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日本で誰よりも日本に住んでいる外国人に詳しいのは私だと思います(笑)

株式会社グローバルパワーに入る前

まず、自分がグローバルパワーに入るきっかけになったのは、自分がカナダに留学していたからと考えています。そのエピソードからお話しさせてください。 私は、農業を学びたくてカナダに留学することを決め、勢いでバンクーバーにある州立大に留学しました。早く英語が話せるようにならないといけないと思い、日本語を話さないという断固たる決意をもって生活していましたね。出来ることから精一杯やろう、留学している今しかできないことをたくさん経験しようと決め、毎月毎日スケジュールを組み立て、学習と課外活動・遊びのバランスを考えて過ごしました。 向こうの大学は、日本のように机上でノートを取る授業ではなく、チームで調べたことを発表するプレゼンするような授業が多く、まだ全然使えない英語と格闘する日々が続き、毎日寝られませんでした。英語を上達させるため、ジムやヨガ教室にひたすら通い、インストラクターとひたすらコミュニケーションをとることで、会話力を磨きました。同時に、ひたすらネイティヴが使う英語を勉強し、当時流行っていたAvril LavigneやEMINEMの歌を聴きまくって、ヒアリング力を付けていきました。 このようなカナダの生活でしたが、最初はホームステイから始まりました。ベジタリアンの家族の家で生活をさせていただいていたのですが、初めて学校に行く日にランチをいただいて、学校に持って行ったところ、サンドウィッチの中身が、セロリ2枚をパンで挟んだだけのサンドウィッチとピーマンの輪切り2枚をパンで挟んだだけのサンドウィッチだったという衝撃が今でも忘れません。あれがサンドウィッチと呼んでいいものなのか今でも時々考えることがあります(笑) その後、カナダ人とのルームシェア、メキシコ人とのルームシェア、最後にUAE人とのルームシェアで生活していきました。世界中から留学に来ている仲間が一時帰国する際は、おねだりして一緒に帰国し泊めてもらったりして色々な国に遊びに行きました。 カナダで思い出に残っているエピソードを2つほどお話しさせてください。 まず、カナダ生活2か月目くらいの時に、親知らず2本が同時に動いてしまい、あまりにも痛くて歯科に行かなくてはならなくなったことです。歯科に行ったら、歯科医に「ラブトゥース」がどうこう言っていたので、親知らずが英語ではラブトゥースということを初めて知りましたね。「恋してるなー」と歯科医に言われ、恋をすると親知らずが痛むみたいな迷信があるんだなということも勉強(?)になりました。ただ、その後の施術に話していた英語は全く分かりませんでした。 次に、カナダ生活6ヶ月目くらいの時に、地下鉄のキヨスクでスキミングされたことですね。40万円分口座がネガティヴになっていて超焦りました。その後、弁護士に相談して、無事に返済されたのでなんとかなりました。海外でカードを使う時は皆さんも十分気をつけてくださいね。

日本に帰国後、カナダと関連があるという安易な理由で前職の商社に入社しました。 まず、システム事業部に配属され、専用システム機器のセットアップ、システム機器の営業サポート等を行っていました。配属後すぐに全国行脚を行い、ガンガン営業していました。一方で、カナダから輸入した24時間稼働のシステム導入の責任者(責任者といっても社長と2人でしたが)も任されていたのですが、そのシステムに不具合が多かったため、トラブル対応等で24時間働いていましたね。当時は、中国やドイツに海外出張する機会もあったので、今よりグローバルな移動をしていましたね(笑) 4年半ほど働き、その間に海外の仲間(台湾人・カナダ人)が日本に来ても仕事が見つからずに帰ってしまうという現実をみて何かしてあげたいと思ったことや、自分も以前は留学生だったということから、留学生紹介を行っていたグローバルパワーに共感を覚え、転職することに決めました。

現在

今は、グローバルパワーで新規の法人サイドの営業をやっています。主に、優秀な外国人の総合職ないしは専門職の紹介を中心にクライアント開拓を行っています。最近は非常に引き合いも多くいただき、順調に進めていますが、入社から現在に至るまでには色々なことがありました。今から少しだけそのお話をさせてください。 まず、弊社にジョイン後すぐにリーマンショックがきて、外国人どころか日本人のアルバイト採用すら厳しい時代が到来しました。熱い志を持って入社したのに、世間はなんて残酷なんだと思いましたね。 当時は、大手コンビニの西新宿5丁目店や大手牛丼チェーンの渋谷センター街店といった個別のお店単位にアルバイト採用の営業をかけるしかなくて、非常に苦労しました。それでも、外国人を採ろうというお店は少なかったし、外国人を連れて行こうとしても来ないというようなことも頻繁にありました。 また、某有名デザイナーが来日する際のSPとして外国人5人をアサインするという案件があったのですが、アサインした5人のうち4人が来なかったこともあり、外国人人材ビジネスとはこんなにも難しいのかと途方に暮れた時期もありましたね。(今はノウハウもあるので、外国人が来ないような事例は殆ど発生しないのですが。) 地道に飲食店やコンビニの営業をひたすらしていたところ、大手デベロッパーさんから外国人活用のご依頼が来てそこから歯車が動き出しました。まさに、神降臨って感じでしたね。ちなみに、最終プレゼン日に竹内さん(弊社の社長)がまさかの名刺忘れをして血の気が引いたことを今思い出しました(笑) そのデベロッパーさんのおかげで、会社も軌道に乗るかと思った矢先の出来事でした。 忘れもしない2011.3.11、東日本大震災が発生しました。未曽有の大地震により、弊社の登録外国人がほとんど帰国してしまいました。空港から電話をしてきたフランス人の「増島さん、帰ります。」という今にも息が途絶えそうなくらい小さい声での電話は今でも忘れません。 震災直後は、今まで働いていた外国人が帰ったという理由で引き合いが増えたのですが、弊社にも外国人がいない状態だったので、人材紹介には非常に苦しみました。 それでも少ないながらも外国人を企業様にご紹介してなんとか踏ん張っていました。その努力が報われたのか、徐々にインバウンドやクールジャパン、オリンピックというキーワードがきて、色々なご相談をいただくようになりました。今は、その時の辛さを乗り越え、成長軌道に乗っています! 私が担当した様々な案件の一部を紹介させてください。 ・大手電機メーカーからアフリカに静脈認証システムを販売するにあたって、アフリカ人300人を紹介してほしいというご相談をいただき、アフリカ人308人を紹介したという案件 ・外資系自動車メーカーの車の性能調査に7カ国8名を紹介するプロジェクト ・高速道路の看板の日本語の下に記載されている英語表記の調査案件で欧米系アジア系南米系の様々な外国人10名による調査案件 このような案件を推進していったことから、大手商社やメーカーの戦略的外国人採用の案件などに携われるようになりました。 ちなみに、あまりにも多くの外国人と接してきたことによって、六本木や原宿を歩いていると、外国人にHey! Shige! と声をかけられるようになりました。なので、今でも六本木を歩く時には誰かに会うんじゃないかって気持ちになりますね。

株式会社グローバルパワーについて

日本にいる外国人に特化している会社はそんなに存在しないので、グローバルパワーというのは貴重な存在だと考えています。外国人を活用しようなんて誰も考えていなかった時代から、エッジをきかせて13年目に入り、これからが楽しい時期だと考えています。リーマンショック、東日本大震災にも負けることなく頑張ってきたことが、間違いなく今に繋がっていると思いますし、外国人専門でずっとやってきたからこそ、外国人人材サービスにおけるリーディングカンパニーと自負しています。 会社の雰囲気でいうと、愚直に努力し続けられるメンバーが多いと思いますね。また、個性が強い外国人のメンバーが活躍していて、多様性を受け入れる土壌があると考えています。今はまだベンチャー企業で知らない人も多いかもしれませんが、私が生きている間に、日本に必要とされる会社にしていきたいですね!

今後どういうことをしていきたいか

人材というのは、日本を支える根幹だと考えています。 また、外国人は日本の明るい未来を構成する重要なピースだと思っているので、そこに使命感を持っています。

日本が大好きな外国人はまだまだたくさんいます。 そういう日本が大好きで、せっかく日本にきてくれた外国人がイキイキと働く・生活するという世界を創っていきたいですね。 まずは、外国人採用支援の圧倒的No.1企業にしたいと考えています。外国人が集まるランドマーク的な施設の運営や外国人の日本での結婚をサポートするマッチングサービス(笑)など、やりたいことはたくさんあります。 グローバルパワーなら、それができると確信しているので、毎日未来を創っている感覚で楽しくて仕方ありません!

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