。再度要求を開始したところ第2次横濱ショックが起きました。
「何を言うか」ではなく、「誰が言うか」という大事な観点が漏れていたんですね。
どう乗り越えたかでいうと、それぞれのメンバーと話し合い、全力で向き合いました。何度考えても言い方は確かに間違えたが、内容は間違っていなかったと思ったので、素直にそれを宣言しちゃいました。
「いい方は考えるが、絶対に要求はやめない。でも要求する内容も数字が上がるからとかではなく、あなたの人生の為になることを絶対にあきらめずに言い続ける。だから騙されたと思ってついてきてほしい」とこっぱずかしい話ですが、 面と向かって宣言しました。
宣言してしまったのが良かったのかもしれません。今ではオフラインのコミュニケーションも大事にしていますし、横濱ショックを経たメンバーとはしっかりコミュニケーションも取れ、成果も大きく伸び始めています。
ーNPDの魅力はなんだと思いますか?
失敗に寛容だからこそ、沢山の挑戦が出来ます。
私は入社から2年、最短、最年少で取締役になりました。しかし、横濱ショックも含め、沢山の失敗をしてきています。
私に限らずNPDで活躍をしている方は失敗談多いと思います(笑)皆さんお酒の場でそれを楽しそうに笑顔で、武勇伝のように語ってくれるんです。うまくいった話ではなく、失敗した話を堂々と(笑)
大口をたたいてリスクを取り、身の丈に合わない仕事を宣言さえすれば任せてもらえます。私はほかの会社をよく知りません。よく知りませんが、自信をもって 「こんないい会社はない」と言えます。
世の中会社の愚痴や不平不満がたくさん語られる中、 私は自信しかないので、多分いい会社なんだと思います。
▼エントリーはこちらから
ー最後に横濱さんの叶えたい未来をお聞かせください。
日本の駐車場業界をDXします。
デジタルなんて響きの良い単語は使っていますが、基本泥臭い内容です(笑)前述したとおり、日々お客様へ駐車場を案内していると最適な駐車場をご案内できない事が多々あります。
まず世の中にある駐車場の情報は、まだまだアナログでデータ化されていません。地元の不動産会社さんがノートやホワイトボードで駐車場を管理していたりします(笑)
こうした情報をまずはデータ化し、 ご案内できる駐車場の母数を増やしていきます。それでもお客様に最適な駐車場がご案内できない場合は、その理由をデータとして溜めておけば、お客様からのお問い合わせ(需要)と社内の駐車場情報(供給)のギャップがわかってくるので、この需給のギャップを埋められる駐車場を新たに開拓していきます。
せっかく当社にお問い合わせを頂いているのに最適な駐車場がご案内できないのは悔しいので、 今この瞬間は最適な駐車場をご案内できなかったとしても、どこかのタイミングで将来的には最適な駐車場を開拓してご案内できるように、業界を変えていく事がまずかなえたい未来像です。
たくさんのご質問にご回答いただきありがとうございます。
少しでも弊社について興味を持ってくださった方は、ぜひ一度お話ししましょう!NPDグループはあなたの成長に全力でコミットします!
▼エントリーはコチラ
▼他のメンバーのインタビューが気になる方はコチラ
日本駐車場開発株式会社では一緒に働く仲間を募集しています