はじめまして、株式会社LiBの新卒0期生の内田ことねです!
「0期生??」と頭にハテナマークが浮かぶかもしれないのですが、つまりは、LiB初の新卒内定者です。
今回は、「新卒0期生」というプラチナシートをつかみ取るまでのお話をします。^^
【幼少期のお話】
まずは私の生い立ちから。
22年前、東京の端っこにある町で生まれました。両親と2歳ずつ離れた姉が2人いる三姉妹の末っ子です。
4歳の時、父の仕事の関係で家族でアメリカのオハイオ州に引っ越すことになり、アメリカにて5年半、その後はカナダのオンタリオ州に引っ越し、多感な10歳までを海外で過ごしました。
アルファベットが「A」で始まることも知らないままpre-school→kindergarten→elementary schoolと、いきなり現地校に入れられ、ELSやチューター(個別指導)には通っていたものの、英語を教科書で"study"したというより、試行錯誤しながら"daily life"で身につけて行きました。年齢が幼かったからなのか、幸いにも差別的な言葉や態度は受けた覚えがなく総じて海外生活は楽しい思い出ばかりで、自由人で楽観的な今の「わたし」を形創る原点になりました。
【海外のハロウィンは学校を挙げて行い、みんな本気。魔女、デビル、ゾンビナース(?)に囲まれるエンジェル内田です。私も怖い系で行けばよかったわ~(悔)】
【帰国後の私】
小5の終わりに日本に帰国し、帰国子女の多い英語教育に力を入れている私立学校に入れてもらいました。公立ではなく私立に入れてもらっただけ恵まれてはいましたが、価値観は完全にアメリカンだったので、日本人の癖に逆カルチャーショックを受けました。
『ここはアメリカじゃないんだよ、日本だよ。こと(あだ名)って自己中心的だよね。』
ある時、仲良しで自分のことを理解してくれていると思ってた友達にそう言われました。
「自分の意見や、やりたいことを素直に表現すると自己中だと思われるんだ!」単純な私はそう解釈し、これをきっかけに日本特有の「空気を読む」という術を学ぶ努力をしました。
日本の空気とは? 私の当時の解釈では状況を理解する・察知するというより、周りの意見に同調すること。それが日本の「空気が読める人」でした。人の目なんて全く気にしない目立ちたがり屋だった私が、常に周りがどう思うかを真剣に考えるようになりました。
中学生までは、この同調的な空気に苦しんだことも多くありましたが、高校に入るにつれて日本とか外国だからとかではなく大事なのは相手の心理を汲み取って共感し、その上で自分の意見を提示することだと気付くことが出来ました。変に委縮することもなくなり、その後は生徒会、部活の隊長、3年間クラスの総務員として活躍したり、自由作文のコンクールや英語のスピーチコンテストで優勝したり、とにかくやりたいと思ったこと、自分の為になると思ったことはなんでも挑戦しました。
大学も同様に、2人の姉が通う上智大学に入学。新設学部である総合グローバル学部に「第1期生」として合格し、体育で5もとったことのない私がいきなり好奇心で競技チアリーディングを始める等エネルギッシュに活動をしていました。他にも外務省が主催する青少年交流に応募して全国の大学生から選抜されたり、韓国と香港に留学に行ったりと、今振り返ってみると、本当に充実した学生生活でした。
【私は上に乗る子を飛ばして支えているので後ろに隠れてますが、こちら334という大技。最後の大会で決まった時の全身を流れる高揚感、一生忘れません。】
こうして4歳から18歳までの14年間をかけ、「内田ことね」という人間が形成されたのですが、そのプロセスを見守り、一番支えてくれたのは家族でした。お金に余裕がなくても何でも挑戦させてくれて、話を聞いてくれた両親、常に私の先を歩きながら優秀な道筋を立て、道に迷ったときには頼れる2人の姉がいて、くさいセリフかもしれないですが、本当に家族には感謝しています。
【就活の話(葛藤編)】
しかし、この「自分で何でも選択し、何でも挑戦してきた」自負が、実はそう誇れることでもないのかもしれないと思った日がありました。2018年4月4日のことです。
先ほど綴った通り、私の選択にはいつも家族の応援と魔法の言葉がありました。
「いいじゃん」「やってみなよ」「がんばれ」「大丈夫だよ、どうにかなる」。
その言葉が私の安心剤となり、行動の原動力になっていました。逆に、私はそれがないと不安で仕方なく。その選択を認めて欲しいという強い承認欲求があるということを今まで気づきませんでした。
自分で言うのもなんですが、私は今の内定先のほかに、就活生が入社したい会社ランキング第一位の某大手戦略コンサル会社や、大手人材会社、その他にも中小企業2社、の内定をいただいてました。
なのに(失礼ですね…笑)ひょんなことからLiB代表の松本に出会い、魅了され、気付いたらまだ4年目で全然名の知れてない渋谷にあるベンチャーのLiBの最終面接まで選考が進んでいました。
親や姉にLiBや社長の説明をしても、正直あまりいい反応はもらえず、いつもの安心剤となる言葉たちは簡単に聞こえてきませんでした。父に、社会の厳しさ、仕事の辛さを力説され、しまいには「お前みたいに我が強くないやつにはベンチャーは向かないと思うよ」とまで言われてしまいました。
親の心理として、子どもに苦労してほしくないという気持ちをその時は理解が出来ませんでした。(パパと私は生きてる時代が違うから分からないんだよ!!)と対抗心を抱きながらも、その言葉は私の胸にずんと重く響きました。心のどこかでLiBに行きたいと思ってはいながらそれを自分で認められず、LiBの最終面接の日まで大手コンサル会社か、ベンチャーのLiBかの二択で迷っていました。
今までのように「やりたい」だけの軽い気持ちで今後の人生を左右するファーストキャリアを決めてはいけないのではないか?と思っていたことがずっと頭と心のブレーキになっていました。
【就活の話(決断編)】
リブ最終面接の日。社長面接で、悩んでることもすべてさらけ出して話したところ、
一言「本音はなんなの?」
・・・私は答えを出せず、刻々と過ぎていく面接面接は予定よりも一時間伸びていました。
ここで白黒はっきりさせないといけないことは分かっていたのですが、その場でYESと言う勇気がなく、最終的には「わからないけど、このまま終わらせたくない」と曖昧な答えを出しました。今考えれば、全くの他人任せで自分で結論を出せないお恥ずかしい限りですが、そんな私に社長は、その日の社員さんとの食事会に同席をと提案して下さいました。
食事会に出発するまでの1時間、会社の4Fで一人しくしく泣きながら(笑)ずーっと考えてました。
私の本音はなんだろう???
自分との対話の中で見えてきた答え。それが、
「今まで誰かの反対を押し切ってまで自分の意志を貫いたり、最初っから最後まで自分で考え抜いて大きな決断をしたことがなく、正解が分からずそれが怖い」
人生の大きな選択を、今まで通り家族の承認がないまま決断することが出来ない。反対されていたわけではなかったのですが、賛成はされていない状況で自分の選択が正しいのか、ただただ不安でした。
それに気づいた時、私の中で何かが吹っ切れ、「変わるなら今がその時かもしれない」と思いました。
なぜ?と問われれば今度はハッキリと答えられます!
楽しくて、優秀で、ロマンを持って仕事に熱く取り組むリブのメンバーに惹かれたから。
そこに手を伸ばさずに後悔したくないと!
Why am I not reaching my hand to the chance thats sitting right in front of me? そう、思いました。
社長と4人の社員さんが目の前にいる、その食事の場で「ここにします。」と宣言しました。
【内定承諾した高級なレストンにて。実はチアのチームもこのLポーズで、まさかチア以外でこのポーズ(LiBポーズ)をする日が来るとは...運命かな?笑】
2018年4月4日の夜、今でもはっきり覚えています。まさか内定承諾が高級料理屋さんになるとは誰が想像したことでしょう(笑)食事後、すぐに母と姉に電話をし、「私、就活終えるわ。LiBにする」と伝えました。その日の夜、興奮して全然寝付けなかったのを覚えています。
母には私の心がLiBに向いてることが見透かされていて、それであればそうと応援するのになかなか自分で意思を固めない私に鎌をかけていた、と後から知りました。振り返って考えてみると、母は子供に正解を教えてはくれない人でした。
会社選びに正解なんてありません。決めたら、自分で正解にすればいい。
私はリブで果たさなければならないことが二つあります!
1.LiBを早く大きくし、自分にも周りにも、選んだ道が正解だったと証明すること
2.LiBを世界に連れ出すこと
果たしてみせるのでみなさん、見ててくださいね。^^
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