1
/
5

なにをやっているのか

キョーワハーツで手掛ける微細な金属部品。自動車や医療機器をはじめとして、さまざまな分野で採用されています。
「薄い・細い・小さい」加工が得意技。「小型化・軽量化」をキーワードに、多くのお客様に貢献しています。
キョーワハーツは「小型化・軽量化」をキーワードに 超精密金型製作、精密プレス加工をコア技術とし、お客様の製品開発から量産まで 一貫対応する金属加工のプロ集団です。 例えば医療機器、自動車を構成する精密で細かい部品など、世の中の工業製品の多くは、 クオリティの高い日本の技術に支えられています。 当社で製作している精密部品は、その中でもトップクラスの精度で お客様からの信頼も高く、1951年の創業より業務の幅は広がり続けています。 創業72年で培われた技術力と知識、最新で高精度な加工機械、測定器を使用し、 「独創提案力」と「垢抜けた商品」の提供でお客様の課題解決と商品開発の成功に 貢献してきた実績があり、さらにマグネシウムなど軽量化素材の加工にもチャレンジしている会社です。 みなさまのこだわりのあるものづくりを熱量をもって解決していく。 それが社名であるキョーワハーツのお客様を感動させる真心です。

なぜやるのか

経営ビジョン「デジタルとリアルを融合した日本品質のものづくりを世界に発信する。」 日本品質とは「素材力、技術力、品質力、三方よし」と定義しています。 日本のすぐれた素材力、限界にチャレンジする技術力、そしてひと手間加える卓越した品質力、 加えて「作り手よし、顧客よし、世間よし」のものづくり。 それを基盤に据えデジタルを融合させた新たな製品・サービスを生み出すことにより、 日本の「ものづくり」の復権の一翼を担い、それを世界へ発信していくことを わが社の経営ビジョンとしています。

どうやっているのか

◆創業の精神「まず人が先」◆ 創業者坂本透は、1945年8月15日東京恵比寿の海軍技術研究所で18歳で終戦を迎えた。理工系学生であったため、1年半で徴兵解除され海軍技術研究所へ、電気の知識を買われ命が助かった。東京は見渡すかぎりの焦土、焼け残った資材をかき集め、人々の煮炊きを楽にできるようにと電熱器の製造を手がけた。続いてプレスの仕事をケトバシ1台から焼け残った長屋の玄関で始めた。 そして1951年5月10坪の工場を建て、社名は「共和電機興業所」とした。「電機」は今でいう「メカトロ」、電機の知識を生かして世の中の役に立とうという念いを「興業所」に込めた。 そして、お客様からつけられた評価は「共和のあさって」というものだった。今日注文すると「あさってには必ず納品してくれる」という信頼を表現したものであった。 どんなに無理をしてもお客様のために約束は必ず守るという誠実さと惜しまない努力が評価され、次第に受注は広がっていった。 創業者は口癖のように「顧客、仕入先、社員、世間様のことを大切にする」と言っていた。 関わる人たちを幸せにすることこそが企業の永続発展の要との念い、それがで「まず人が先」であった。 ◆社名「キョーワハーツ」に込めた想い◆ 二代目坂本悟は、1991年創業者の突然の病気で急遽社長の立場を引き継ぐことになった。 新たな時代に通用する会社として再出発するために「キョーワハーツ」と社名を変えた。  「キョーワ」は先代の付けた「共和」を引き継ぎ、「社員皆で心を合わせ 心を込めたものづくり」をしようという念いを込めた。 ◆社是「ひとづくり ものづくり」◆ そして経営をしていく上で最も大切にする理念を「社是」として、「ひとづくり ものづくり」と定めた。 良いものづくりをするためには、良い人格(人の役に立とうという誠実さを備え、努力のできる)が大切であり、人財の育成を経営の基本に置くということを宣言した。