マミーズファミリーインタビュー第1弾!
記念すべき一人目は、代表取締役の増田かおりさんです!生い立ちからマミーズファミリー創業の秘話に迫ります!!!!
お喋り好きな増田社長、会社への思いや過去のエピソードなど話が尽きませんでした!今回はその一部を公開いたします!
きっかけはある病気から。母親から社長への転身。
―――――よろしくお願いいたします!早速ですが、増田さんは幼少期はどんな子だったのですか?
松山で生まれて、とてもパワフルな母親に育てられました。私の母親は、とてもパワフルで忙しい人だったので、私は祖母の家に預けられることが多かったです。そのせいもあってか、結婚してからは母親のことを反面教師にしていて、母親のようなキャリアウーマンではなく、“奥さん”や“お母さん”に憧れていました。
―――――“社長”と“奥さん”。対局なイメージですが、マミーズファミリーを創業するきっかけはなんだったのですか?
病気がきっかけで自分のなりたい理想像がガラッと変わりました。本当にやりたかったのは奥さんじゃなかった!と気づいたんです。
病気というのはいわゆる育児ノイローゼで、2人の子供の(今は娘が3人います)育児がうまくいかない憤りやイライラからくるものでした。次女は長女に比べると手のかかる子で夜泣きをしたりミルクは飲んでくれなかったりで。
同時に多発性神経炎というコップすら持つのもままならない病気にとなってしまうまで追い詰められていました。
病院に行かないとならない状態だったので通院していましたが、2人の子供見てくれる人がいなので、いつも一緒に連れて行っていました。
この時は自分がすごく無価値に感じて、本当に辛かったので、死んだほうが楽・・・と思ったこともありました。
ある日、見かねた友人が「私が子供たちを預かっててあげるから1人で病院行ってきたら?帰りに買い物行ってきてええよ」って言ってくれて、何年振りかにベビーカーも押さず、おんぶも抱っこもせずに街を歩きました。
自然と涙がはらはらでできました。そして、なんであんなこと思ったのか今も不思議ですが、私みたいなお母さんは他にもたくさんいる。そういう人たちのために保育園をやろう!
理由を問わないで子供を預けられるところがあったら、お母さんたちはすごく楽になるだろうなと。自分が大変なのに、そんなこと思うなんて変ですよね。
創業決意から今に至るまでの紆余曲折時代
―――――そんな誕生秘話があったんですね!とは言っても、保育園ってすぐに作れるものじゃないと思うのですが、どうやって作ったのか詳しく教えて下さい!
まず、資金調達のために200人のお母さんにアンケートをとりました。ちなみに、最初の資金は私のへそくりだった46万円です。(笑)
パソコンを使ったことなかったので、主人に教えてもらいながら自分でアンケートを作りました。“可愛い我が子でも時には1人になりたいと思いませんか?”というタイトルで。
アンケートの結果、美容院行く時に子供を預けられる場所がなくてなかなか美容院に行けずに困ってることがわかりました。すぐに松山の美容院の人たちに実態を伝えると、ある美容院の人が、「おもしろいね、場所貸してあげる」と言ってくれて、その美容院の3階で時間制託児ルーム「キッズパオ」を始めました。
企業なんていう概念がなかったので、託児サークルとして友人たちと経営していました。
―――――美容院!面白い着眼点ですね。託児ルームの運営は順調だったのですか?
それが、なかなかうまくはいきませんでした。
愛媛のテレビ局とか新聞社が取材してくれるなど、最初は盛況でうまくいっていたのですが、しばらくするとインフルエンザが流行してお客さんがほとんど来なくなってしまいました。
一般的に、ビジネスを始める時って運転資金が必要ですよね?知らなかったんです。笑 なので、お客さんが来なくなると、メンバーのお給料すら払えなくなってしまいました。
そんなある時、お客さんから、子供がインフルエンザで外に出られないから家に来て欲しいと頼まれました。そこで、「お客さんが来ないなら行けばいいんだ!」と気がつきました。これがベビーシッター事業のはじまりです。
またある人に、もうすぐ出産なんだけど上の子供のお世話で里帰りが出来なくて困っていると言われました。これって私もこの前まで困っていたことだから手伝ってあげようと思い、産じゅくシッター(出産前後のお母さんのサポートをするベビーシッター)を始めました。
こんな風に、なにかの始まりはだいたい"誰かが困っていること"なんです。
―――――誰かが困っていることが事業になるって理想的な判断基準ですね。他にも印象的なエピソードはありますか?
はい、この頃はいろいろな経験がありました。
ある日電話を取ったら電話越しに「うう…産まれる!」って声が聞こえてきて、びっくりして詳しく話を聞くと、松山に引っ越してきて間もないお母さんが切迫早産になってしまって、上の子を見てくれる人がいないので病院に行けなくて困ってるようでした。
私は「わかりましたすぐ行きます!」と飛んでいってそのまま上の子預かったり、お母さんを病院に送り出しました。
そういうのが私にとって当たり前のことでした。だって私たちに頼むってよっぽどのことだと思うんです。あてがなくて困っていて最終手段で私たちに連絡しているので、私たちが断ったら、もう行き先ないだろうなと思って。
そのお母さんに後から聞いたら、地元の人から「困ったらマミーズファミリーに連絡してみな」と言われて、前々から冷蔵庫に連絡先を貼っていたらしいんです。
そんなエピソードをたくさん積み重ねて、これからはこういうお母さんたちが輝けるように本気で保育所をしようと思いました。
この人たちが本気で仕事をするためには絶対受け皿が必要だなと……
〈東京のマミフェス(社員総会)の様子〉
社長が語るスタッフへの思いと保育業界の未来
―――――素敵な思いですね!そんなマミーズファミリーで働くスタッフは増田さんにとってどんな存在ですか?
スタッフはほんとに“家族”です。冠婚葬祭は嬉しいし悲しいし。
そんな大それた思いはないけど、ただ自分の子供が成長したら嬉しいように、スタッフが成長したら嬉しいです。
例えば保育士のスタッフが、今まで子供が悪いことをしたときにダメって言ってたことを、その子が気付くまで待てるようになった。自分の思いを子供に押し付けるだけじゃ上手くいかないことに気がついた。その瞬間を見ると、あ、枠が広がったなと嬉しくなります。
これって子供に接するときももちろんですが、大人に対しても同じだなと社長の立場をなって実感しています。
どうしても、ああしろこうしろって色々言いたくなってしまうこともあるんですが、どんなに思って押し付けてもうまくいかないんです。直接言ってしまうのは簡単ですか、自分で気づいてもらうのがスタッフの成長となるのだと思っています。
―――――増田さんにとってスタッフとの印象深いエピソードはありますか?
60歳になった最長勤続のスタッフから手紙が来て、「私はマミーズファミリーで働けて幸せでした」と。
その人は山登りが趣味で、1年に一回1.2ヶ月の休暇を取って南極とかエベレストに行くような人でした。
そのスタッフがいつものように休暇から帰ってきて、翌朝の愛媛新聞みたら、"愛媛県人初登頂"って新聞の見出しに載っていたんです!
感想を聞いたときに、「ハイキングでした!」なんて言って笑っていたので、まさかそんな偉業を成し遂げていたなんて、とても驚いたのを覚えています。全然ハイキングじゃないやんって笑
マミーズファミリーのスタッフには、自分がやりたいような保育をしながら自分がチャレンジしたいことをする。そんな風に働いてほしいなと思っています。スタッフ全員がどんな夢も叶えられるように、今後さらに力を入れていきます。
また、マミーズファミリーのスタッフ一人ひとりが自分を大切にしてやりたいことをやっていれば、子供にもそれが伝わって多様性が認められる保育が出来ると思っています。この思いがマミーズファミリーから全国の保育園に伝わることが私の目標です!