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学生起業家から広尾スタートアップの一桁社員へ。入社を決めたたった一つの理由。

プロフィール

清水眞(しみず まこと)新潟県出身。大学進学を機に上京。パリ大学に1年留学。帰国後、店舗開発プラットフォームを運営するシェルフィー株式会社にてインターン。在学中に中華圏向けの訪日旅行メディアを運営する株式会社tavitavi創業。2016年12月に事業譲渡後、株式会社タビナカに参画。

なんでもありの清水家

はじめまして、清水と申します。大学時代にはフランス語専攻でもないのにパリに留学に行ったり、就活もせずに起業したり、他の人に話すと「え、なんで!?」って思う様な経歴の持ち主です。自分は欲に対してかなり直球なタイプでして、今まで「やりたい事を思う存分やる」というシンプルな覚悟のもと行動し続けて来ました。※写真は思う存分髪色を遊んでいた時のもの。

今思うとちょっと特殊な家庭だったのかなと思うのですが、清水家には「親の敷くレール」というものが一切なく、やりたい事なら何をしてもOK!!な家庭でした。普通、親としては良い大学に行って良い会社に入って...なんて子供の将来を心配する気持ちもあると思いますが...

ちなみにどのくらい自由だったかというと「高校に行くか行かないか」も自分で決めれました笑。僕はたまたま勉強も好きだったので、高校→大学と進学しましたが、兄は高校を中退して起業していますし、弟は高校はギリギリ通ってましたが、勉強はほとんどせず日本一になるくらいずっとゲームをやってた気がします。

とにかく本人が好きな事であれば全力で応援する。そんなスタイルのそんな家庭だったからか、気付いたら「好きな事や自分がやりたいと思った事は絶対やる」癖が身についてました 。

起業したのはただやりたかったから

そんな自分が就活せずに起業したのも「ただやりたかったから」それだけでした。高1の時に13歳のハローワークを読んで会計士ってカッコいいなと思い大学に進学。世界一の観光地パリで経営を学びたくて渡仏。素敵な原体験があるわけでもなく、ビジネスセンスがあるわけでもない。ただ「その瞬間の自分」がやりたい!と思った事に素直に従った結果でした。

そうやってスタートしたは良いものの、創業メンバーは自分ひとり、右も左も分からない状態だったので、それはもう苦難の連続。最初は気持ちだけ空回りして失敗しまくってました。

でも無知は無知なりにとにかく行動するしかないと思っていたので、ビジネスアイディアを思いついては検証、投資家や先輩起業家に相談してブラッシュアップしてまた行動.....そんな事を何度も繰り返して、「お、これイケるかも?」と行き着いたのが、訪日観光メディアのtavitaviでした。

サイトを公開して3ヶ月後に資金調達したのですが、それまでは本当にギリギリの生活で資金も尽きかけていたので、毎日もやしばかり食べてた記憶があります。正直諦めるタイミングは何度もあったのですが、それでも諦めなかったのは「やりたい事は最後までやり抜く」という気持ちだけが強くあったからだと思います。

tavitavi創業期

事業として行っていたのは、繁体語の訪日観光メディアでした。旅行コンテンツを作成して、ホテルや航空券のアフィリエイトでマネタイズというモデルです。当時、いや今もですが、中国語は全く分からなく、それでも日本が大好きな日本在住の台湾人がたくさんいて、年間500万人が旅行で来ている事は知っていたので、それを結び付けるだけじゃん!なんて思ってました。

実際日本が大好きな台湾人が作ったコンテンツは魅力的で、FaceBookで1,000シェアされるような記事もありました。記事の質にはこだわっていたので、除々に認知されるようになり、Facebookのファン数も1年で7万以上に、オーガニックで毎月5,000人以上ファンが増え続けてました。

それに応じて社員数も5名に増え(内4人は台湾人)、インターン合わせて20名くらいの規模にまで大きくなりました。ただ当時は事業計画、資金調達、プロダクト企画、マネージメント、労務法務会計を全て1人で行っていて、それに加えて社員は自分以外台湾人だった為コミュニケーションにも課題があり、ただただ多忙な毎日。

当然いたるところで問題が発生するワケですが、全部ひとりで抱え込んでしまい、1年後には手に負えない状態に。結局2年運営したtavitaviは事業譲渡し、再スタートする決断をしました。

壮大な夢に引き寄せられタビナカにJOIN

タビナカの創業者三木との出会いは3年前。先輩起業家の三木に資金調達のアドバイスをもらおうと渋谷の神南軒でランチをしたのが最初でした。そこから何度かオフィスに顔を出し、事業やファイナンスの事、これまでの失敗や経験、経営に対する考え方について話を聞く中で、当時から夢に対して垂直で、誠実に謙虚に歩み続ける三木はとても印象的でした。

事業譲渡が決まった数日後1年ぶりに代表の三木、執行役員の今野と3人でランチへ。お互いにここ1年の出来事を話していたのですが、その中で自分がtavitaviを「失敗」だったと言った時の三木の言葉を今でも覚えています。

未来に比重があれば、今と過去はいくらでも変えられる。失敗した事をくよくよするのではなく、良い経験をしたと思って前に進めば良い。大切なのは将来どうありたいか。

その言葉を聞いて肩の荷がおりたというか、重りが無くなった感覚がありました。なんとなく弱気になっている自分を吹っ切れされてくれたのは間違いなく三木です。彼自身過去に何度も失敗を繰り返していた中での発言だったのを知っていたので本当に心にズシンと来ました。

その後、二人がどんな思いで会社を経営していて、この先どうしたいのか、どんな組織を作っていきたいのか、壮大な夢とワクワクする仮説を聞き、即日JOINを決意。翌日にはmyディスプレイを持って広尾オフィスに足を運んでました。

同世代の起業家の中でも三木の思考には圧倒的にキャップが無く、一緒にいるだけで視座が上がるような存在です。一方今野は超絶仕事出来る人で、そんな二人と話してるとなんでも出来るんじゃないかなと錯覚してしまう程です。

とにかく話しているだけで楽しくて、それを実現させたらもっと面白いんだろうなーと思ったのが入社のきっかけです。きっと二人が全く別の事業をやっていたとしても入社していたと思います。笑

入社から1年経って感じた事

自分で会社やっていたのに誰かの会社で働くのってどう?とかまた起業したくならないの?とかよく聞かれますが、1年一緒に働いてみて控えめに言って最高の環境でした。三木今野以外にもたくさんの尊敬できるメンバーに囲まれ、自分の未熟さを改めて感じる事ができた良い1年でした。

普段起業家友達と話す事はあれど、お互いフェーズも課題もバラバラなので、モチベーションが上がる事はあっても本質的に考え方や姿勢が変わる事は少ないと思います。

この1年、同じ会社で経営課題や事業課題に対して尊敬するメンバーと日々意見を交え過ごす中で、自分の未熟な部分により気付く事が出来たし、自分の得意な部分もよりはっきり知る事が出来ました。

タビナカの清水としてのこれから

タビナカには4人目の社員として入社したのですが、今では4倍以上の20名弱が在籍しています。人が増えて出来る事も増え、より一層楽しいフェーズになってきました。目指している所からするとまだまだ先は長いですが、旅行者と対話しながら少しずつプロダクトを作り込めている実感があり、これからもっともっといろんな人を巻き込んであっと言わせるサービスを世に出して行きたいです。

尊敬するメンバーと共に。

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