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すべての経験は必ず繋がる──37歳での挑戦、48歳での大転身

浅利 晴子は、人材紹介延べ200件以上を成約に導いたジェイ エイ シー リクルートメントの精鋭コンサルタントです。そんな彼女が人材紹介業界でキャリアを歩みはじめたのは37歳のころ。人材紹介業界未経験だった彼女が約13年間でどのような経験を重ね、多数の実績を積み上げてきたのか、その経緯を語ります。


※2020年当時のエピソードです

ドイツでの経験を経て、37歳で人材業界へ

ジェイ エイ シー リクルートメントの強みの一つはコンサルタントの多様性ですが、なかでも浅利の経歴は特筆すべきものです。浅利の人材紹介業界デビューは37歳でした。多くの同世代が守りに入るなか、なぜ浅利は挑戦を選んだのでしょうか。


浅利 「以前はドイツ関連の半官半民の企業に勤めていました。ドイツと日本の橋渡しをする仕事にやりがいを感じていましたが、もともと民間企業で働いていたこともあり、再度民間企業で挑戦してみたいという想いが強まり転職を考えるようになりました。

ジェイ エイ シー リクルートメントは、自身が転職希望者として登録したことをきっかけに知り、担当者から同社のコンサルタント業務に興味はないかとスカウトされ、初めて自分のキャリアの選択肢としてこの仕事を認識したのです」

機を同じくして別の人材企業からもコンサルタントとして誘われた浅利は、人材業界に運命を感じます。グローバルに強いジェイ エイ シー リクルートメントならドイツでの経験を生かせると考え、転職を決めました。

浅利 「未経験だったこともあり、私はここでやっていけるのだろうかと不安に感じていたことを覚えています。実際に1年目は何もかもわからず、ことあるごとに『どうしたらいいでしょうか』と、周りの先輩方に相談していました。以降2~3年間、多数の部署を経験し、何をやっているのか自分でもわからない時期が続きました」

入社当時は目の前の仕事に精一杯だった浅利ですが、自分の持ち味を生かすことでトップランナーへの道を歩んでいきます。人材紹介の神髄を知る転機は、どこにあったのでしょうか。

無知を恥じず相手を感じる、経験とセンスを武器に

浅利が頭角を表すきっかけとなったのは、「両面型(企業と人材の双方を一人のコンサルタントが担当するスタイル)」に挑戦するチャンスを得たことです。

浅利 「人材紹介業は、企業の採用サポートと人材の転職サポートの両面で成り立っています。入社後1年は人材担当だったのですが、両面を知るために企業担当に挑戦したいと自ら申し出ました。未経験から入社して間もない私に、快く企業担当のチャンスをくれたことは、今考えれば凄いことですよね。

これを機に、人材紹介業の全体が見えるようになり、お客様である企業の担当者の顔を知ることで視界が開けて、人材紹介の面白さを知ることができるようになったと思います」


企業側と人材側の両方を経験することで人材紹介業の本質をつかんだ浅利は、その後は保険業界に特化した人材紹介のキャリアを重ね、両面型コンサルタントとして実績を増やしていきます。

浅利 「保険業界は求人側のクライアント企業が限られているクローズドマーケットです。その中でどれだけ最適な人材を見つけて採用していただけるかが鍵を握ります。人の奪い合いが生じる、シビアな競争でした。優秀な人材と繋がれるコンサルタントにならなければ、結果は出ません」


では、優秀な人材と繋がり、業界で生き残るためにはどうすればいいのか。その問いの答えは、浅利が大切にしているポリシーの中にあります。

浅利 「優秀な人材とのコミュニケーションには、企業や業界の動向について知識が必要です。一方で、登録者の知識のほうが豊富であることもしばしばあります。そういうとき、素直に教えてもらうことが大切です。面談をしている中で質問すれば、自然に業界の知識がつきます。知ったかぶりをしない、無知を恥だと思わない姿勢が、コンサルタントには必要不可欠です」


さらに浅利は、自身の経歴とセンスを活かして、面談やマッチングから成功を重ねていきます。

浅利 「私は人材紹介業界でのキャリアは長くないのですが、その分人生経験は積んできました。転職経験者として、相手の気持ちがわかることも多いです。相手がなぜここに来たのか考え、寄り添えるよう心がけています。

私なりのマッチングの秘訣は、レジュメからは読み取れない会社と登録者の相性のようなものを見極めることです。社風と人柄がハマるか、上司になる人との相性がよさそうかなど、面談する中で感覚的に見定めるところが腕の見せ所かな、と思います」

48歳で心機一転──挑戦したい気持ちに従い前へ進む

2018年、浅利はキャリアを重ねた東京本社の保険領域から離れ、自ら望んで大阪支店に異動します。そこでは業界の領域を超えて経営者や役員クラスの転職を支援する、エグゼクティブ層を担当することになりました。

浅利 「枠組みができている中で働くのではなく、もう一度ゼロベースで仕事がしたくなったんです。48歳での挑戦ですから、周囲から驚きの声も上がりました。東京から離れ、大阪に舞台を移したことも、一部の人には理解できない選択かもしれません。

でも、これ以上目の前のことばかりやっていても、人間としてもコンサルタントとしても成長しないという危機感のほうが勝ちました」


誰もが驚いた決断は、浅利自身にとって必然だったのかもしれません。一見すると自由奔放なキャリア選択のように見えますが、浅利はすべての経験が繋がることを自らのキャリアから知っています。

浅利 「これまでの経験は、大阪に異動した今の職場でも生きています。たとえば、東京から大阪にいらっしゃるエグゼクティブクラスの方のご対応に、過去の人脈や経験を生かしてお話できますし、専門領域として携わっていた保険業界での経験が大阪で生かされていることも多々あります。

これまで点だった経験がさまざまな形で線や面として繋がっていくのが目に見えてわかり、とても面白く感じるんですよ」


新天地でもこれまでの経験を土台に活躍する浅利は、挑戦を認めてくれるジェイ エイ シー リクルートメントだからこそ、今があると振り返ります。

浅利 「37歳で未経験の人材を受け入れることはもちろん、48歳で新しい分野にチャレンジすることを許してくれたことには驚きと感謝しかありません。

ジェイ エイ シー リクルートメントには多彩なコンサルタントがいます。数字を目標にしても、私のような生き方を選んでも、それぞれの領域で活躍しています。個々のコンサルタントの個性が共存しているからこそ、挑戦を認める文化が育つのかもしれません」

会社ではなくお客様に尽くす、良きアドバイザーとして

浅利をいつまでも前に進ませ続ける原動力は、楽しいこと、失敗や苦労といった経験がすべて繋がるという確信です。そして、それは浅利自身の目標設定にも影響を与えています。

浅利 「何ごとも足跡になる。だからやってみたいと思ったことはやることにしています。それがたとえ、いわゆる数字に直接影響がないように見えても。直近の数字だけ見ていると、仕事がつらくなりませんか?数字は状況や時代によって左右されるものですし、いつまでも数字が上がり続けることなんて、ないと思うんです。

それよりも、失敗も含めた経験を蓄積させていくことが大事だと思います。量を担保しないと、質は高まらないですから、とにかくチャレンジしてやり続けること、そしてその結果が、数字に繋がるのではないでしょうか」


数字を目標と捉えない浅利は、まったく異なる視点でぶれない目標を掲げています。それは、お客様を前にして初めて見える目標でした。

浅利 「お客様にどう思われているか、マーケットにどういう影響を与えているかをとても重視しています。お客様に寄り添うことはコンサルタントの大切な仕事ですから。

エグゼクティブという領域で、『ジェイ エイ シー リクルートメントに浅利さんというコンサルタントがいるよ』と認知されて、いざというときに頼ってもらえるような存在になりたいです」


お客様に寄り添うこと。シンプルなモットーが胸に宿っているからこそ、これまで浅利が重ねてきた実績や挑戦は導き出されてきたのでしょう。

浅利 「人材紹介業は、ただ人材を紹介する仕事ではありません。成約する、しないに関わらず、良きアドバイザーになれているかどうかが一番大切だと思います」


長く挑戦に満ちた浅利のキャリアを支えてきたのは、お客様に向けられた温かな心でした。

コンサルタントとして誠実に働いてきたからこそ見える、すべてが繋がる世界で、浅利の躍進は続きます。

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