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好きだから続けてこれたクリエイティブ。20年のデザイナー人生を振り返ってみた。


こんにちは
社会福祉法人あかね 経営管理本部 クリエイティブチーム ソルです。
あ、ソルって言ってもちゃんとした日本人でございますよ~w
ここの部署では全員がニックネームで呼ばれるシステムになっておりまして
私も入社以来かれこれ8年程この名前で呼ばれております。

今回は「好きだから続けてこられたクリエイティブ」ということで私のデザイナー人生を振り返り、デザイナーになった経緯などを書いていこうと思います。
振り返れば私のデザイナーとしてのデビューは27歳でした。遅いですねーw それまで何してたの?ってよく聞かれるんですけどただ単にポケーっと過ごしていただけの黒歴史ですw なので普段はあえて自分から話すことはない物語でございますwww レールの上を真っ直ぐに走ってこず脱線しまくった、寄り道の人生。始まりが遅い分取り戻すための苦労はそりゃもうも大変でしたよ(そこは当たり前か……)。
デザイナー歴約20年の出会いや経験談などを書いていきますので興味のある方はお付き合いください。


ないものねだりの何者でもなかった若い自分

デザイナー歴約20年とありますが、そのデザイナー職にたどり着くまでの私は本当にどうしようもない口だけ番長、ただのワガママな若者でした。
自分のやりたいことがわからない、けれど『自分のやりたい仕事はこれじゃない!』と言っては嫌々に仕事をし、会社のこと、一緒に働く人のことを考えず迷惑を掛け、言葉で、態度で噛みつき、次第に孤立していき居場所がなくなりそのまま退職する……。
こんなことの繰り返しが半年、1年のスパンで繰り返された若気の至り……。どうしようもないポンコツでした……。今考えると本当に時間がもったいないし、周りの人たちに申し訳ない気持ちでいっぱいです。どんな仕事をしても長続きしない、ただ何かを求めるだけの心が未熟な私でありました。

仕事が安定しない、何をしても長続きしない、そんな自分に嫌気がさしてくる、 親も安心させないといけないし、早く自立した生活をしないと……。焦りとプレッシャーでどんどん空回りしていく中、ついに私の心は病んでいき“完全ニート爆誕!”自宅警備員となるw。この時24歳。かなりヤバい部類の若者でした。 今だから笑って言えますが、当時は目の前真っ暗。長ーいトンネルの中にいるような状態が約10ヶ月も続き、ソル青年の心はバッキバキに折れました……。ま、就職氷河期世代ど真ん中でしたしね……。


デザイナーという仕事に出会った運命

元々絵を描くことが好きだった私。とはいってもイラストレーターになって自分で売り込んで仕事をしていくんだ!という意気込みも覚悟もなかった私。さぁ何の仕事をして生きていこう?弱った、困った。
そんな時友人K君がデザイン事務所でデザイナーの仕事をしてるので暇があれば見に来てもいいよ、と声を掛けてくれた。もちろんニートで暇な私に断る理由もない、後日K君の務めるデザイン事務所へお邪魔してみた。
古い雑居ビルに彼のオフィスはあった。古い建物だが内装などは白を基調にシンプルシックにまとめられたスタイリッシュな仕事場。オシャレな「Theデザイン事務所」的空間。そこでK君は仕事をしていた。

K君は高校の同級生、このデザイン事務所に勤めて3年目、期待のホープという感じであった。期待のホープ、その証に24歳ながら社長の右腕として認められ、自分のアシスタントにもしっかり指示出しをしているその仕事ぶりに私は正直焦った。「完全に負けてるじゃん、俺w」まぁ仕事もしていないニートなので勝ち負けの土俵にすら上がっていないんですけどもwww
それ以上にK君が生き生きと仕事をしている姿に衝撃を受けた。なんか楽しそう、充実してるんだな、と感じた。彼のデザインしたパンフレットを見せてもらう。その当時の素人の私が見ても“おおー、なんかカッケー!”と素直にそう思った。
なぜかこの時「デザイナーいいな。なんか俺にもできるかも!」という勝手な思い込みが芽生える。なんの裏付けもないただの直感w 今思えばこれがきっかけで私のデザイナー人生が始まったように思う。まさに運命の出会いである、ありがとうK君!この日の帰りに近くの中華料理屋でラーメンとから揚げをK君にごちそうしてもらって、「出世払いで返すからw」と偉そうにうそぶいていたソル青年w あっ!未だにこの出世払いを返し終わっていない事に、今気づいた……。この記事を書いたことで思い出したので、これを機に返しておこうと思います、から揚げ倍返しにします。K君さーせんw

実際のデザインの現場に触れ、デザイナーとしての道を歩み始めることを決めたソル青年。夜間の専門学校の門を叩きデザインの勉強を始める。夜勤バイトをこなしつつ毎日専門学校に通う日々が始まった。当時はバイトと課題の提出に追われいっぱいいっぱいで余裕がなく、デザインを楽しむどころの話ではなかった記憶しかありません。でも専門学校って学生時代の感覚に戻れて“なんか楽しいな、エヘヘ”となり羽を伸ばしていたどこまでもユル~いソル青年w 夜間のクラスでも最年長なのに……。タイムマシンがあったら戻ってフルボッコにしてやりますけども……w


本気を出さずにはいられない崖っぷちに追い込まれる

余裕はないがなんとか専門学校卒業までこぎ着けたソル青年。いよいよデザイナーデビューじゃ!といきたいところだが世間はそんなに甘くニャイ。歳だけ無駄にとっている未経験の新卒デザイナーなど、どの会社も相手にしてくれない。専門学校を卒業はしたけれど早速の就職浪人に。現実は厳しい、就職氷河期世代ド真ん中でしたしね……。

ここでようやく崖っぷちに追い込まれ、後がない……本気でなんとかせねば!と思い、やっと“やる気スイッチ”が入ったソル青年(気づくのが絶望的に遅いw)。覚悟を決めてiMacを購入。もちろん借金でローンである。バイトしながら暇さえあれば一日8時間デザインソフトを触り特訓にふける毎日に。“なんでもっと早くやらんの?”とか言うのはなしで……。これにより苦しみながらもデザインすることに楽しみを見出し、やり続けることで自然とスキルも上がっていった。スキルが上がりできることが増えるとより一層楽しくなってくる。
そんな状態が一年程続き、応募し続けたデザイナー職の仕事にもようやくありつけることに。契約社員で時給制、激安な給与ではあったがようやくスタート地点に立てた27歳。時間がかかってしまったけれど本気になれる、楽しめる仕事に出会えた瞬間だった。これを機にデザイナーデビューを果たしたソル青年……紆余曲折ありながらも今日まで20余年、走り続け今もデザインの仕事を続けております。


20年もデザイナーを続けてこれた理由は

20年を経てソル中年となった私。今も現役でデザイン、ディレクションをしております。これだけ長い間デザイナーとして仕事をしてこれた最大の理由は単純に“ものづくりが好きだから”ということ。
仕事も好きでないと続かないワガママな私。デザインの仕事にたどり着くまでに多くの時間を要しましたが好きなことを仕事として生きていくことができています。
あと長く続けてこれた要因として「負けず嫌いなマゾ気質w」という点も大きな原動力になっています。自分でいうのもなんですが、仕事でダメ出しされたり、否定されたりすると「なにくそ!」と熱くなり燃えるんですw もっといいものを創ってやるぅ!となりやる気スイッチが入り、さらに集中力が倍増し、クオリティ爆上げになるんですw

人の人生において「仕事をしている時間」は長く大きな割合を占めます。だからこそ自分が楽しめる仕事をしたいと皆考えるわけです。どうせ同じ時間過ごすのだから楽しい方が良いに決まってますからあたりまえのことです。楽しんで仕事ができるかどうか、そこがとても重要だと私は思います。

自分が楽しめる好きな仕事が、人のため、会社のため、社会のためになり感謝されお金までもらえるなんて、サイコーやんwと本気で思います。Youtubeの広告にもあった「好きなことで、生きていく」なんかも共感します。好きなことを楽しんでやる、これこそが最高の結果を生み出すパワーの源だと思うから。
周りの人に“デザイナーしてます”というと「自分の好きな仕事ができていいね!」ともれなく言わます。こんな話をするとき“多くの人は自分の好きな職種、仕事に就けていないんだな……”と感じるとともに、好きな仕事が出来ている自分は幸せなんだなぁ!と改めて思うんです。

20年のデザイナー人生のうち、約1/3を現在在籍している社会福祉法人あかねクリエイティブチームで仕事をしています。入社当時はまさかこれほどの長い期間在籍し、お世話になるとは自分自身全く考えておりませんでした。あかねで楽しくクリエイティブの仕事ができている証明の裏付けだと思います。これからもこの仕事をずっと続けて行けるよう楽しんでクリエイトしていきます。


おっと、この記事書いている間に弊社webデザイナーのタイムリーなブログ記事も公開されたようです。

あかねに入社するまでのかずお
https://e-akane.com/blog/post-41931/

是非こちらものぞいてみてください。
私に負けず劣らずポンコツな感じですが、彼とこの7年程タッグを組んで楽しく仕事をしている仲間です。

社会福祉法人あかねでは一緒に働く仲間を募集しています
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