株式会社エニグモに入る前
【大学】
・音楽や舞台など自分で作って、ユーザーの感情を動かすことに挑戦していました。
・一方で、学校でプログラミングを習ったことでWEBベンチャーでサーバー管理や簡易プログラミングのアルバイトをしていました。
・「エラー遷移考えられない人はクソだよ」という先輩の言葉はとても印象に残っています。
【卒業~挫折】
・何かしらアイディアを形にして、ユーザーの感情を動かすことに挑戦し続けたいと漠然と思っていました。
・が、就職活動をやる学校ではなかったので、卒業まであと4カ月に控えた頃に来年の春からやることがないことに気づきました。
・アルバイトを通して、凄腕のプログラマーを見ていたので、この世界で戦っていくのは勝ち目がないなとも感じていました。
・というわけで、アポなしでテレビの制作会社に雇ってくださいと履歴書を配って回りました。
・努力のかいあってか、めでたく在学中からテレビのADとして働くことになりました。が、いろいろありまして数か月で辞めました。
・最後のお仕事は「4時間以内にキャベツ博士を探せ」というものでした。 ・以来10年間に渡ってキャベツ博士を探していますが、いまだに見つかっておりません。
・辞める時に携帯の電源をOFFにしていたことは良い判断だったなと思います。この経験により決断を下すことの大切さを学び、今に繋がっています。
【ニートからの軌道修正】
・その後、24時間体制で、サッカークラブをつくったり、馬を育てたり、スライムやドルマゲスと戦ったり、織田信長を裏切ったりしていました。
・豆腐とソーメンを主食としていました。真っ白な食卓が、僕のゲームで疲れた心を癒してくれました。めんつゆのおいしさを覚えたのもこの時期です。
・いよいよマズイということで、WEBサービスを展開している会社に運よく採用いただけて入社することになりました。
【前職】
・WEBディレクターとしてキャリアを積んでいきました。
・企画したサービスで売上を大きく上げられた点や、エイプリルフールの特別企画がそこそこ話題になったことは印象に残っています。
・右も左もわからない中、決済周りのディレクションをできたことは自身のスキルアップに繋がりました。 ・あとはルノアールでお茶をしていました。
・前職はとても楽しかったのですが、リーマンショックの影響で地方に移転することになりました。 ・なんとなくおもしろそうだったので、行きたいな~という気持ちもありましたが、プライベートな理由からタイミング的に難しく、転職活動をすることにしました。
・印象に残っている言葉は役員の方からいただいた「これからは若い優秀なエンジニアが世界からでてくる。俺たちは社会性で乗り越えていくべき。」というものです。
・あとは「社用車のベンツ買わない?金なら会社から貸すよ。」です。熟慮の結果、買いませんでした。この決断の是非は、未だに分かりません。
【エニグモへ】
・世界初のサービスをつくる!という言葉に興味を持ったこと、面接でお会いする方々の人柄に魅かれたこと、が入社の決め手になりました。
・すご~~く面接が苦手なのですが、大きな気持ちで自身の素の部分を受け入れてくださったように感じました。
・「何かしらアイディアを形にして、ユーザーの感情を動かすことに挑戦し続けたい」という学生の頃の想いをこの会社なら実現できる!と感じたのです。
現在
【今の仕事】
・BUYMA、そしてエニグモをさらに成長させるために、なんでもすることです。
・そのためにはユーザーさんの真のニーズを掴み、本当に価値を感じていただけるサービスにする必要があります。
【仕事のおもしろさ】
・自分のアイディアや信念を300万人を超えるユーザーさんにぶつけられる所に非常にやりがいを感じています。その結果、効果が明確に出た時の喜びはとても大きいです。
・BUYMAに join した当時は今の10分の1以下の規模でした。振り返ってみると、規模に応じてサービスやユーザーに対する戦術を変えてきたと思います。
・当時なんとかドライブをかけようとしていた時と、今まさに、さらに伸ばそうとしている時とでは、考え方やアプローチ方法が異なるのです。
・サービスと一緒に成長できていることを実感できている点は幸せを感じています。また、さらに大きくなった時、自分がどのような経験を積めているか、どんなことを考えているのか、今からとても楽しみです。