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小説 木下 彩絵(きのした さえ) 34歳

「ヤッピー!木下で~す!」
 突然、昔の動画が流れて飛び上がるほど驚いた。今日は早めに出社していたので、まだ周りには誰もいない。彩絵は少しホッとしながら、タブレットから流れる動画を止めた。どうやらイメージ検索をしているうちに、古い階層の動画がヒットしてしまったらしい。まさか昔の自分の動画が流れるとは思わなかったが。
「この頃は若かったなあ」
 マイク付きのヘッドセットを外し、タブレットを机の上に置く。コピーライター歴13年目。今はマイクに向かって言葉を発すれば、それが活字になって表示される。もはや書くどころかキーボードを打つこともない。話すだけ。それでもコピーライターという職名は変わらない。
「コピートーカーじゃん」と、自嘲的に笑い、ふと壁のカレンダーを見る。
 今日は2032年7月22日。あの映像はちょうど10年ほど前のものだろうか。社内で一番年下で元気キャラだった私が、今では多くの後輩たちを指導する立場。時の流れは恐ろしいものよ、彩絵は柄にもなくセンチになる。
 株式会社モノリスジャパン 東京オフィス コピーライター 木下彩絵 34歳。夫と4歳の息子が1人ずつ。あ、夫1人は当たり前か。
 たまたま見た動画の影響かもしれない。彩絵はふと、10年前に思いを馳せる。

 モノリスジャパンの最大のクライアントは、私立学校や学習塾、教育関連企業などの教育業界だ。それは10年前から変わらない。振り返れば、ちょうど10年前は教育業界にとって、一つの大きなターニングポイントだったのかもしれない。もともと「デジタル」に弱いと言われていた教育業界だが、新型コロナウイルスの影響によって、その課題が浮き彫りとなったのがあの頃だ。
 GIGAスクール構想、オンライン授業、デジタル教科書など、国も学校もデジタルの波にアップアップしながらも必死で乗り越えようとしていた。
 とはいえ、私立校は学校によって温度差こそあったが、おしなべて迅速にオンライン授業や各種イベントのオンライン開催などに対応していた気がする。それより当時大変だったのは、私立学校の広報を担当する先生方だったと彩絵は記憶している。認知度アップのための合同相談会や自分の学校を深く知ってもらうための学校説明会は軒並み中止。オンライン説明会などは開催したが、例えば施設・設備が自慢である学校などは、その施設を受験生に見てもらうことすらできなかった。
 もともとデジタルに弱いという点は、広報活動にも影響が出ていて、ホームページまでは気が回っても、当時「SNS」と呼ばれて流行っていたTwitter、LINE、Tik Tok、YouTubeなどを有効に広報に活用できていた学校はほとんどなかった。
 そこにいち早く気づいて、新時代の学校広報をお手伝いしたい、応援したいと、超提案型の事業にシフトしたのが、彩絵も所属するモノリスジャパンだった。

 当時のモノリスジャパンは、「デジタル」をキーワードとした新しい事業に積極的に取り組んでいた。今では世界中に配信されている『令和の虎チャンネル』などのYouTube事業はもちろんだが、教育業界を対象とした事業についても、「デジタル推進室」という新しい事業部を立ち上げるなど、学校向けのデジタルマーケティングを積極的に広げていった。今はギリシャで支社長を務めている菅原さんが、毎日高田馬場のオフィスで企画書を作っていたのを隣の席から見ていたっけ……。営業からデジタル推進室に転身して頑張っていた菅原の笑顔を彩絵は思い出していた。
 その後、デジタルに弱い学校を救うべく、モノリスジャパンは学校側に積極的に「提案」を繰り返した。ホームページの診断を無料で行ったり、LINEを駆使したシステムの有効活用を提案したり、今まで学校の広報が弱かった部分をサポートすることで、業界全体からの信頼を勝ち得たのだ。
「あの頃は、毎週のようにメルマガを作って学校や企業に配信していたなあ」
 彩絵は、しばし昔を懐かしんでいた。

 2022年は提案型への事業改革に伴い、営業、コピーライター、デザイナー、WEBディレクターなど、新しいメンバーが続々と加わった。今のモノリスジャパンがあるのも、あの時のメンバーの力が大きかったと、彩絵はあらためて思う。特にデザイナーとは馬が合い、これまでいくつもの案件を一緒に作ってきた。「切磋琢磨って、こういう時に使う言葉か」と、彩絵はよく考えたものだ。
 デザイナーは社内にいて黙々とデザインワークをこなしていれば良いという会社が結構多いが、うちは違う。デザイナー自身がクライアントと直接やり取りする機会も多いし、打ち合わせや撮影に出かけることもかなりある。
「クライアントの悩みを直接聞いて、考えたアイデアを形にし、自ら提案できる環境は刺激的でモチベーションが上がる」と、そのデザイナーもよく言っている。提案型の事業を展開するモノリスジャパンの大きな強みのひとつだろう。

 彩絵は、ふと思い出した。確か10年前、多くの新しいメンバーが入って来るのと入れ替わるように辞めていった人物がいたことを。
「そうだ、先輩コピーライターの米田さんだ」
 ある朝、米田は「木下、聞いてくれる? 昨日競馬してんけど、超万馬券が当たって大金持ちになったんで仕事辞めるわ。軽井沢に別荘を買って悠々自適に暮らすねん」と、冗談のようなことを言って、本当に辞めていった。翌年、追徴課税が払えずに苦労したという噂を聞いた気がするが、その後どうしているのか彩絵は知らない。それでも彩絵は、こう思った。「会社が大きく成長して行く感動を一緒に味わいたかったなあ。それに私が成長する姿も見せたかったなあ」と。

 それにしても、今日はやけに10年前の記憶がよみがえるなあ。そう思ったとき、電話の鳴る音が聞こえてきた。そういえば、宮古島オフィスの大村さんと打ち合わせがあったかもしれない。あれ、でもこれ、昔の電話のコール音だ。今はやわらかな電子音が流れるはずなのに、何だか急かすような、けたたましいような、それこそ10年ぐらい前の……。彩絵の頭は混乱する。
「はい。お電話ありがとうございます。モノリスジャパンの米田です」
 その時、米田が電話に出る声が聞こえてきた。あれ、米田さん?
「おっ、木下、今日は早いな」
 米田に話しかけられて、彩絵は目が覚めた。そうだ、朝一で仕上げる資料があって早く出社したものの、思ったより早く片付いて気を抜いた隙に、思わずウトウトしてしまったらしい。彩絵は念のために、チラッとカレンダーに目を移す。
 2022年7月22日。なんだ、夢か。それにしてもリアルな夢だったなあ。彩絵から思わず笑みがこぼれる。そんな彩絵に米田が話しかけてくる。
「朝一から営業の電話やったわ。そんなことより、木下、聞いてくれる? 昨日競馬してんけど」
 えっ、ま、まさか…。彩絵は思わず身構える。
「全然アカンかったわあ~。もう競馬やめようかな。ま、毎週言ってるけどな。ハハ」
 馬券が外れた米田には悪いと思いつつ、彩絵は少しホッとした。
「まあ、いいじゃないですか。これからも一緒に頑張りましょう!」
「へっ? これからも?」
「まあ、いいから、いいから」
 彩絵は何となく楽しい気分になり、心のなかでこう思う。
「米田さんが超万馬券を当てませんように」
 そして、
「切磋琢磨できるデザイナーとの出会いがありますように」

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