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会社員なんて向いてないって、とっくにわかってる

「軽度ではありますが、うつ病ですね」

目の前に座る精神科医がそう言葉にした。驚きはしない。「やっぱりそうか」と思った。むしろ、免罪符をもらえたような気がして、ちょっと安心すらしている自分がいた。つい数ヶ月前のできごとだ。

昨年の10月に会社員をやってみるという道を選んで1年と2ヶ月。苦しかった。心の底から苦しくて、毎日のように泣き続けて、途中からは涙も出なくなって、空虚のような心で生きていた。何度か辞めようと思案して、それでも続けてみたいと崖から落っこちそうな自分を奮い立たせて這っていた、そんな1年間だった。

いつだってフリーランス一本に戻せるのだからと、なかば安易な気持ちで選んだ会社にも所属してみるという選択は、わたしにとってよかったのか。正直なところ、現時点ではまだわからない。よかったこともあるし、それ相当にわるかったこともある。

それでも「苦しかっ“た”」と過去形で話ができるくらい、あの日々よりは少しだけ穏やかに笑っていられるのだから、人生のなかで今経験するにはわるくない時間を過ごしているのだろう。同時に、もう少し、今の日々を続けてみたいと乞い願うわたしもいるのだ。

フリーランスとしてだけ生きてきた人生から、会社を構成する一要員としても生きる人生を選んで、見えた景色は(人によってはささやかだけれど)わたしにとっては大きく変わった。そんな1年間の変遷を、記憶の限りに振り返ってみようと思う。

この記事は、カケハシ Advent Calendar 2023 の6日目の記事です。

なお、今回お届けするのは、昨年の末にアドベントカレンダーにて公開した、転職エントリの続編にあたる、定点観測記事です。第一弾として下記もご覧いただくと、より一層“ひょんなことから”でキャリアを変えちゃう浅はかなわたしと、そのくせよく悩むわたしを見比べていただけると思います。よろしければ。

上のエントリでもそんなニュアンスのことを書いているが、当時の会社員になる ── 会社員になりたかったわけではなく、たまたまそうなった、というほうが正確だが ── という選択は、ある意味「実験」のようなものだった。

フリーランスとしてだけ働いて丸6年、生きてきた。これから先もそのままに生きることはできるだろうと思ったし、それでも構わないとも思っていたし、未だにそう思っている。ただ、フリーランスのクリエイターは、ちょびっとだけ孤独感があって淋しかったし、率直にいうと多少飽きてきてもいた。

新しい環境に身を置くことで、スキル的にも価値観的にもアップデートできないだろうかという思いが、はじめての会社員というそれなりの挑戦にわたしを踏み切らせたのだった。

転職したばかりのときは、新しい環境に慣れるための営みで精一杯だった。昨年のアドベントカレンダーを公開したときもまだ入社3ヶ月目と、実のところは毎日が緊張の連続だったように思う。当時のわたしは、格好つけて「“ニュートラル”に働けている」だなんて言っているが、元来ストレス耐性の高くない性格だ。順応するのに十分ではなかった。

最初に調子がおかしいと思ったのは、入社から半年が経過した春だった。

というのも、突然、意識を失ったのだ。ある月曜日の夜、自宅に帰宅したところまでは覚えているのだが、その後の記憶がないままに、気がついたら水曜日の夕方だった、ということがあった。火曜日と、水曜日の日中の記憶がないのだ。眠り続けていたのだろう。

目が覚めてみると、心配をしてくれたチームメンバーからの連絡が社用、プライベート用それぞれのスマホに溢れんばかりに届いていた。それを見て、一日半もの間、飛んでしまっていたことに気がついた、というわけだ。

めちゃくちゃパニックになった。なにせ、27年間生きてきて、そんなことは人生ではじめてだった。

その日を境に、いろいろな心身の不調が一気に訪れた。具体的には、眠れない、起きれない、意味もわからず涙があふれてくる、気持ちが常にネガティブになる、仕事に集中できない、などなどのエトセトラ。

大学時代、社会不安障害を患ったことがあり、そのときの症状によく似ていたものが多かったので、なにかしらの心的ストレスがかかっていることは理解できた。正直、無理をしている感覚はなかったので、なにをストレスだと捉えているのかはわからなかったが。


そんな日々が続いていくと、働くどころの話ではなくなってくる。わたしの体調を心配した(当時の)ディレクターからの勧めもあり、産業医面談を設定し、その後、そのまま近くの精神科に通うよう諭された。メンタルクリニックへの通院は8年ぶりだった。

「軽度ではありますが、うつ病だといえますね。どんなことが枷になっているのかを少しずつ理解したいので、話を聞いてもいいですか?」

目の前に座る精神科医がそう言葉にした。

自分のことを話すのは、正直あまり好きではない。特に、弱い部分、ソフトな部分に触れられると崩れそうになる。だから、迷いながら、慎重に話をした。その日、通院するまでに起きたこと、思っていたこと、そういうことをポツポツと言葉にしていくと、自分の心の内が鮮明に見えてきた。

まず、わたしにとって、今回の転職は過度なストレスを伴うものだったらしい。医療・薬局業界という、はじめて携わる業界でキャッチアップがすごく難しいこと。会社員という形態上、毎日顔をあわせる人がいる環境であること。そういう”あたりまえ”のことが、慣れない人間にとっては小さな負担になって積み重なっていた。

加えて、高いクオリティで成果を出し続けなければというプレッシャーもあった。わたしが所属するチームには、クリエイティブディレクターとアートディレクターが一人ずつ在籍しているが、この二人が凄まじいクリエイターなのだ。そのアウトプットは敵わないな〜と思うものを、ポーンとつくる先輩たちを前に、自分の価値について問うシーンに幾度も遭遇した。

簡潔にまとめると、新しい環境への順応がそう簡単ではないタイプの人間が、いいものを作らなくてはと背伸びを続けようとすると、気づかないうちにめちゃくちゃ体調を崩す。そういう話だ。そんな単純なことに、わたしは自分で気づくことができなかった。

そのおかげで、結局、4月〜8月の約4ヶ月間をうつ状態で過ごすことになった。投薬の甲斐はもちろんあったのだが、(後述するが)それよりもたくさんの人の助けを得られたことで、このアドベントカレンダーを執筆している12月現在は、なんやかんやほどよく生きている。

当時のわたしにとって、会社に入るという選択はとても安直なものだった。いつでもフリーランスには戻れるし、合わなければ辞めればいい。そうわかっていたからだ。

もちろん、その気持ちは今でも変わっていなくて、会社にしがみつきたいだなんて気持ちはこれっぽっちも存在しない。だけれど、わたしは「辞めたほうがいいのかな」とこそ思ったものの、「もう辞めてしまおう」とまでは思わなかった。

その背景には、わたしをどん底の状態からすくい上げてくれた人たちがいる。それは、いずれも社内の人で、気分が落ち込んでいるわたしの生きる理由になってくれた。

その一人は、入社当初、同じチームに在籍していた人だった。入社したばかりで怯えていたわたしを他チームの人に紹介してくれたり、業務上の悩みを一番に聞いてくれたりと、心の拠り所になってくれていた。

その後、人事異動によってチームが変わってしまったが、彼女が担当している仕事での撮影に同行する機会があったりと、縁深く交流をさせてもらった。

もう一人は、入社当初から異なるチームに在籍している人だった。お酒の席で話したことがはじまりで、その後も仕事での接点はあまりないのに、頻繁に声をかけてくれていて、実際に話を聞いてもらってもいるし、たくさん面倒を見てもらってしまっている。

わたしのふるまいに対して「しのちゃん、その発言は良くないと思う」と叱ってくれる人でもあって、先輩としてこのうえなく尊敬している。

それから、同世代の仲間たち。社内には今、わたしを含めて14人の同い年が在籍していて、定期的に会ったり、話したり、ごはんを食べたり、お酒を飲んだりしている。夏には京都で一棟貸しのお宿をとって、一泊二日のワーケーションをしたくらいだ。たぶん、結構、そこそこ仲がいい。

一人でずっと生きていた人間にとって、(チームは違えど)お互いにがんばっている同世代がいることはすごく励みになっていたりもする。

そしてなにより、同じチームに所属している人たち。先ほどもささやかに書いたが、クリエイティブディレクターとアートディレクターというクリエイティブに携わる二人の先輩たちは、二人ともすごく繊細で、いいものをつくる人だ。

入社したばかりの頃こそ、彼らの凄まじさに圧倒されたりもしたけれど、彼らと働けることに対するクリエイターとしての喜びは時間を経るごとに増している(いや、すごすぎて落ち込むこともまだあるんだけど)。

ほかにも、わたしはたくさんの人との出会いに恵まれている。本当は全員のことを書きたいくらいだけれど、ちょっと取りとめもなくなってくるのでこのくらいで。

決して、すごく大きな”なにか”があったわけではない。エポックメイキングな話もない。けれど、会社という場所に身を置いてみなければわからなかった人との出会いや交流があって、それらのすべてが、わたしにとってはポジティブに働いているのだ。

気分がとことん沈んでいたとき、こういう人たちに助けられて生きてきた。「彼らと働けるなら、もう少しだけ続けてみるか」と、そう思うことができたのが、今もなお、会社を離れていない最大であり無二の理由だ。

転職してから1年と2ヶ月が経過した。

わたしは自分のことを、つくづく会社員には向いていないなと思う。働けば働くほどそう思うし、社会不適合さにほとほと呆れることも少なくない。それでもなんとか働き続けることができているのは、わたしが選んだカケハシという会社が、それだけしなやかに支えてくれているからだと思う。

昨年、アドベントカレンダーのエントリで、わたしは自分が大切にしているルールや軸をこんなふうに書いていた。

○ 生きることに余裕を持てるだけの収入を得ること
○ 働く時間と場所に制限を設けないこと
○ 数字でばかり評価される仕事をしないこと
○ クリエイティブの価値を理解してくれる人と働くこと
○ コミュニケーションの温度が合う人のそばにいること
○ 一つの会社だけではなく複数の会社やプロジェクトに携わり続けること
○ なにより、日々を楽しめる選択をすること

ひょんなことから、27歳、はじめての会社員」より

今、改めて振り返ってみて、この軸は未だに寸分も変わっていない。しかも、わたしは今の環境でこれをクリアしつつ生きられているのだ。相変わらず旅も続けているし、フリーランスのクリエイターとしての仕事も存分に請けている。時間はかかったが、随分とフィットした暮らしを送れるようになった。

別に辞めることが悪だとか、続けることが正義だとか、そんな単調なことを考えているわけではない。けれど、少なくとも、わたしにとっては「ちょっとばかし続けてみる」という選択がきっと正解だったのだろう。その後押しをしてくれた周囲の人たちの存在に気づけたのも、継続したからこそだ。


ひょんなことから、会社員になった。意外といけるかもと思った矢先、全然無理で、泣き腫らすような日々を送るようになった。それでも、わたしはカケハシという会社が好きだ。もう少しだけ働いてみたいと思えるほどには好きだ。だから、続けてきた。

この先も見知らぬ苦労がまだまだあると思うし、心細くなったり、居心地が悪くなったりもするはずだ。

だけれど、カケハシという会社を愛してもらえるように、なによりわたしが自分自身の人生を楽しく見つめられるように。これからもクリエイティブの力を信じて、今の暮らしに身を委ねてみようという思いで日々を生きている。


📷 main photo - sachi

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