先日、エンカウントさんに取材され、Yahoo!ニュースに取り上げられた記事をシェアします。
下記より抜粋
https://encount.press/archives/465633/
人生は何が起こるか分からない。冠婚葬祭の企画運営などに携わる株式会社LIVENT(リベント)の三上力央代表はどん底を味わいながらも見事に復活を遂げた経営者だ。一時は1億円の借金の返済に追われたが、現在は花葬儀を手掛けて業績を伸ばすなど、葬儀業界に革命を起こしている。先の見えない暗闇からV字回復した理由はなぜなのか?
人生は何が起こるか分からない。冠婚葬祭の企画運営などに携わる株式会社LIVENT(リベント)の三上力央代表はどん底を味わいながらも見事に復活を遂げた経営者だ。一時は1億円の借金の返済に追われたが、現在は花葬儀を手掛けて業績を伸ばすなど、葬儀業界に革命を起こしている。先の見えない暗闇からV字回復した理由はなぜなのか?
業績好調が一転 「社長は変わった」募った社員の不信感、離れた仲間
三上さんが会社を立ち上げようとしたのは大学時代だ。起業への強い関心を持ち、米オレゴン大学に留学。就職活動でもすべての企業に「3年後の起業」の希望を伝えた。それが影響したのか、メーカーや広告代理店などの大手企業は最終面接で落とされた。これでいいのかと悩んだものの、信念を曲げず、最終的にコンサルティング会社のプライスウォーターハウスから内定をもらって就職する。
新卒で社会人になっても夢を追った。土日には仲間と集まり、起業のための準備に明け暮れた。集まったメンバーは7人で、みなIT大手やゼネコン、広告代理店などで働いていた。「企画の打ち合わせや情報収集、市場分析。300人ぐらいにお葬式についてのアンケートを取って、『僕らの仮説当たっているよね』 とか話していました」。そして、就職からぴったり3年後の2002年、会社を辞めて、冠婚葬祭を企画運営するリベントを創業した。
ところが、三上さんはいきなり出はなをくじかれる。起業に賛同していたはずの仲間は1人が1年後に参画すると言い、他の仲間は集まらない事態に。「共に創業すると思っていた仲間が辞めないで、結局辞めたのは僕1人。みんな下向いて、『俺はちょっと会社辞められないな』と……」。
東京・表参道にオフィスを間借りして構えたものの、不安いっぱいの船出だった。サービス作りに奔走しながら1年間は葬儀屋でアルバイトもこなした。貯金は底をつき、自宅は家賃10万円の家から西新宿の風呂なし2万円の家に引っ越した。仲間のうち1人が協力した後も、「5年ぐらいはお互いに月15万円の給料でした」と生活は困窮。一方で、他の仲間は6人が創業時に資金提供をしてくれていたが、「助言はしてくれるのですが、自分がそんな状態で必死さとイラ立ちも募ることもありましたから、良好な関係を作ることができませんでした」と、友人関係にも少しずつ溝が生まれた。
それでも地道に企画・営業をこなし、目白の旧細川侯爵邸や横浜の三渓園での結婚式を企画するなど実績を積んでいった。業績は軌道に乗り、「ウエディングは8億円くらいの売り上げまで伸びました」と大きな柱になった。
予期せぬ事態を迎えたのは15~17年にかけてだった。三上さんは突然、大きな危機に立たされる。優秀な社員に不正が発覚し、退職。その半年後、今度は運営する結婚式場が披露宴のトラブルに巻き込まれた。
「マネジャーから電話がかかってきて、『新郎がご家族もご友人も誰も来ないんですよ』と報告してきたんです。『そんなことあるの? 新婦は?』と聞くと、『新婦側は全員来ているんですけど……』と」
新郎は警察官。とにかく現場は大混乱している様子だった。その理由が分かったのは約1時間後。「実は新郎に妻がいて……という話になった。そもそもご家族も来る予定じゃなかった」。これが全国ニュースになり、「あの結婚式場に行くと不幸せになるよ」と風評被害を受けた。
社員の不正と併せて年間1億円の損害を受け、業績は一気に苦しくなる。窮地に立たされた三上さんは、長年支援してくれた経営者2人から5000万円ずつ、計1億円を借りた。しかし、1人の経営者から即返還を求められ、一年先の資金繰り表をベースに資金の出し入れをするという話で5回サポートを受けた。17年の3月末、三上さんは期日までに3000万円を工面できずに、会社の倒産、精神的にうつ寸前までに追い詰められた。最悪の事態は回避されたが、借金との相殺で創業メンバーが経営する会社にウエディング事業を譲渡することが決まった。
50人いた社員は15人に、約10億円あった売り上げは2億円に激減した。「その2億がお葬式(の事業分)でした」。さらに債務超過が1.8億円あった。「吹けば飛んでもおかしくない会社。そんな状況での再スタートでした」
三上さんは社員を集めて状況を説明し、謝罪した。残された葬儀担当の15人の社員からは「僕に対しての不信感」が伝わってきた。すべては自身が招いた結果だった。「普通の生活ができる状態じゃなくて……」と家族5人で広さが半分の1DKマンションに転居。「夜は雑魚寝状態でした」。葬儀は創業から14年間赤字続きだった事業。倒産はまぬがれたものの、希望は見えなかった。
そして、こうなってしまった原因を探った。
「仲間と感動を作ってお客様に幸せな時間、空間を提供するんだというところから、数字ばかりを追いかけるようになったんですよね。しかも社員には『成約率が低いとお客様を泣かしているようなものだからね』と言って詰めるんです。この人がダメだったらまた採用すればいいし、という感じで利益ばかり追いかけていました。会議もそんな感じで、テーブルをバンとたたいて『何やってんだよ!』みたいな。仲間や部下に対し信じられないような詰め寄りをしていました」
辞めていった社員からは「社長は変わった」「社長はお金のことしか考えてないっすよね」と言われていた。「人を人と思わず経営をしていた」。再起をするためには何より、自分自身が変わらなくてはならないと気づいた。
V字回復に銀行が「奇跡」 「社員がハッピーにならないとお客様も幸せにできない」
人々が離れる中で救いの手を差し伸べてくれた人がいた。「1個上の先輩で築地玉寿司の中野理社長でした。『もう後がないんだろ。学ばなきゃダメだよ』と声をかけてくれた」。三上さんは助言を胸に努力する。そして新たに掲げたのは「理念経営」という言葉。「数字ありきじゃなくて、理念ありきの事業を作っていく」。創業当時の気持ちを思い出し、社員への接し方を根本から変えた。
「社員、仲間がハッピーにならないと、お客様も幸せにできない」。結果を求めるのではなく、プロセス重視に転換した。自らも積極的にアイデアを出した。売り上げは5年で2倍の目標から3倍の約6億円に急伸。債務超過を解消し、銀行からは「奇跡」と驚かれた。コロナ禍の難局も社員で知恵を出し合い、乗り切った。
三上さんは、疎遠になっていた仲間にも連絡を入れた。「他責の念で、なんでも彼のせいだ、あいつのせいだとなっていたんですけど、振り返ると自分の力不足であって、自分の至らなさでそうなった。やっぱり友達だったので、連絡を取って『いろいろと苦労かけたね』『今、僕自身があるのはあのとき一緒に作ってくれたから。ありがとう』と感謝の気持ちを伝えました」。現在ではたまに会い、食事やゴルフにも出かけるなど、関係を修復している。
リベントの花葬儀は完全オリジナルで、準備に手間をかける。依頼は9割がインターネットを通じてあり、社員の仕事は「その方の人生を教えてください」の声がけから始まる。故人の好きな温泉があればそのお湯を運んで体をふき、好きな食べ物があれば用意してもてなしをする。業界の先駆者として、菊一辺倒の常識を覆し、祭壇の花も多種多様だ。必ず提案するのは季節の花やその人が好きな花。春ならミモザや桜、梅雨ならあじさいといった具合だ。バラも希望があれば用意する。葬儀の場所も問わない。花を愛した妻を屋外のイングリッシュガーデンで見送るガーデン葬も手掛けた。外国人からの相談も多く、シンガポールまで行ってサービスを提供したこともある。
今後の目標は、「超高齢化社会に自分たちの会社が貢献できる機会が増えている。終活から相続まで幅広くお役に立てる企業になりたい」。前もって自身の人生や人とのつながりを整理して継承できるサービスの提供も目指している。「死というところを前向きに捉え、明るい未来を作るためにサービスの幅を広げていきたい」と三上さんは結んだ。