まったく真逆とも言える職人の世界から、未経験でWEBデザインの世界に飛び込んだ西江勇樹。取材中「会社に拾ってもらった気持ちが強い」と言っていた彼は、今ではディスカバリーに欠かせない戦力です。では、入社から1年2か月という決して長くない期間でチームを率いるまでになった西江は、一体どのようにして今の位置までたどり着いたのでしょうか?
突然訪れた環境の変化に一念発起。職業訓練校を経て、憧れのデザイン業界に挑戦する。
前職は、いわゆる現場職。営業として入社した会社で縁があって職人として働いていました。しかし、コロナ禍の影響で仕事が激減。フリーランスの職人として働いていた私にもその影響は大きく、次の仕事を探さざるを得ない状況に陥りました。
突然訪れた生活環境の変化にとまどいつつも、時間だけはあったので、「この先どうするか」ということをかなり考えましたね。職人の経験から、自分はお金の管理や役所への手続きなどが苦手なことはわかっていました。それなら会社に所属してもう一度営業として働くのかなど、自分の苦手を把握して、そのうえで取れる選択肢はなんだろうと考えていました。
そこでふと思い出したのは、小学生から中学2年生まで続けていた水彩画のことでした。絵を描くことが好きで続けていたのに挫折して離れてしまったこと。その挫折に心残りがあったこと。それらを思い出したときに、デザイン業界で働きたいという気持ちに結びつきました。
職業訓練校については、その時間の中で知りました。学校に通いながら資格を取得でき、お金までもらえる制度を行政がやっている。時間があまっていた自分にはありがたい制度でした。illustratorやPhotoshopの基本的な使い方、コーディングの基礎知識などはそこで学びました。
そして訓練校と並行して、転職活動をしていきました。しかし、応募をすれども一向によい返事はもらえません。気づけば応募した会社は40社以上。4か月の訓練校の期間も終わっていました。もう「やばい!」と思いました。だから「大阪 デザイン 広告 会社」で検索して、1件ずつ問い合わせページから直接応募していったんです。
がむしゃらに走った半年間。「なんでもやります」の スタンスで社内営業に走り回る。
多くのお祈りメールに心が折れそうになっているところに「一度会ってお話しませんか?」というメールが届きました。それがディスカバリーだったんです。もう、すぐに飛びつきました。ようやく得たデザイン業界への足がかりです。面接後に連絡をいただいたときは、試用期間やそのほかの条件には目もくれず、即答で「お願いします!」と返事をしました(笑)。
入社後は、バナー広告に使われる画像のトリミングから。1~2か月ほどかけて少しずつバナー広告のデザインをするようになりました。その一方で、当社の基幹事業であるマーケティングについて知見を深めていく。とにかく身につけなければいけないことは多かったですね。だから、休みの日も社内クラウドを利用して先輩デザイナーが制作した広告のレイヤーを見たりして、がむしゃらに勉強していました。学校で学んだことは本当に基礎的なことだけです。それを活用してどう仕事に反映させるかは、いろんな先輩に教わりました。特に、「デザインとは装飾ではなく解決するものだ」という言葉は今でもずっと心に残っています。
私が常に意識していたのは、「未経験だから教わる」のではなく「未経験だから足りないものが多いのは当たり前。それを埋めるべく自ら動く」ことでした。自分より経験の長いデザイナーさんしかいない環境では、待っていても仕事はもらえない。そう考えて、営業部や運用部といった他部署の人に「何か仕事ないですか? なんでもやりますよ」と聞いて回っていました。
「技術もスピードも足りません」。意気込んでいた案件で味わった大きな挫折。
がむしゃらに走ってきた半年間、その動きを認めていただけたのか、大きなクライアントさんの案件にアサインされました。私としては、大きなクライアントさんだし、入社してから磨いてきたデザイン力を発揮して、よい広告をつくろうと意気込んでいました。でもそれが間違いだと気づかされたのはアサインされた1か月後。「技術もスピードも足りません」と営業さんから言い渡されて、担当を外されてしまったんです。あれは悔しかった…。
ただ、当時を振り返ってみると、ずっと受け身だったように思います。にもかかわらず、営業さんや運用さんの意図や要望を理解せずに、自分の考えをデザインに反映させてしまっていました。バナー広告やそのほかの広告がどういう役割なのかも理解できていませんでした。もう圧倒的に広告の知識も営業さんや運用さんとのコミュニケーションも不足していたんです。受け身だし要望通りのものがあがってこない。これは外されても仕方がないですよね。
そこからバナー広告の意味を考えるようになりました。バナー広告がなぜ必要なのか、検証とは何を検証するのか、そのためにどういったバナー広告が必要なのか、なぜテキストを変えるだけでいいのかなど。とにかく疑問に思うことを運用さんに質問して、理解するように動くようにしました。それでわかったのは、営業さんも運用さんも、口に出している要望を深掘りすると、こちらのリソースを考えていたり、うまく伝えきれていなかったりと、いろいろな裏側があるということでした。となると、本当に必要なバナー広告をつくろうと思うと、その裏側までを理解して、足並みをそろえる必要があるんです。
そのことを理解してからは、どんな案件でも意図を理解することから始め、意図や要望に沿った質とスピード感を持って仕事をするようになりました。そしてある日、外された案件を担当していた運用さんから「ちょっとこれやってみて」と、バナー広告の制作依頼が入りました。これがまた効果が良かったんですよ。そこから「西江いいね」って言ってもらえるようになり、外された案件にまたアサインされるまでに。今では冗談ながらも「巨匠」って言ってもらえるぐらいになりました(笑)。
マーケティングの力でデザイン力を武装する。いつか 熟練のデザイナーと言われるために。
デザインと一口に言っても、身につけるべきものは非常に多いなと感じています。デザインのことはもちろん、薬事や法律、マーケティング理論。今でも試行錯誤しながら仕事をしています。ただ、会社はそれを見てくれています。私がこれまで営業さんや運用さんとコミュニケーションを多くとっていること、CTAやCVRといった数値の分析結果をデザインに反映させること、これらの行動に評価をいただいたことで、マーケティングデザイナーチームの立ち上げにつながりました。自分の行動が会社の可能性の1つになったかと思うと、本当にうれしかったですね。
今では、チームに新しいメンバーを2人迎えることができました。私はというと、マーケティング理論を本当の意味で理解した広告デザイナーになるべく日々研鑽を積んでいます。デザインという面だけを見れば、私より素晴らしいものをつくるデザイナーが社内にも社外にもたくさんいますからね。そういった熟練のデザイナーの人たちからスキルを吸収しつつ、ちがいのあるものをつくるために、マーケティングの力は欠かせないものだと考えています。それに、文字の色や背景などちょっとしたことを変えるだけで結果が変わり、それをもとに次の施策を考える。チャレンジ案もどんどん出していけるんです。これはマーケティングデザインの醍醐味だと思いませんか? 今いるメンバーはもちろん、これからチームに入ってくる人には、このマーケティングデザインというものを楽しんでもらいたいですね。