ゲストが、大切な人から受け取っていた“ギフト”の存在に想いをはせる「GIFTFULストーリー」。
今回は、当社のCTO・五島僚太郎が、選び直せるソーシャルギフト「GIFTFUL」のリリースまでの道のりや、家族への想いを振り返ります。
CTOとしての孤独や迷いの中で、プロダクトリリースまで駆け抜けることができたのは、家族から受け取っていたギフトの存在がありました。
多くの人に愛されるプロダクトを創る!
――GIFTFULの開発を責任者としてリードすることが決まったとき、どのような気持ちでしたか?
五島:
身が引き締まる思いでしたね。
僕を信頼して開発責任者を任せてもらえるのがうれしかったし、やっぱり新しいプロダクトを作ることにワクワクしました。
いままで僕が開発責任者として携わってきたものだと、社内で使う業務システムのような利用者が限定的なものや、システムとしてある程度要件や規模が見えているものでした。
でも今回のGIFTFULは家族や友だちなど身近な人にも使ってもらえる可能性があるし、どれくらいのユーザーが使ってくれることになるか未知数。
加えて「選び直せるギフト」というのはまだ日本に存在しないまったく新しい仕組み。リリースしたらどんな反響をいただけるのか楽しみで、「多くの人に愛されるプロダクトを創るんだ!新しいギフト文化を創るんだ!」と意気込んでいました。
リリースに向けて企画が進んでいく中で、「会社を背負ってプロダクトを開発する」という意識がどんどん強くなっていきましたね。
本当にこの判断でいいのか?意思決定者としての孤独と迷い
―― 実際にリリースまでの道のりはどうでした?
五島:
意気揚々とはじめたものの、開発を進めていくなかで「自分の判断は本当に正しいのか?」という迷いや、孤独感を感じる瞬間が度々ありました。副業や業務委託で開発を一緒にやってくれたメンバーはいたのですが、開発における意思決定や責任を担うのは自分一人だったからです。
例えば、ビジネスサイドに改善要望シートへの記入を依頼したのですが、僕の想定より10倍多い要望があがってきて。この数に圧倒されてしまって「果たしてリリース間に合うのだろうか」と心配になりました。
また、最終的にリリースまでにどこのラインまで対応するかの判断も僕次第なので、この線引きで本当にいいんだろうかとか。
あとはシステム構成や仕様について。例えば認証基盤は、今後の拡張・連携含めて自前で作るべきか、外部ソリューションを利用するべきか、とか。特にこういった非機能要件についてはビジネス/デザイナー側ではわからないので、誰にも判断を頼ることができず、意思決定に悩みました。一人で抱えこんでいる孤独感もありましたね。
何回でもずっと応援するからね
――そんな舞台裏の葛藤があったのですね、、、リリースまでの期間忙しくて夫婦のプライベートな時間も少なかったかと思うのですが、奥さまの反応はどのような感じでしたか?
五島:
やっぱりゼロからプロダクトを作るって想像以上に大変でして、僕の持っている時間すべてを、GIFTFULに注ぎ込んだと言っても過言ではありません。
妻には「同じ屋根の下で住んでるのになんか久しぶりに会うね」と言われるぐらい、ほとんど一緒に過ごせない期間もありました。
それなのにまったく不満を口に出さなかったんですよね。
それどころか、僕が帰ってきてすぐに食べられるように晩御飯を作ってレンジの中に入れといてくれたり、机の上に「遅くまでお疲れ様」「何回でもずっと応援するからね」と書いた手紙が置いてあったり。
最低気温が氷点下を下回る冬の夜中。妻が作ってくれたご飯とメッセージが、疲れた身体と不安な気持ちにすーっと染みわたって、温かくなっていく気がしました。
どんなときでも応援してくれる妻の存在にどれだけ支えられたか、言葉で伝えようと思っても伝えきれないなと。
同時に、GIFTFULを本当にいいプロダクトとして仕上げ、妻に「これ作ったの!?すごいねえ!」って思ってもらうんだと、活力がこみあげてきました。
結局、僚太郎はどうしたいんやっけ?
――ご両親の会社のIT事業本部としても開発業務をやられていたと思うのですが、その業務を離れてGIFTFUL開発にコミットしていることについてご両親の反応はどうでしたか?
五島:
両親には、GIFTFULにコミットしたいという気持ちを2週間かけて相談しました。僕も当初、両親の会社を助け続けたいという気持ちもあったので、相談の仕方に歯切れの悪さがあったんですよね。ただ、話を続けていくなかで父にこう言われたんです。
「結局、僚太郎はどうしたいんやっけ?」
そう問われて初めて、自分の気持を再度整理して、腹を決めて言うことができました。
「GIFTFULで多くの人に愛されるプロダクトを創りたい。やれるのは今しかないんだ。」
すると父は一言、「僚太郎がやりたいなら、やりなさい」と。
IT事業本部は収益がそれなりに出ていたので、経営者としては、正直僕に離れて欲しくなかったはず。それでも僕の挑戦を支持してくれたのは(これは推測ですが)、父も今の僕と同じくらいの年齢のときに大きな決断をしていたことが関係していると思うんです。
父は地元で整骨院をずっとやっていて、それなりに認知も広がりお弟子さんもいる状況で、プロ野球選手のシーズンを通したトレーナーとしての帯同依頼がきたんですよね。整骨院の院長としては、長期間自分の院を離れるのは相当悩ましいと思うのですが、そこで挑戦する決断をした。僕が子どもの時だったので正確には覚えてないんですが、お弟子さんたちがバタバタとしていた記憶があります。
たぶんその時の父と今の僕に、重なるところがあった。そういうこともあり、経営的な辛さを飲み込んで、応援してくれたんじゃないかな。
ーーお父さまにも、五島さんと似たような決断をしたことがあったんですね。
五島:
そうですね。こうやって「GIFTFULにコミットする」と決断した以上、やっぱりそこで中途半端なことはできないし、背中を押してくれた両親に恩返しになるような仕事をしたい。そう思いました。
リリース日は遅らせない。絶対に
ーー奥様やご両親など五島さんの挑戦を周りの人たちがみんな応援してくれていたのですね。その後は順調にリリースに向かっていったのでしょうか?
五島:
リリース日も近くなってきたころ、おばあちゃんの体調が一気に悪くなっていったんです。
医師からは余命が長くないと告げられました。
自営業で忙しかった両親に代わって、小さい頃からいつもごはんを作ってくれたおばあちゃんは、僕にとって常に最も近い存在でした。
今までおばあちゃんにITの仕事をしていると説明してもほとんど伝わらなかったけど、GIFTFULならわかるかもしれない。最後の最後に、おばあちゃんに使ってほしい。この時、「リリース日は遅らせない、絶対に。」そう決めました。
そこからは、もうやりきるしかないと、怒涛で開発を進めていきましたね。
ツツジの花が咲き出した2023年4月、できることはすべてやりきりました。緊張で震える指で、遂に本番デプロイを実行。
真っ先におばあちゃんにメッセージとギフトを贈って、ちゃんと受取手続きもしてもらえて。僕はおばあちゃんに結婚式を見せることができなかったので、急遽妻とウェディングフォトを撮ってギフトと一緒に添えたんです。写真を大事そうに枕元に置いて、ギフトもすごく喜んでくれました。
リリースの2日後、おばあちゃんは安らかに人生の幕を閉じました。
「りょうちゃんがやりきるまで」と、最後に見届けてくれたのかもしれない、そんな気がします。
おばあちゃんは小さいころから僕のことをずーっと無条件に肯定してくれました。
「りょうちゃんはかわいいね」といつも言ってくれて、柔道の大会で良い成績を残すと自分のことみたいに喜んでくれて、社会人になってスーツを着たらかっこいいって褒めちぎってくれて。甘やかすだけじゃなくて、僕がストーブに手を入れようとしたら本気で怒ってくれたり。
今まではおばあちゃんの存在が当たり前過ぎて気づかなかったけど、苦しいことがあっても、僕が前を向いて進むことができる人間に育ったのは、ずっとおばあちゃんが無償の愛情を注いでくれていたからなのだと思います。
GIFTFULの開発を通して ”ギフトのお返し” を
五島:
リリースまでの道のりは、重大な決断を迫られる緊迫感と孤独がありました。でも振り返ると、たくさんの人が支えてくれたから乗り越えられたんだと思います。1人じゃなかったんです。
実際リリースして多くの人がGIFTFULを使ってくれました。
支えてくれた妻にギフトを贈って、「ありがとう」と言ってくれたその時の笑顔は忘れられません。
友だちは僕がGIFTFULを開発していることを知らずに使ってくれて、「ええ、こんな良いサービスあるんや。商品もユーザー体験もいいし、贈りたくなるな。」みたいな感想くれて。知り合いのサービスだからじゃなくて、シンプルにこのサービスいい!と言ってくれて、開発者冥利に尽きましたね。
これまで、周りの人たちからたくさん、”ギフト”を受け取ってきました。今度は僕がGIFTFULの開発を進めてサービスを提供し続け、温かい想いの贈り合いを増やしていくことが、社会に対して”ギフトのお返し”になる。そう信じて、前を見て進んでいきます!
◼️想いが伝わる、欲しいを贈れる
選び直せるソーシャルギフト「GIFTFUL」
https://giftful.jp/
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