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<連載>書籍「世界で生きる」は、こんなにも面白い!ボーダーレス ③

前提を疑う 


気づけば2006年、新卒で入社して3年目にあたる年を迎えていた。
全力でやり切る一方、会社で働くのは3年間という期限を切っていた。
いよいよ自分の起業プランを考えなければならない。当時のぼくは、相変わらずフランチャイズ本部の事業を立ち上げるべく商品企画やクレーム対応に追われる日々を過ごしていた。
だから自身の起業のために時間と頭を使えていない日々に悶々としていた。
空いた時間に書店に行き、事業計画の立て方のような本を読んでもイメージが湧いてこない。
そんな焦りからか、本気で起業家になるんだ! 事業を興して社会にインパクトを与えるんだ!と奮起し、自身に発破をかけていた。
一方で社会には鬱々とした雰囲気が漂っていたのを覚えている。
当時はiPhoneがデビューする前でインターネットといえばPC。
2006年1月16日にライブドアが証券取引法違反の容疑で強制捜索を受け、翌1月17 日の株式市場の大暴落へとつながった、いわゆるライブドア・ショックがあった年明けだった。
なんとなく起業家やベンチャーが怪しいとか、失われた20年なんて言葉が出始めた頃だったと記憶している。
またニュースでは団塊の世代が60歳の定年を迎え労働人口が減っていくと報じられていた。
少子化が進んだ結果、労働人口だけでなく総人口も今後数年でピークを迎え減少に転じるのは確定していた。
少子高齢化のような重要事項に対しても抜本的な政策を打たないでいた政治も日本の未来のなさを表しているようだった。
そもそも人口が減っていく社会で閉鎖的に日本国内だけで事業を展開してもダメなのではないか?
この状況を打破するためにはイノベーションを起こして新たな産業を創出するか、世界のマーケットを獲りにいくグローバル戦略を敷くか、この2択しかないと考えるようになっていった。
一方で当時交際していた彼女(現在の妻)はアフリカが好きでウガンダで勤務していた。
明るく後先を考えない彼女は、国際電話で「ウガンダ楽しいよー! アフリカでビジネスしてみたら?w」と軽口を叩いてくる。
そうやって海外というキーワードが日常だったぼくは、ある日ふと思いついたのだった。
日本人だからといって日本で事業を興さなければならないわけではない―と。
世界に日本のマーケットを広げていく、世界の人により日本に来てもらうなど、さまざまなかたちでグローバルマーケットを獲りにいくのが日本の成長戦略にとっての重要テーマだ。
ならば、自分がその領域で事業を興してみよう! と思うようになっていたのだった。
ではどうしよう?
これから人口が増加し、一人あたりの所得も増えていく荒野に足を踏み入れたらチャンスがあるし、何より面白そうだ。そんな思いつきから、半年前に参加したベトナムのビジネスツアーが脳裏をよぎった。
「そうだ、ベトナムへ行こう」
雷が落ちた瞬間だった。
いつも通う浅草の田原町本社ビルから雷門通りを抜けて言問通りに向かう帰路で思い立ったのだった。
まさに雷門通りで頭に雷が落ちたかのような衝撃だった。
ぼくはなぜ、〝日本〟で起業しようと決めつけていたのか?
日本人が事業を始めるのに、日本国内でという先入観にとらわれているのはなぜか?
理由はない。
それが前提となっているからだけだ。前提を疑わないからだ。
ぼくは大学の頃にニューヨークに渡って衝撃を受け、さらにイギリスの大学に留学していた元国際派ではないか! 
こんな勘違いから前提を疑い始めたのだ。


未来への扉

ベトナムで何かできるのではないか?
当時のベトナムは平均年齢20代、人口は毎年100万人増加中、GDPは6~8%と成長真っ只中の国だった。
その未知なる国の可能性に、2006年9月中旬、当時勤務していたオフィスのある浅草の雷門通りを歩いていたときに気づいたのだった。
体の中から溢れてくる情熱、頭の中に雷が落ちたかのようなあの感覚を今でも思い出す。

何をやるかは決まってない。
会社を経営した経験もない。
営業マンとしての実績もない。
部下を持った経験もない。
ベトナムでの人脈もない。
メンターもいない。
お金も大してない。
投資家もいない。
とにもかくにも何もない……。

あるのは、ベトナムという地で事業を立ち上げるのだ!という情熱のみ。
思い立ったその瞬間が行動を起こすチャンスだ。
すぐ直属の上司に退職の意思を告げた。
そしてベトナムに関する唯一の手がかりだった、ベトナムビジネスツアーを企画した会社の代表の方にお願いして、期間限定で働かせてもらうことになった。

とはいえその会社でやることは何も決まっていなかった。
それでもとにかく世界に出なければ、ベトナムに行かなければ、そんな衝動に駆られて行動しただけだった。
夢と希望を胸にホーチミンでの生活が始まろうとしているが、それ以外は何ひとつ決まっていない。
そして何も持っていない。社会人としての3年の経験は、豆腐や食品のフランチャイズチェーンの一部業務を回したことだけ。
不安だった。
でもそれ以上に、未来への扉が開かれる期待に胸が高鳴るのであった。


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