1
/
5

【TTBグループ Founder 羽毛田昌寛インタビュー】シリアルアントレプレナーが語る、「治療革命事業家集団 “ラーフオーバーフロー”」の未来


羽毛田昌寛

ラーフオーバーフロー株式会社 代表取締役 / Founder

1973年東京生まれ。明治大学卒業後、大手通信会社・ウェディング上場企業を経て2005年ラーフオーバーフロー株式会社を創業。

メディカル・フィットネスを主な事業領域に、日本の健康難民をゼロにすることをミッションに掲げ、事業を急拡大している。

事業作りの面白さを知った大手通信企業時代

私は大学時代、体育会アイスホッケー部に所属していました。

大学の体育会アイスホッケー部の中で歴史があり最多優勝回数を誇る名実ともに日本一の部だったこともあり先輩にしごかれながらハードながら充実した4年間を過ごしました。

先輩や同期は実業団チームにスカウトされ選手として就職する人が多かったのですが、当然私に声がかかるはずはなく(笑)、普通に就職活動をして国内大手通信会社に就職しました。


新卒で就職して3年目にグループの出版会社からの企画に手をあげて書籍の出版に携わることができ、4年目にはグループのプロバイダー事業会社のEC事業再編のタイミングで声をかけていただき出向することができました。

その会社では当時急成長していた楽天市場をベンチーマークしながら、どう自社事業に役立て独自サービスをつくるかということやサイト閲覧者の行動履歴や嗜好性を追跡するシステム的な部分までいろいろな経験をさせていただきました。


出向初日に上司から「頑張ってIPOしよう!」と言われ日々がむしゃらにタスクを追いかける中で、初めて、”ビジネスの世界を肌で感じ”ビジネスって面白いなぁ”と実感しました。



大手企業からベンチャーへの挑戦。安定より挑戦を選んだ理由

大手通信企業でEC事業を立ち上げた後、ブライダル企業に転職します。


現在では、ブライダル分野からホテル経営などに事業を拡げ成長を遂げている上場企業ですが、当時は創業して2年ほどで社員20数名ほどの小さな組織でこれから事業を拡大しIPOを本格的に目指すタイミングでした。


私の大学時代の同期が創業メンバーとして、事業拡大のために人を探している中で、偶然再会したのがきっかけでした。

お酒を飲みながら彼の話を聴くうちに急拡大しているベンチャー企業の勢いやエネルギッシュさに魅了されてしまいました。

当時は大手企業に勤めたらほとんど辞めることはありませんから、転職を決意した時は、親や友人からも反対されました。転職を決意した理由は、このまま今の企業にいる5年後の自分の姿が想像できなかったこと、やはり一度は自分なりの覚悟で挑戦し続ける人生でありたいと思ったことでした。


ベンチャー企業へ転職後、大手企業に勤めていた時も自分ゴト(当事者意識)で仕事をしていると思っていたのですが、仕事のミッションやタスクが与えられ、仕事に必要なモノはすべて会社が用意してくれる環境だったことに改めて気がつきました。

ベンチャー企業には大企業のような環境や資産はありません。事業のため、お客様のために必要なことを自分で考え、”何をすべきか”から自分で見つけ出す必要があります。

苦しい時もありましたが、刺激的かつ成長の実感のある毎日を過ごしていました。


“経営を見られる立場までいきたい”という思いがあり、キャリアの中では主に経営企画や人事採用・育成まで、幅広く担当していました。

ブライダルはほとんどのお客様にとって一生に一度の大切な場面。

だからこそ、段取りの甘さや一つのミスが命取りになるため、支配人をはじめとしたスタッフの人材力が重要になります。

「採用」と「人材育成」、「人材力」というソフトパワーを会社のアセットとして持てるよう、試行錯誤していました。

大変なことも多かったですが、本当にたくさんのことを学ばせていただき、会社経営や事業によって社会にインパクトを与えることの面白さを実感した経験でした。



「やっぱりクリエイティブなことがしたい」感じた限界と、両親の死

会社が成長していくにつれて、様々な人と関わることが増えました。

日本の超一流経営者や、ブランディング・マーケティングなどのプロフェッショナルの方たちと関わるようになり、自分自身のキャリアや人生を考え直していきました。

その時、自分自身の中で強く思っていたことは、「やっぱりクリエイティブなことがしたい」「事業を作って社会にインパクトを与えたい」という想いでした。

大きなプロジェクトを推進することや、人材採用・育成を通じてお客様に感動を与えることも、十分クリエイティブなことではあったのですが、やはり自分の責任で、1から事業をつくっていきたいという思いが大きくなっていました。


そんなことを漠然と考えていたタイミングで、母が突然のガン宣告を受け半年後に亡くなってしまったのです。(父は24歳の時、突然倒れ救急搬送された病院で翌朝亡くなりました)

本当にショックでしたが、人はいつ死ぬかわからない、やりたいことは今やるしかない、そう考え、独立を決意しました。


これまでの経験を通じて私は、クリエイティブという言葉は単にデザインをすることやモノを作ることではないと考えています。

営業でも、経営でも、直接的・間接的を問わず何かを通じて、お客様や目の前の人の心を動かす、感動させることも創造力だと考えています。

この考えは、今のTTBでの事業作りにも大きく影響を与えています。


まずは小さなところからでも良い、自分自身の力で、ゼロから事業を作り、目の前の誰かを感動させたい。そう考えるようになりました。



起業家として初めての事業作り。ピボットと売却、そして治療革命の幕開け。

起業してやりたかったことは、両親の死をきっかけに考えるようになった「健康」

日本中の人々を健康にして、今の治療(予防ケア)を根本から変えるような事業が作れないか、そう考えていました。

ただ治療院を展開するのではなく、治療院でお客様の身近な存在として健康をサポートすることを大切にしつつ、生活の質そのものが上がるような、”その先”の構想を膨らませていました。


会社を成長させる原資を作るため、初めは知見のあった採用コンサルや人事制度構築、人材派遣、人材紹介など、人材領域で事業を展開していきました。

そして起業から2年後、構想を練り、ビジョンとして掲げていた健康事業に取り組むようになります。

まずは私の地元(新宿区四谷荒木町)に整骨院を開院しスタート。その後、池尻、神楽坂、小伝馬町、富ヶ谷と展開をしていきました。


弊社では7つのコンセプトで事業を展開しており、その一つ「食」の分野でも事業を展開していきたいと考えていた中で、ご縁があって2009年におむすび事業に携わるようになりました。

2009年から恵比寿で3年間、店舗営業をやっていたのですが思うように伸びずにいました。おむすびは日本人の食べ物として深く浸透しているので必ずビジネスチャンスがあると考え思い切って事業の視点を変えることにしました。恵比寿での店舗契約終了のタイミングで新宿御苑へ移転し、屋号を”まんぷくむすび”に変更し、2012年から「24時間宅配専門」へ事業転換を行いました。

その後、制作会社やテレビ局などのロケ弁を中心にご好評をいただき、一般の法人企業まで広く納品させていただきました。

今の主力事業であるTTBサービスが2013年に立ち上がり、おむすび事業も順調に形になってきたため、主力のTTBサービスを本格的に事業化するための投資が必要になってきたので、2018年におむすび事業を売却することを決意しました。

 順調に伸びていたタイミングではありましたが、事業にとっての”選択と集中”を経営判断として行い、TTB事業を展開していくことになります。


TTB事業の展開や”その先”の構想を考えた際、もう一度事業をリスタートさせたいと考え、複数店あった整骨院を本店の人形町店だけを残しすべて整理し事業をゼロからつくっていくことに決めました。



日本中の人々を健康にしたい。治療革命への想いとTTB事業展開への構想

TTB事業のリブートを進めていく中で、いろんな方を救う上で治療院だけでの展開ではなく、パーソナルジムで面(店舗展開)を取っていく構想が生まれました。

パーソナルトレーニングの市場が大きくなり、トレーナーの人数も市場も拡大したことも追い風になっており、TTBを広めるためにジムという受け皿も活用することに決めました。

「整骨院でマイナスからゼロに」「パーソナルジムでゼロからプラスに」

この二つの掛け合わせで、より多くの方を、より健康に、根本から救うことができると考えました。


「ただの治療ではなく、根本治療によって、日本の健康難民を救いたい。」「これまでなかったような、全く新しいメソッドでお客様の人生そのものをトータルにサポートするような事業が作れないか」そんな思いから、中高年特化の「治療 x フィットネス」の業態として治療院とパーソナルジムからなる「TTBグループ」を立ち上げることなりました。

“フィットネス x 治療によってお客様が抱える悩みを根本から解決し、健康難民を減らす”というビジョンを掲げ、お客様に長く通ってもらうことを是とするのではなく、お客様の本質的な課題を解決できる存在として、顧客価値に徹底的に向き合う鍼灸整骨院・パーソナルジムグループを目指すことを決めました。


保険治療に頼らない自費治療ということもあり、尚且つ病院のような完全メディカルの存在でもないということから、当初はお客様に認知していただけない時期もありました。

メンバーにもなかなかその考えが浸透せず、苦しい時期もありましたが、辛抱強く丁寧に事業をつくり込んでいき、今のTTBの形を見出していきました。


そんな中、現在の取締役の齋藤と出会います。

当時の神楽坂の店長の元同僚として紹介され、カジュアル面談を行ったのですが、私の構想に非常に共感してくれて、ぜひ一緒にTTBの事業を進めていきたい、と感じました。


齋藤が参画してくれたこともあり、TTBの事業は拡大を続けていきました。

高単価サービスにも関わらず10年以上も通ってくださるお客様もいるなど、徐々にマーケットができていることを実感しています。

ビジョンに共感してくれるメンバーも徐々に入社してくれるようになり、事業作りのために必要な人材力も少しずつ前に進んでいるフェーズになっています。


メディカルだけではなく、フィットネスだけでもない。両方の掛け合わせでお客様の根本治療を目指す「ライフスタイル提案型健幸創造カンパニー」として、全国への展開を目指しています。



日本中の健康難民を救い、健康業界に変革を起こす仲間を募集

私自身が働く中で感じたこととして、「“気づき“のある環境に身を置くことが重要」ということがあります。

ただルーティーンをこなす(言われたことをやる)だけでは人は成長しません。仕事や役割を自分で仮説を立てて主体的に動いていくことが必要だと考えています。

また、常に新しいことをやれば成長する訳でもなく、当たり前のことを当たり前にやれるかどうか、その質を高めていくこと、それが重要だと考えています。

“ありそうでないことを世の中に”

“当たり前を徹底して質を高める”

この二つを徹底するだけで、人はどんどん成長していき、周囲もそれに影響されて、変化の輪が広がり、世の中も少しずつ変わっていく。そして、そのうねりがいずれ大きな変革の源になると信じています。


また、弊社の教育方針として、”自立自走”を掲げています。

人は教育や研修があるから育つわけではなく、自ら育つ環境、自ら育つサイクルを作ることが重要だと考えています。

ただ覚えるだけでなく、しっかりと血肉になるような教育環境づくりを心がけています。

当社の社風は、本人のやる気次第で自走自立できる環境があり、必要な情報やノウハウは十分に溜まってきています。


現在、メディカル1店舗(点)に対してパーソナルジム4店舗を1セット(面)として展開していく、「M1G4」の出店戦略を掲げています。


TTBグループで目指している「全国の健康難民の救済」を実現するためには、店舗は事業の核となる非常に重要なポイントなので、5年で50店舗以上は展開したいと考えています。

また、店舗を増やす傍ら、医療との連携や健康に関わる様々なサービスとの連携も事業構想としてあり、非常に刺激的に成長できる環境だと思っています。


健康難民を救うという使命を持って一緒に働いてくれる方がいれば、ぜひ応募してください。

一緒に日本全国の健康難民を救済していきましょう!









ラーフオーバーフロー株式会社からお誘い
この話題に共感したら、メンバーと話してみませんか?
ラーフオーバーフロー株式会社では一緒に働く仲間を募集しています
2 いいね!
2 いいね!

同じタグの記事

今週のランキング

泉 尚志さんにいいねを伝えよう
泉 尚志さんや会社があなたに興味を持つかも