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<連載>書籍「世界で生きる」は、こんなにも面白い!ボーダーレス ④

第2章 ベトナムでの起業前夜

空回りする日々


2007年2月3日、ぼくはホーチミンのタンソンニャット空港に降り立った。
大洪水のごとく押し寄せるノーヘルのバイク集団が、排気ガスまみれの空気をかき混ぜ、
塵と埃が舞う。
ヌックマムの香りが、汚れた空気と強い日差しと相まって東南アジアにやっ
て来た感情を掻き立てた。
ここから俺の新たな人生がスタートするんだ―そんな強い思いでホーチミンの地に足を
踏み下ろした。
ベトナムで起業する。その思いを胸にしていたぼくは、意気揚々としながらも少しの不安
を抱えていた。
とはいえ取り急ぎやることといえば、当面は知人の会社のお手伝い。
まずはベトナムに慣れねばと、会社のサッカークラブで仲間との交流を深めたり、ホーチミン市人文社会科学大学などの大学で開かれている日本語クラブに通ったりする日々が始まった。
知人の会社には、既存事業の業務担当で入社したわけではなかったので、来てみてわかったけれどやることがない。
ベトナムで活躍するんだ! と息まいていたものの、上司からの指示といえば、とりあえず会社概要を抱え、売るサービスや商品もほとんど固まっていないなかで営業することだった。
そもそも営業をほぼしたことのない自分が、誰に教えられるでもなくアポを取り、会社概要を説明しに行く。そして何かのビジネスの種を見つけてくる。
そんなつかみどころのない日々が続いた。
威勢よくベトナムに来たあと、仕事で成果を上げられない日々が続いたことが最初の関門となった。
雲をつかむような話ばかりで実際には何もやれていない。それでも大口叩いてベトナムに来た限りは何もできずに帰国はできないと、がむしゃらに営業訪問を繰り返した。
当時、所属させてもらっていた会社のベトナム現地向けのサービス内容が固まっていなかったことから、営業訪問を重ねても具体的な案件につながらないのだ。
ベトナムという新興国に志をもってやって来たにもかかわらず、何もできていない自分。
新興国は物価が安く住みやすい反面、自身の給料も3分の1ほどに下がった。
ただ現実には、物事が何も進まない。
焦っていても仕方がないが、何も好転しない。
2007年当時、20代中盤の同年代ビジネスパーソンや起業家の友人はほぼおらず、孤独を感じることが多かった。営業先で出会ったある年上の駐在員の方からは、明らかに蔑むように、「君みたいな若い子がベトナムにまで下ってきて何するの?」といった趣旨の言葉を投げかけられた。
ぼくとしては、新興国という荒野を開拓するアントレプレナーシップをもっていたつもりだった。
しかし、どうやら海外でビジネスをする日本人にとって、東南アジアの弱小国のひとつであるベトナムでの起業は、少なくとも当時はまだ出世街道ではなかったらしい。
その頃、何もかたちが決まっていないなかで飛び込んだベトナムで立ち往生している様子を、すべては伝えていないものの心配で連絡をくれた母親に説明し、少し弱音を吐いたことがある。
その話を聞いたのか父親からは、心配するからこその親心だとは理解できるが、「くだらない活動をベトナムでしているくらいなら、さっさと日本に帰ってこい!」と叱咤されひどく落ち込んだりもした。
そんな悔しい気持ちを抑えながら、なんとかかたちあるプロジェクトを立ち上げ、商品かサービスの開発をスタートさせたいと思っていた。

洗礼


ようやく3か月ほどしてプロジェクトが動き始めた。
ベトナムの企業を日本に紹介する書籍を刊行するべく企業出版の企画が持ち上がったのだ。
スポンサー探しを兼ねたベトナム企業の営業開拓という目的ができ、動き出すことになった。
ベトナム人のアシスタントもいない状態で企業開拓が始まった。インターネットで営業先を洗いざらい探してリスト化し、日本から来た書籍出版の提案メールを代表宛てにひたすら英語で送りつけ、猛烈にアポを取りまくった。
当時のベトナムはインターネット回線が細く、通信環境が劣悪だったため、雨が降ったり日中になったりするとひどく遅延し、送信ボックスに送信待ちのメールがひたすら溜まった。
それでも結果的にホーチミンに始まりハノイもあわせて9か月間で約300社、企業出版の企画提案前の営業もあわせると400社以上の訪問を繰り返し、ベトナムの中にどっぷり浸かっていった。
無謀なアポを取っていくなかで、零細企業だけでなく、大手建設会社の会長、当時有名だったITベンチャー起業家のインタビューを取りつけることにも成功した。
来る日も来る日も、ベトナム人経営者に企画を提案し、原稿を提出してもらうやり取りを繰り返した。
多くの場合、訪問先は超零細企業で英語がほぼ通じなかったが、屈託のない笑顔の社長が迎えてくれたり、担当者の方がもの珍しく対応してくれたりした。
ぼくは片言のベトナム語であいさつし、中身は英語で説明した。
日本人もしくは日本企業というだけで信用してくれたのは、ぼくたちの先人が築いてくれた遺産だろう。
名もなき日本企業の怪しげな出版企画に賛同してくれて、目標の50社に着々と近づいていった。
そんなある日、異国の地の洗礼を受ける出来事を経験した。
縫製企業から申込書を回収してベトナム人スタッフのバイクの後ろに乗せてもらい帰社し
ている最中、後ろから近づいてきたバイクの男に膝の上に置いていた鞄を奪い去られたのだ。
幸い転倒はまぬがれ怪我をせずに済んだけど、改めて日本に居るのではない事実を思い知らされた。
またあるときには、新興国のダイナミズムを経験することになった。
いつものようにアポ先に訪問した際、一度目の面談にもかかわらず大会議室に通されると、10人程度がズラリと一堂に会していたのだ。
その訪問先はベトナム建設業界のトップ企業であり、目の前に並んでいたのはおそらく役員と思われる人たちだった。
経営者慣れしていない当時のぼくは緊張したし、そんなに大した提案があるわけでもなく恐縮した気持ちになったものだった。
それでも、ベトナム人の経営者たちはみな前向きな人たちばかりだった。「日本の人たちに知ってもらえるのなら」と提案に乗り気で、見込み客の獲得から最終的に20%程度の確率で案件化に成功した。

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