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CEO 兼 IT エンジニアの吉田さんにインタビュー【前編】 急成長していくカンボジアで 、なぜIT 事業を新しく立ち上げたのか!?【 起業までの軌跡 】

吉田 潤さん 1985年生まれ

1.吉田さんは学生時代から今まで、どんなことに興味があって学び・仕事に取り組んできましたか?

 私は子どもの頃から技術職に憧れていて、将来はエンジニアになりたいと思っていました。それで、高校は地元の北海道にある高等専門学校に進学して5年間、機械工学を学びました。在学中にもっと学びたいという気持ちが強くなりまして大学の電気系学科に3年次編入し、さらに大学院の修士課程とあわせて9年間ほど勉強しました。学ぶ場所も、進学先と合わせて地元の北海道から関東、東北へと変わりました。大学や大学院では、各人が研究室に所属して関連分野の研究をするのですが、この研究という「わからないことに対して仮説を立てて、検証方法を確立して、検証し、新しい事実を明らかにする」ことが非常に面白くて、研究開発ならではの魅力を知ることができました。そうすると自然と研究職に就くことを望むようになりまして、24歳で大学院を修了してから、電機系メーカーの研究員として働きました。そこでの仕事は、火力発電に使う大型発電機のシミュレーション技術と設計技術の研究開発というものです。火力発電機って、高速振動や強い電磁力が発生するので機械設計が重要で、発熱が大きいので冷却設計も大事で、電流や電磁石で大きな磁場ができるので電気・磁気設計も必要でという感じで、この製品の開発には各分野の集大成のような技術が求められました。やりがいもすごく感じていました。同じ技術職といっても、今のITエンジニアの仕事とは全く異なるものでしたね。一方で、大きな会社だったので良くも悪くも安定していて、変化もあまりないと感じるようになりました。自分の未来がもう決まってしまったというか、今後このぐらいの年齢になったらこういうポジションを任されて、このくらいの給与になって、定年になって退職して、という流れが予測できたことで、自分の人生はこれで良かったのだろうかと不安に感じたことを憶えています。その頃から、会社じゃなくて自分の力で未来を決めていけるようになりたいと思い立ち、転職活動を開始しました。

2.企業からの転職時には、どんなことを考えていましたか?

 その時考えていたのは、ベンチャーみたいなところ働きたい、ということでした。新しく事業を立ち上げて急成長していく、みたいな経験がしたいと。ベンチャーだとIT系が魅力的に感じました。小さな会社でも技術力があればなんでもできる分野ということから、将来独立を狙える可能性もありますので。そこで、IT系のベンチャーで未経験でも働かせてもらえるところを探しました。また、海外で働けたら同時にもっと良い経験が得られるとも思っていましたので、国内外をいろいろと探し始め、カンボジアのIT企業が事業責任者候補を募集していたのを見つけ、応募しました。幸運にもオファーを頂きまして、2014年の1月にカンボジアに向かうことになりました。

【経由便にてカンボジアへ】

3.初めての転職先が海外のカンボジアで働くことになり、その時の様子をお聞かせください。

 就職した会社では、ITチームの事業はこれからという立ち上げの段階で、その事業責任者として配属されました。数名のカンボジア人のメンバーと一緒でしたが、彼らは大学を卒業して間もないくらいのエンジニアでしたので、PCの利用経験はあるものの、プログラミングの実務経験は十分ではない状況でした。さらに、ITに関することは自分もほとんど経験がありませんので、いただいた仕事はやらないといけないけれど、その裏では急いで勉強しないといけないし、チームも育てないと仕事が回らないし、都度技術的な意思決定もしなければいけないし、というようにとにかく時間がなくて、どうやって事業を進めていくのかを悩みながらやってました。そこでの主な仕事は、受託型のシステム開発や、社内向けシステムの開発、そしてIT技術を使って他事業をサポートすることなどです。受託開発ではクライアント様の要望をなるべく捉えた形で開発を進める必要があったり、社内システムの開発では工数あたりの有用度が高い機能をヒアリングしながら選定して開発する必要があったりと、技術以外の面でも身になったと思います。また、チーム内の共通語として英語を使用していて、カンボジアのエンジニアはとても英語が上手なのですが、私は全然得意ではなかったので、これも勉強する必要がありました。初めは、同じことを何回も聞いたり、必要に応じてチャットに切り替えたりとメンバーに協力してもらいましたが、だんだんスムーズに話せるようになってきたことで、格段に仕事がやりやすくなったことをよく憶えています。そのような日々の中で、自分は成長できているなと感じるようになりました。

【トンレサップ川からプノンペン中心部を望む

4.その後、ヨーロッパの会社へ転職、そこでの仕事はいかがでしたか?

 カンボジアでは2年ほど勤めていましたが、そのなかで自分のITエンジニアとしての技術レベルを客観的に見てみると、まだ自分にはプロのエンジニアたちの中で働くスキルはないだろうと感じるようになりました。その頃には、最終的に独立して働きたいという思いが固まっていましたので、次のステップとして、技術のあるWeb系企業に転職してスキルを身につけつつ、どのくらいのレベルだったら一般的に活躍できるのかを知りたいと思いました。そして転職先を探し始めて、ヨーロッパの日系Web企業に応募したところ、インフラエンジニアとしての採用が決まり、2016年に転職しました。ヨーロッパに渡って働き始めると、予期はしていましたが自分のITエンジニアとしてのレベルの低さを痛感しました。それまでにカンボジアでサーバーを構築したりプログラムを書いたりと自分ですべてやっていたので、Webシステムの全体像はわかっていましたが、実際にはそれは表面的なもので、新しい職場で求められるレベルには到底及んでいませんでした。始めの半年間はかなり迷惑をかけたと思います。そのような環境の中で、幸運にも当時のリーダーがとても良く教えてくれる方で、インフラに関して多岐にわたって指導いただくことができたり、同時期に入社したエンジニアの方からもWebの知識全般や、大規模サービスの仕組みなどを教えていただいたことで、半年ほどで最低限の技術レベルまでは到達できたと思います。この方々のサポートが無ければ、この道を諦めた可能性があるほど挫折を味わったので、本当に感謝しています。その後はリーダーの退職もあって私がチームのリーダーになりまして、エンジニアとして働きながら、社内のメンバーやパートナー企業の外国人メンバーのマネジメントをしていきました。

【創業時の吉田さん】

5.ヨーロッパから再びカンボジアへ、なぜカンボジアで起業をしようと考えたのでしょうか?

 そこで働き始めて2年が経つ頃には、経験を重ねたことで自信がついてきました。そして当初の思いに立ち返り、自分で事業を始めたいと思うようになったので、会社に退職の意向を伝えました。ありがたいことに、起業後の仕事についても勤め先の上司からお話をいただきまして、2018年にヨーロッパの会社を退職して、カンボジアで起業しました。カンボジアで事業を起こそうと考えた理由は、カンボジア人エンジニアのポテンシャルが高いことを前職で知っていたし、英語もできてコミュニケーションも上手、人柄も穏やかで調べ物も好きと感じていて、この場所でならやっていけると考えたからです。大学でコンピューターサイエンスを勉強した素養があれば、そこから先は自分が教えることで技術力をどんどん伸ばせる自信がありました。先進諸国と比べると初学者時点でのレベルはそれほど高くないのかもしれませんが、すぐに巻き返せるくらいのポテンシャルはあると思います。そして再びカンボジアに戻って人を募集して、いただいた仕事をやっていきました。私の場合、実は周辺の国のIT事情をあまり知らないということもありましたが、これらの理由から、馴染みのあるカンボジアでやっていくという決意をしました。

【後編に続く…】


【弊社オフィスのある建物は街の中心部にある】

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